「希死念慮は明日の向き」②
耳を疑った。
何かの冗談かと。しかし母の声は震えていた。放たれた言葉が真実であることに他ならない。
昨日の件もある。頭の中が幾重に重なる感情の渦に呑まれていく。僕は自分の中にあるものが喜びか、畏れか、哀しみか、落胆か、分からなかった。ただ、ひどく気が動転していたのは確かだった。
学校へ向かった。いつも通りに。
僕はいつも通りでも、学校は違った。校門の前には人だかりが出来ていた。生徒はもちろん、大人、それも報道陣のようなもので溢れかえっているのが見えた。
「あっ! 綿貫くん、綿貫改くんですか!」
その中の女性の一人がこちらに気付く。それと共に、わっと人が押し寄せてきた。
「今年の春からいじめを受けていたというのは本当ですか」
「学校側は知らんぷり? お友達は?」
「七人ものクラスメイトにいじめられていたと聞いていますが、その内容はどんな? 体に傷や怪我の跡は?」
「今朝方、いじめの主犯格であった清峰くんが自殺したことについてはご存知ですか!」
「こらこら止めなさい!」
マイクと共に怒涛の質問が投げられた。対応に追われているようだった校長先生が記者達を制止する。他にも数名の教員が居た。
「生徒に乱暴はやめて頂きたい!」
「いじめを傍観していた学校が何を言う!」
「そうだ!」
「学校側の瑕疵だ!」
「すぐに会見しろ!」
「綿貫くん、行きなさいっ」
声の荒げる大人達の合間をくぐり抜ける。野次馬らしき生徒達の視線が痛かった。慣れようも無い。
靴箱の前には伊藤先生が居た。横には、僕をいじめていた六人が立っていた。
「ごめんなさいをするんだ」
教室には異様な空気が流れていた。清峰の死の報告、そして簡易的に示された弔意を聞き終えると、この謎の儀式が始まった。
僕に向けられる奇異の視線。彼ら六人に向けられる同情の視線。もちろん全員がそうではなかったが、清峰高貴の死が僕を被害者から遠ざけた。
「もうしない、いいな?」
あまりに馬鹿馬鹿しかった。こんなものに何の意味があるのか。流石にこれでちゃらになるとは思っていないのだろうが、不毛と言わざるを得ない。時間の浪費とはこのようなことを言うのだ。六人全員が上体を折り、その表情は窺い知れない。
こんな児戯が彼らの贖罪に一役買うのか。生憎、ならば良いなどと安易に許容出来る程の寛容さを持ち合わせてはいなかった。
伊藤先生が手を叩く。
「よし、取り敢えずお前らは今日のところはいつも通り授業を受けろ」
そう言って朝の会を終え、そそくさとその場を後にした。
「自殺だって」
静寂が姿を消す。
「本当にあの清峰くんが?」
「まさか綿貫がなんかしたのか」
「知らねえ」
「関わわらねえ方がいんじゃね」
藤代さんの顔を一瞥する。瞳はいつもの色をしていた。
先生の言葉通り、通常の一日を学校は機能した。その間のクラスの居心地といったら比肩するものが無いほど悪かった。学校内では授業を担当する教員以外は右往左往していた。実際、自習にしてある授業も多かったのだろう。
一瞬にして一日が過ぎてしまったように思う。清田親子には会わなかった。帰り道は副担任の松木先生が付き添うと言って送ってくれた。朝と同じく校門には肉の壁が出来ており、通り抜けるのに苦労した。
車の中で、松木先生は終始無言だった。怒っているというよりは別の事で頭がいっぱいな様子だった。
自宅が見えると、近くの駐車場に車を停めた。やはり無言だった。入り口前には学校と同様に報道陣が押し寄せていた。
僕を見つけた途端、血相を変えて迫り来る。先生に「黙っていなさい」とだけ言われ、一緒に人混みを掻き分けた。
玄関前に来たので僕はポケットから鍵を取り出した。しかし、それを待たずして先生はインターホンを押した。
