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サイ・トゥオンブリーの作品が映画『On the Rocks』に出てくる理由
《週末アート》マガジン
いつもはデザインについて書いていますが、週末はアートの話。
ソフィア・コッポラの映画『On the Rocks』に出てくるトゥオンブリーの作品
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Image source: movie On the Rocks
ソフィア・コッポラの映画『オン・ザ・ロックス』のなかにこんなシーンとセリフがあります。
“I'm dying for that Thombly”
(あのトゥオンブリーが欲しい)
しかし、これトゥオンブリーが何か(誰か)しらないとちょっとよくわからないセリフなんです。上記の写真の二人が腰掛けているソファの後ろに掛けられているのがトゥオンブリーの作品。というわけで今回はトゥオンブリーとはどんなアーティストだったのか、をご紹介していきます。
サイ・トゥオンブリー
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By Francois Halard - Original publication: guardianImmediate source: https://www.theguardian.com/artanddesign/jonathanjonesblog/2008/jun/03/cytwomblytheonlygraffitia, Fair use, https://en.wikipedia.org/w/index.php?curid=46987635
サイ・トゥオンブリーは1928年生まれ、2011年に死去したアメリカ合衆国のアーティストです(1957年29歳からはイタリアで活動し、死去したのもローマ)。享年は88歳。画家であり、彫刻家であり、写真家でもありました。トゥオンブリーの作品は時代によって大きく変わりますが、有名なのは、グレーの背景に筆記体の“e”または“l”の字を続けて描いたカリグラフィーのような作品。
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Image source: artnet
ちなみにこの作品、なぜ有名かというとニューヨークの競売サザビーズ(Sotheby's)で7053万ドル(当時約87億円)で落札されたため。この作品は、グレーのキャンバスに自家製の油性絵の具とワックスクレヨン、鉛筆を使ってぐるぐると6本の線が描かれたもの。トゥオンブリーの代表的な連作「Blackboard(黒板)」の一つで、1968年に描かれたものです。
日本では、大阪の国立国際美術館や香川のベネッセハウス(直島町)が作品を所蔵しています。
25歳ごろ、アメリカ陸軍に従軍し、暗号制作をしていました。さてもう少し彼の来歴と作品に迫ってみましょう。
トゥオンブリーの人生
トゥオンブリーは、1928年4月25日にバージニア州レキシントンで生まれました。父はシカゴ・ホワイトソックスの投手として活躍し、「サイ(Cy)」の愛称で親しまれていました。トゥオンブリー本人と彼の父のこの愛称は、カージナルス、レッドソックス、インディアンス、ブレーブスなどで投手として活躍した野球界の巨匠、サイ・ヤング(Cy Young)にちなんで付けられたもの。
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By Charles M. Conlon - Mears Auctions, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=33826255
12歳のとき、トゥオンブリーはカタロニア・モダンの巨匠ピエール・ダウラ(Pierre Daura)から美術の個人レッスンを受け始めました。
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By Musée National d’Art Moderne, Fair use, https://en.wikipedia.org/w/index.php?curid=33150875
1950年から1951年(22歳から23歳)にかけて学費の奨学金を得て、ニューヨークのアート・スチューデンツ・リーグで学びます。
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By Beyond My Ken - Own work, CC BY-SA 4.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=14200614
1951年と1952年ではブラックマウンテンカレッジ(ノースカロライナ州ブラックマウンテンにある私立のリベラルアーツカレッジ)で学びます。そこで、フランツ・クライン(Franz Kline)、ロバート・マザーウェル、ベン・シャーンに師事し、ジョン・ケージと出会いました。詩人であり学長でもあったチャールズ・オルソンは、彼に大きな影響を与えたようです。
マザーウェルは、1951年にニューヨークのサミュエル・M・クーツ・ギャラリーが企画したトゥオンブリーの最初の個展を手配しました。この頃のトゥオンブリーの作品は、フランツ・クラインのモノクロのジェスチャー表現主義や、パウル・クレーのイメージに影響を受けていました。
