しれっと、バレット
寝苦しさに目覚めた今朝だ。風を通そうとカーテンや窓を開けると凛々しい柿の木が正面にいる。その年老いつつもまだ生命のきらめきを濁さない美しい木にいくつもの蝉が群れては鳴いている。ミンミンゼミ、アブラゼミたちだ。僕はすっかりその夏の大気に水分を奪われて炭酸水を喉を広げて飲んでいる。
キウイは濃い緑と薄い緑の葉が混合し重なってはのさばって、またそのあました生命力で弦をどこまでも高くと伸ばしている。真夏の直射日光に照りつけられても尚、それを養分にしてやろうという強欲な姿は、夏を象徴しているようで高貴だ。
鹿田です、よろしくね。
夏の最中にいるとなんでも楽しくなってしまうというもので、仕事もはかどって尚食指が動きあれやこれやとしていた日々だ。それでついついnoteの方は疎かになってしまっていたが、まあ、悪い傾向ではない。仕事とnoteの均衡がとれていればいう事なしではあるのだが、そのnoteを空かした理由が怠惰や倦怠ではないのなら良いのだ。そしてその感覚は自らが一番理解しているわけで、成長と受け取ってもおかしくはない。夏の鹿田はハイパーポジティブなのだ。
7月はじまりのモレスキンスケジュール手帳と、格子線のモレスキンを買った。1冊まるまるノートを使い切る経験がなかった鹿田にはまたこれも大いなる1歩で、ちゃんと、1冊を使い切ってからの2冊目モレスキンなのだ。汚く綺麗に書き込んだ古いモレスキンは、ページをぱらぱらと捲るだけでも気持ちがいい。ひとつひとつに思い出があり、経験があり、考察の過程がある。…若干、落書きが多すぎるのが玉に瑕だが。けけっ。
それでまた新しく美しい1ページを書くにあたって、今回はどのような使い方をしようかと一瞬とどまったのだ。僕は夏に自信があっても自分自身に対する自信は意外と低い人間なので、ついつい他人を参考にしてしまうきらいがあるのだが、(夏だからこそ、正々堂々と明かせるのだ。)それは今回もそのままでネットやインスタグラムで色々な人の手帳の書き方を漁っていた。それで一番気に入ったものを真似できるのならそれが一番なのだけれど、鹿田はどうにも悪筆で、字に対しても自身がない。(それはもしかしたら人からみればそこそこなのかもしれないけれど、ここでも隣の芝生は青い現象が起こってしまうのだ)字を気にせず、また実用的に継続できる手帳術はなにかないかと必死に探していたところ、とうとうそれに値するものがみつかった。
それは
『バレットジャーナル』
簡単に説明すると、箇条書きをメインとした手帳の取り方だ。数年前に流行ったらしいのでご存じの方の方が多いだろう。僕は毎回ブームが遅れてやってくることがお約束なのでね。
そしてこれならいける、と思った。尚内容も今までのノートの書き方より充実できると。僕はついつい空白恐怖症という訳でもないのに余白が嫌いで色々埋めたくなってしまう傾向があり、それで書く事がなくなると無理やり絵をねじ込んだり、意味のないような雑文を挟んだりしていたのだが、そこら辺のものは後から読んでも希薄で実際のことろ大して面白くないのだ。しかしこのバレットジャーナル法で書くならば、その余白さえ美しく見えるところもメリットだ、また見やすさというダブルメリットすらある。それでこれにしようと昨日から始めた次第なのだけれど。
またバレットジャーナルは最初のページに目次欄をつくり、また各ページにもページ数をふることが前提になっているので、あのメモどこに書いたっけ?といったこともなくなり、かなり効率的なのだ。いいものをみつけてしまったな。きっと汚い手帳で定評だった鹿田もこれを機に綺麗な手帳になれるはず、職場のみんなを見返させてやるぜっ!
と、不純な動機に奮い立ったところで、今日も唐突に終わる。