「あの、今母は」
パートの為不在である。そう伝えようとした矢先、がちゃりと扉が開いた。母だった。
朝の電話の時点で僕が帰るまでには家に居るように言われていたらしい。生活費の為、なるだけ休む訳にもいかないので早上がりにしたのだと。昨日の僕と同じで早退したのだ。そんなこと教えてはくれなかった。母も、先生も、苦い顔をしていた。
「綿貫さん、今日はありがとうございます」
「いえ」
消えてなくなってしまいそうな声だ。
「さっそく本題に入りますが、今朝、ウチのクラスの清峰高貴が練炭自殺を図り、倒れているのが発見されました。救命の処置空しく、そのまま息を引き取りました。私も驚いています」
改めてその事実を聞くと、信じられなかった。死ぬ理由がないからだ。
彼は僕をいじめていた張本人。いじめが黙認されていたのには彼の父親が市長というのが大きな理由としてある。その父親と揉めたのだろうか。清田親子の我が身を恐れぬ抗議が実を結んだと考えるのが妥当だろうが、彼の性格上その程度で自死を選択するとは思えない。傲岸不遜な彼が自殺をするなど、天地がひっくり返ってもあり得ないと今でも思う。
殺されたのか。いや、そう考えるにしても犯人が思い当たらない。過去に僕を助けようとして返り討ちに遭った人間か誰かの仕業だろうか。
「お父様が朝方帰宅した際、焦げ臭い匂いを鼻にし、高貴の部屋に向かったところ見つけたそうです」
「そんな」
先生の声が遠くなっていく。母と何を話しているかすらもう分からない。こんな筈ではなかった。僕の物語は僕が被害者のまま幕を閉じる筈だった。
まさか、これが狙いなのか。
纏まりのない考えがよぎり、あまりに突飛な自分に笑いが込み上げそうになったのを必死で我慢した。僕を自殺寸前まで追い込み、その後で自分が自殺なんて。
清田父がどれだけの剣幕で清峰の家に乗り込んだのかは分からないが、清峰が父親から叱られる要因になったのは間違いない。これだけの問題になるようなこと、市長としてはなるだけ避けたいだろう。揉み消せるかどうかではなく、厄介事として嫌悪するのが普通だ。現にあれだけのマスメディアが食いつく話題。昨日の夜の時点で多少の騒ぎはあったのだろう。
市長という父を後ろ盾にしていた清峰と、世論を味方につけた僕。立場が逆転したにしろ、一晩でこうも事態が複雑になるだろうか。
「改。今は感情の整理が追いつかないと思うが、辛かったら学校を休んでもいいからな。来れるようになったら来ればいい」松木先生はまるで僕の心配をしている様子だった。
「大丈夫です」
僕の返事を聞くと、先生は母に目を配った。すると母が口を開いた。
「上に上がってなさい。お母さん、まだ先生と話すことがあるから」
母にそう言われるがまま二階へ上がった。ゆるりと歩いていた為、リビングを出て遠ざかるまでに二人の会話が微かに聞こえた。
「あいつからすれば喜ばしいことかもしれないですが、状況は厄介だと思いますよ」
「そんな言い方! はあ。分かってます。清峰さんは今は?」
続きは気にならなかった。
考えを巡らせることすら億劫だったので、目を瞑ることにした。時間の経過は問題を解決してはくれないと知りながら。
尿意が深い睡眠を妨げた。淡い期待すらも半ばで邪魔が入ったのだ。しかし生理現象ならば仕方がない。清峰が死んだ翌日に寝床を濡らすわけにはいかないだろう。
小便を済まし、手を洗う。トイレに付いている流しで洗うだけでもよかったのだが、何故だか洗面台の前に立ちたくなった。彼が亡くなった今、自分がどんな顔をしているかが気になったのかもしれない。
真夜中の鏡の前に立つ。少しだけ気温が下がっているように感じる。怖がりという性分ではない筈だ。