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Image source: MoMA
![](https://assets.st-note.com/img/1678275520802-YhKBTc2xTi.png?width=1200)
By Paul Klee - Solomon R. Guggenheim Museum, Public Domain, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=64890629
1952年(24歳)、トゥオンブリーはバージニア美術館から助成金を受け、北アフリカ、スペイン、イタリア、フランスへ旅をしました。このアフリカとヨーロッパの旅では、ロバート・ラウシェンバーグとも過ごしていました。1954年(26歳)、トゥオンブリーはワシントンD.C.で暗号解読者としてアメリカ陸軍に従軍します。
1955年から1956年(27歳〜28歳)にかけては、バージニア州ブエナビスタの南部神学校と短大(現在のサザンヴァージニア大学)で教鞭をとり、夏休みにはニューヨークへ行き、ウィリアムズストリートのアパート絵を描いていました。
1957年(29歳)、トゥオンブリーはローマに移り住み、ここを主要都市とした。そこで、イタリア人アーティスト、タチアナ・フランケッティ(彼のパトロンであるジョルジオ・フランケッティ男爵の妹)に出会います。二人は1959年(31歳)にニューヨーク市庁舎で結婚し、ローマのモンセラート通りにパラッツォ(館邸)を購入。さらに、ローマ北部のバッサーノ・イン・テヴェリーナに17世紀の別荘も所有していました。
1964年(36歳)、トゥオンブリーはガエタ(イタリアラツィオ州)のニコラ・デル・ロスキオと出会い、長年の伴侶となる。トゥオンブリーは、1990年代前半にガエタで家を買い、スタジオを借りていました。トゥオンブリーの妻タチアナは2010年に亡くなってしまいますが、それまで二人は離婚せず、友人であり続けました。
2011年7月(83歳)、数年前から癌を患っていたトゥオンブリーは、短期間の入院の後、ローマで死去します。
映画に出てくるトゥオンブリーの作品
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Image source: Some melodious Plot
(無題)ローマ(1961)、これが映画『オン・ザ・ロックス』に出てくるトゥオンブリーの作品です。この作品のあとにクロード・モネの『睡蓮』も劇中に登場します。そして驚くべきことに、これらの作品は、本物だということです。映画のために貸し出されたものでした。
モネを隠すように飾り、トゥオンブリーを人々が集まる客間に飾っているで、ソフィア・コッポラが描こうとしているのは、有名だけれど美しいものをひと目に触れるように飾ることで受けるであろう誤解を避け、一見わかりにくく、とは言え有名ではあるトゥオンブリーを前面に持ってくるシニシズムまじりの審美眼を持っていると自負する人々の行動傾向なのではないでしょうか。
その他のトゥオンブリーの作品
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By Pedro Ribeiro Simões from Lisboa, Portugal - Untitled (1957) - Cy Twombly (1928 - 2011), CC BY 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=95138780
![](https://assets.st-note.com/img/1678268241343-gMghaxw9At.png?width=1200)
By Jean-Pierre Dalbéra, Cy Twombly - https://www.flickr.com/photos/dalbera/7401845292, CC BY 2.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=61894537
トゥオンブリーは、ギリシャ神話をよく題材として選んでいました。また抽象的ながら、プリミティブに性的なものを含めた衝動を描写していました。
まとめ
映画では、ときに観客のほとんどには伝わらない背景を綿密に組み立てていることがあります。出てくる絵画、音楽など。例えば、映画『007 スカイフォール』ではウィリアム・ターナーの絵が出てきますが、これはまあまあわかりやすい描写だったんですが、モディリアーニの絵は「盗まれたものがここで流通している」という描写で、これはモディリアーニの絵について詳しくないと読み解けないんです。こういう符牒(ふちょう)のようなものがあるときがあります。
そこに気づいてしまうことがあれば、わたしたちは一つの呪文に囚われたようになります。その呪文は「誰かにこれを話したくなる」という効力をもったものです(笑)。
とまれ、小説などのフィクションを書いていると人や設定や描写について何度も何度も考えているうちにこういうことを盛り込みたくなるもので、それをいかに衒学的に見えないようにするのか、ということにも労力をかける必要があることもあったりします。がトゥオンブリーについてはこのへんで。
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参照
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