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「なんしょん?」が言えるようになってきた。

―環境が変われば、嫌でも人は変わることを実感したお話。「いくつからでも変われる」というのはいいことであり、意識的に環境を変化させていくことが成長には必要です。

もう二度と話せないのでは? と思っていました。

昔、地元から都会に出ていくときは割とすんなり標準語に移行できたのですが、十年以上暮らした東京から香川県に戻ってから、「讃岐弁」を話すのにとても違和感がありました。

「なんしょん?」→「何してる?」
「◯◯やったけん」→「◯◯だったから」
「よっけ」→「たくさん」(これはまだ言えない)
「うまげ」→「美味しそう」(使ってたっけ?)

生まれも育ちも香川県。母親は県外にほとんど出たことがない、コテコテの讃岐弁ユーザーです。家庭のなかで交わされる、コテコテ讃岐弁と標準語のやり取りは、なんか変な感じでした(笑)。

まあでも、僕が讃岐弁を話そうとすると、より「変な感じ」なのですが。聞くぶんには問題ないのですが、自分で話そうとすると、とてつもない抵抗を感じるんですね。

「英語の上達にはネイティブのシャワーを浴びろ」なんていいますが、そんな僕でも讃岐弁のシャワーを浴び続けていたら、だんだん違和感がなくなってきました。讃岐弁初級編くらいだったら、また勘が戻ってきた感じ。

まだまだ矯正には時間がかかりそうですが、標準語まがいの讃岐弁を話すマルチリンガル状態でございます。

香川に戻ってきたときは本当に、「ああ、これはもう地元の方言を話せない気がする」と直感するくらい諦めていました。それでも、「それが当たり前」という環境に身を置けば、嫌でも変わるものですね。

付き合う人を変えたり、他人が見聞きしたことを体験したり、その人が使っている言葉を使ったり…何も場所を変えるだけじゃなく、あり方を変えることも環境を変えることだと思います。

未体験のシャワーを浴び続けると、今までの考え方も習慣も、徐々に変えていくことができる。慣れないことでも、いくつからでも、人間というのは環境で変われるものですね。(動物は環境や習慣の変化を何よりも嫌い、死を選ぶことさえあります)

変化に対応できることは人間に標準装備された優秀な機能なので、意識的に使いこなさない手はないな、と感じる今日この頃。

今年もあと3ヶ月弱ですが、2021年のうちにもう1つくらい、変化の兆しを作ってみるのもいいかもしれません。脳が「ナンカチガウ」と違和感を感じるなら…それは逆にチャンスですよ!


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