「ふーっ」
ため息を吐く。幸せが逃げてしまうと親戚の叔父さんから迷信の押し売りをされていたことを思い出した。
生来の隈は仕方ないにしても、なんと疲れた顔だろう。この世の不平不満を凝縮したような形相だ。道徳の先生に見られれば「あなたより辛い生活を強いられている紛争地帯の子供だって居るのよ」と罵られかねない。
明日の登校はどうだろうか。いじめの無くなった日常は、どんな景色に映るだろうか。
今後、以前仲良くしていた友達は機能するだろうか。下降していた成績は上がるだろうか。清峰の取り巻き六人と仲良く出来るだろうか。藤代さんと話す機会が巡ってくるだろうか。
僕は、「明日」のことを考えた。
「おい、疲れてんのか?」
耳を、疑った。背筋に冷水が流れるようだった。寒気という言葉では済まされない恐怖が爪の先までを覆い尽くした。
そんな筈は無い。そう思いつつも、目の前の光景は常軌を逸しており、理性と現実に乖離を引き起こさせた。
「よ」
左横には清峰高貴が居た。こちらを向いている。鏡には彼の顔の左側は映っていない。しかし、僕が見て聞いているのは紛れもなく清峰本人だった。
死人が化けて出たのか、それとも亡霊か。荒唐無稽と吐き捨てるべき現象だろう。第一に考えられるのは幻。幻視や幻聴といった幻覚の類だとするなら納得出来る。僕の精神状態ならあり得なくはない。
僕が一番恐れる姿形が自宅にて現れた。しかもこうして熟考している間も消えてはくれない。
「驚いたか? 俺だって驚いてる。けど、これ以上ない展開だ」
さらに僕は驚愕した。僕の記憶から形成される清峰高貴が僕に対してただ罵詈雑言を浴びせるのではない。まるで彼に意思があるような物言いだったからだ。
「清、峰」
思わず口から溢れ出た。
「呼び捨てかよ。俺がお前に触れないからって調子乗ってんな」
「ごめんっ、清峰くん」
定説通り、幽霊は物に触れられないのだろうか。清峰はその後すぐに洗面台にもたれかかった。そう見えているだけかもしれない。
「困惑してるな。けど俺だって全部理解してるわけじゃねえぞ。最初はちゃんと死ねたのか不安になったもんだし」
理解の追いつかない問題に時間を割くより、彼の言葉で真っ先に訊きたいことが浮かび上がった。
「なんで自殺なんか。てっきり、卒業までなんとかして僕をいじめ続けると思ってたよ」
本心を吐いた。我ながら、幻覚に話しかける重症患者のようだと思った。危篤かも。
「それ、昨日の一件があってよく言えるな」
思いもよらぬ返答だった。それは、清田親子の主張を清峰市長が揉み消せなかったことを意味していたからだ。やはりあれが決め手になったのか。僕は清田父の手腕に敬服した。
沈黙する僕に、清峰は鼻で笑ってみせた。死人も笑うのか、と思った。
「あ、でも勘違いすんなよ。別にこの世界に絶望したとか、他に道が無くなって逃げたくなったとかじゃあねえ。お前の為だ」
「え」
何を言っているのか分からなかった。にやにやと鳥肌の立つような顔でこちらを見ている。
復讐。仕返し。その手段として自殺を使ったように聞こえた。そんなのまるで、僕と同じだ。
たった一つしか無い命。たった一度きりの人生。僕の為にわざわざそこまでするだろうか。信じられることではなかった。
「なんで、どうして僕にここまでするの。してきたの」
人をいじめるにも命をかけるなど正気の沙汰ではない。今まで彼がやってきたことにも付随するが、彼の行動に説明をつけるのは不可能だ。
「あ? 知るかよ」
予想通り、期待した答えは返ってこなかった。
「ひひ、お前の嫌そうな顔が見れて最高だよ」
ふと思った。彼はずっと視えるのだろうか。一体いつまで?
