気が乗らない仕事への向き合い方
おはようございます、大鹿です。
どうしても気が乗らない仕事ってありますよね?
期日まで時間があると、なおさら先延ばししてしまうものです。
「だから期日を立てて計画的にやろう」というド正論を言うつもりはなくて、どうすれば気が乗らない仕事と向き合えるかなぁ、と最近考えていました。
そもそも気が乗らないとはどういうことだろう?
やりたい仕事ではない
工数がかかる
労力に対して割に合わない
得るものが少ない
単純作業
かなり頭を使う
少しレベルが高い、困難
などなど。いろんなパラメーターがあると思います。
このうち「面倒だから後回しにしたい単純作業」系は除外しましょう。仕事だから、結局イヤでもやる(笑)。「割に合う・合わない」もそう。
すると、気が乗らず先延ばしにしがちな仕事とは、「困難で」「それなりに工数がかかる」あたりが問題なるのかな、と。
こうしたハードルの高い仕事に向き合うには、「やり遂げた自分をイメージしよう」といったことがよく言われるようです。やり遂げて周囲に評価されている自分とか、大きな仕事を獲得してガッツポーズを決めている自分とか。
一理はある。
が。たぶん私もそれまでの人生、困難があるたび、無意識でやり遂げた結果をイメージしてがんばろうとしていたと思うのだけれど、あまり効能を感じない。
あなたはどうですか? どう乗り切っている?
これでうまく気が乗り切る人もいるかもしれないですが、プロセスをすっ飛ばして結果をイメージすることは、イメージより妄想に近いというのが私の考えです。
瞬発的にやる気が出るかもしれないが・・・
じゃあ、ということで意識してみているのが「結果ではなくプロセスをイメージする」です。
達成した自分ではなく、達成に向かってテキパキ動いている自分をイメージする。
うまくやれている自分をイメージする。
困難な仕事の中にもきっとある、オモシロポイントに取り組む自分をイメージする。
たとえば、私は主業でライターをしていたことがあるので今でも書き物の仕事を依頼されることがあります。
これは先ほど挙げた私のパラメーターでは「頭を使う」に当たりまして、お恥ずかしい話、気が乗らないことが多いです(汗)。
全部が全部じゃないですけどね。「やってみたい!」と思えることもあります。
ともかく気が乗らない書き物仕事があるとき、私の場合、文章構成をうまくまとめつつある自分をイメージしてみるようにしています。
構成を考えるのが、パズルをするみたいに一番頭を使います。だから、その作業が終盤に差し掛かっている自分を想像してみる。
するとこれは遠すぎる結果ではないから、「やれそうだな」「気が乗らなかったけどこういうポイントに楽しみがありそうだな」という気づきがあり、スイッチが入ります。
「思考は現実化する」と言われますが、まさに思考は現実化するのだけれど結果が現実化するかどうかは誰にも分かりません。
結果を現実化できるということは、限りなく結果への道筋が見えている状態だと思います。
しかし、そもそも妄想では現実化しようがない。
考えていることは現実化できます。考えられることとは、不明瞭な結果ではなくプロセスを歩いている自分のこと。
こういうふうに頭を切り替えてみたら、比較的、気が乗らない仕事にも向き合えるようになりました。
比較的、と書いたのは完璧に、ということではないから(笑)。気が乗らないものはそりゃあ、人間だからある。
けれど時間やお金を使うものでもありません。気が乗らない仕事がある人は話半分でも真に受けていただいて、トライしてみていただけるとうれしいです。
「結果ではなくプロセスをイメージする」です!