亡霊と共に歩む未来。ひどく目眩がした。それを察したかのように清峰は顔を近づけ、憎たらしく言い放った。
「お前の人生めちゃくちゃにしてやる。ずーっと付き纏ってやるよ」
激しい怒りが全身を襲った。恐怖よりも先に。気づけばぶんっと腕を振っていた。風を切る音だけが耳に入る。
そこに清峰は居なかった。光り輝いて消えるわけでも、影に沈み闇に溶け込むわけでも、霧散するわけでもない。
ただ意識の外に住処を変えるように、忽然と姿を見せなくなってしまった。
「朝から辛気臭え顔してんな」
寄生虫でも益虫なら許容出来る。だが害虫となれば話は別。僕が死んだところで彼が行き場を失うかは分からない為、共生関係かどうかは今のところ不明だ。
朝から清峰は纏わりついた。起床時から朝食までは姿を見せなかったので、昨晩は疲れていたのだろうと高を括っていたが、家を出るや否やその全身を視認させた。
通学路が息苦しい。寒さに耐え忍びながらも下を向いていればいずれ辿り着いた校門も、今日は遥か遠くに感じる。
やがて彼の声よりも周りの雑音が大きくなっていく。
「みんな、お前みたいな奴ばっかりだ。つまんねえ人生送ってる。それを受け入れてる顔してる。世界に謙ってるって慢心してんだよ」
詩人のような言い草だ。そう思った。
ある点に気がついた。彼の意見や主張を聞いたのは久しぶりな感覚だったからだ。
思えば、彼と長く話したのは進級した最初の日だけかもしれない。彼は僕を虐める際、そこまで口数は多くなかったと記憶している。いじめられていた時、彼の声を聞かなかったわけではない。ただ一方的な要求であったり感想を述べられていただけだった。
こうして、僕に触れられなくなった今、話すことでしか僕に害を与えられなくなったからだろうか。
亡霊となったことで、清峰高貴と「会話」をするに至ったのだ。
「でもまあ、お前ほどタチが悪くはないわな」
僕は目を丸くした。
理由もなく嬲ること、それが彼の趣味だと今でも思っている。そして僕が狙われた以上、彼が満足するまで逃れられないのだと。しかし清峰は、初めて僕の短所らしきところを口にしたのだ。
もしそれが僕をいじめる理由たり得るものならば、聞き捨てならない。
「僕の性格が悪いとでも。清峰くんがそれを言うのかい」
清峰は沈黙を選んだ。ただそれはほんの少しの間だった。
「言葉一つ満足に伝えられない人間に何言っても無駄だ」
昨晩の苛立ちが再燃した。所詮彼は亡霊。生き残ったのはこちらだし、社会的にも抹殺されたのは清峰の方だ。つまり最終的な勝者は僕。
彼を気に留める必要はないだろう。僕は無言で教室へ向かう足を速めた。
教室に入ってから朝の読書、朝の会を終え、程なくして授業が始まった。今のところはこれまでとなんら変わりない、誰も話しかけてくることなく時間が過ぎている。清峰は「粗相の無いようにしますよ」といって以降は静かにしていた。
卒業までこうなのだろうか。後一年と少しの間、辛坊に努めなくては。僕は諦めの入った決心を固めることにした。
静かにする、とは言っていない清峰。彼は授業中、教室を練り歩いた。僕は視界に入れると雑念が集中を欠くと思った為、ノートの版書に注力した。それでも時たま気になって彼を観察すると、彼は一昨日会った筈の友達を懐かしそうに見ていた。
僕以外におちょくっていたうちの一人、内気で肥満体系の丸岡の机の上に座り込んだり、明るくて顔も可愛いと人気の少しやんちゃな女子、川野さんの目の前に立ち、右手をポケットに入れ股間を弄ったりしていた。
黒板に文章を写している目黒先生の頭部に目一杯の息を吹きかけていた。先生がかつらを着けていることは有名だが、それはびくともしていなかった。やはり「こちら」のものに干渉することは出来ないらしい。彼の存在を幻と決定づけようか。
給食を終え、昼休みに入った。
誰も何もしてこない。それは不思議な感覚だった。亡霊の存在よりも奇妙に思われた。
せっかくの昼休み時間、徒に時が流れるのは勿体なく思い、約一年ぶりに図書室へ向かった。
小学校で見ていた光景より閑散としているのが分かる。中学にも上がれば、読書の割合はさらに減るのだろう。ひとりでに動くと思っていた清峰も付いてきた。何も出来やしないというのに。
本棚を物色する。特に目当てのものは無いので、興味の引くものを探した。
「お前に本なんて分かるのかよ」
清峰の耳障りな声が鬱陶しかったが、ここで向きになれば彼の思う壺だと、ぐっと堪えた。それにここは図書室、声を荒げたりは厳禁である。
時折、清峰のぼそぼそとした声が耳に入った。何やら図書室は初めてではないようだった。意外だった。彼とは無縁の場所と思っていたから。登校時のことを思い出す。彼は読書家なのかもしれない。僕は自分の突飛な考えを笑った。
一冊の分厚い本を手に取った。長編小説だ。もちろんこの短時間で読み終わるなどと初心者のような考えを持ってはいない。ただ、久しぶりの自由な休み時間。本の世界に没頭したく、自然とそれらしいものを選んだのだ。
タイトルは「タイプライターの悪魔」。小説のネタを探している作家の主人公が、その素材集めとして殺人に手を染め、次第にその衝動が抑えられなくなっていくという物語だ。
表現者やその道の天才というものは、得てして過激な行動や思想に行き着く。まるきり荒唐無稽な話とは思わず、帯の紹介文やあらすじを読んだ瞬間にこれだと決めた。
「タイプライターの悪魔」
そう読み上げる清峰をよそに本を開いた。
「文字数は多いぞ。見てくれだけじゃない。はっ、児童文学以外のちゃんとした本も読むんだな」
僕を軽視した発言に堪らなくなった。
「読むさ。君と違って映画ばっかりじゃない。それに、映画だって表面的な解釈しかしていないんだろう?」
小声で反論をした。この空間で話すこと自体気が引けたが、最低限「清峰」という単語は使わないようにした。ずっといじめられていた人間だ、独り言くらい頭がおかしいで済まされる。
「何だと」
体が固まるようだった。彼の反感を買ったのが分かった。長きに渡っていじめを受けた体は、冷や汗を止められはしなかった。
「お前みたいな馬鹿と一緒にすんなよ。お前が何を読んできたのかは知らねえが、本から得てるものが何もないからそんな人間に出来上がるんだろ。教育だってたかが知れてる」
感情的になっている。やはりこの八ヶ月強の間、見たことの無い側面だ。僕は思った。彼を知ることが出来るのではないかと。彼を知れば、僕をいじめた理由に納得出来るかもしれない。
自分でも驚いた。新鮮な感覚だった。物事を解決する最たる手段である対話を、実際に彼との間に結びつけるなど少し前では考えもしなかっただろう。
「自分は賢いって言いたいの。色んなものに触れて物事の善悪が分かったり、常識的な道徳心や倫理観があればいじめなんてしないと思うけど」
僕は本に目を向けたまま忌憚なき意見を述べる。
「綿貫ぃ」
彼の声が大きくなったのを感じた。音量ではない。耳元で囁いている。
「お前さ、人を見下してるだろ」
「!」
彼ははっきりとそう言った。自己紹介などではない。僕に対してそう吐いた。
「自分は何でも分かってる、分別がつく、正しい。その前提を信じて疑わない。もうそれが傲慢だよな。でもお前は頭の中でしか行動しない。周りは人間でも、お前は蟻だよ」
人間性を悉く否定された気がした。体の傷とは異なる痛みだった。
「君が何を知って」
「知ってるさ」
言葉を遮られた。確信があるように見える。
「お前を見てた。誰よりも」
「え」
「言いたいことは噤んで、やりたいことは抑えて。現状に満足していないのに改善する気はねえ。人との違いを探し、実は優れているんだぞと小さな悦に浸って自分を保つ。狭隘で矮小だ」
僕を貶める言葉の羅列。彼の眼差しは例えようがなかった。同性愛でも特別な興味があるわけでもない。理由は分からないが、本当に僕を観察した結果なのだろう。
そして、彼の言葉の全てを否定することは出来なかった。
「一度くらい俺を殴ってみろよ。ずっとそう思ってた。でもお前はしない、出来ない。だが、ある時からお前の目に僅かに希望が灯り始めた。きっと何か俺に反抗するもんだと思ってた。だけど、それはいつまで経っても行われなかった。だから俺は考えた、その反抗は何だろうってな。俺に直接干渉する勇気のないお前がする意趣返し。すぐに答えは推測出来た。自殺だよ」
その洞察力には舌を巻いた。心の中を見透かす超常的な能力を有しているのではないかと疑った。
「くだらねえ。俺を人殺しに仕立て上げるのが精一杯かよ」
言い返せなかった。
「だから、同じ手でやり返してやったんだよ」
清峰は得意気にそう言った。僕への嫌がらせが自身の命と吊り合うだけのこととは到底思えない。
「そんなことの為に、この世に未練は?」
「無え」少し言い淀んでいたように聞こえた。
「なわけっ」
「ちょっと静かに」
気づけば声量が大きくなっていたらしい。亡霊に感情的になっていた自分を恥じると同時に、声の主に心を奪われた。
「綿貫くん、ここ図書室だから」
藤代さんだった。
そういえば彼女は図書委員だった。本を片手に、僕を注意しに来たのだ。周囲にぽつぽつと座っている生徒らの視線を感じた。
「ご、ごめん」
謝り視線を下に落とす。すると、藤代さんの声が小さく聞こえた。
「放課後、時間あったら教室に残って。話があるの」
彼女を再び見ようとした時には、背中の腰あたりまでに伸びる長い髪が視界を埋め、徐々に遠ざかっていった。
清峰のことは、忘れていた。
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