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意気地なしが生き延びる

私は高校二年生の秋からパニック発作を繰り返していままで生きている。
詳しくは下の記事を見てほしい。
パニック発作の言葉を知っていても、精神疾患を知っていてもその症状がどんなものなのか知るのは当事者だけである。
少しでもその辛さを知っている人が増えればいいという思いでこの文章をつづる。

強迫観念編

私が幸せになってはいけない

当時、わたしは親友の転校を止めることができなかったと後悔していた。
実際、彼女は持病で出席日数が足りず通信制に移らざるを得なかったのだが、自分のせいにすることが一番楽だし、彼女の退部を夏に私が受け入れていれば転校までは至らなかったのではないかと考えていた。
だから私は、自分が幸せになることを禁じた。

食べてはいけない

私の中で食はかなり重要度が今高い。それはこの反動もある。
当時私は固形物を食べることができなかった。
お昼もかろうじてスープジャーに入ったひっつみ(小麦粉を水とこねてゆでたものとお出汁)がゆるゆるになったものを無理やり口に突っ込んでいた。
なんとか口に運ぶことをしていたのは、周りに気づかれないようにしていたからだ。
お米も本当は大好きで今では焼き肉屋で平気で大を食べるほどであるが、当時は3時間の部活と過呼吸で体力を使い切っているはずなのにご飯は一口口に運ぶのが精いっぱいだった。
とにかく、固形物やおいしいものを食べることを拒んでいた。
親友は転校という負の体験をするのに自分だけが楽しいと感じることが許せなかった。
生まれてこの方ずっとぷくぷくしていたのだが、当時は食べても食べても体重が減って、肋骨が見えるほどだった。

先ほど反動で今は食にこだわりが強いといったが、これが逆にこだわりになってしまって軽い強迫観念になっているため困っている。
食べなかった時期があった、というか食べられなかった時期があったからこそ空腹に恐怖のようなものがあって常に満腹にしたいという気持ちが強くある。
加えて、当時ひっつみしか食べられなかったからか、味の濃いものやおいしいものへの執念がとても強い。
当時、保健室の先生に食べれていないことがばれた時
「ご褒美で毎日おいしいもの食べな。ストレス解消にもなるよ。」
といわれて久しぶりの糖分をとった。
それから何かあったら食べないとと強迫的に考えるようになってしまった。
完全に食に依存してしまった。
実際体重は15kgほど一気に増えた。(薬の副作用もあるらしい)
痩せたくても強迫観念のようなもののせいで逃げられない。

笑ってはいけない

ガキ使ではないです。
幸せになってはいけないと思った私は笑うことができなくなった。
これが意外と私にはかなりくるものがあった。
当時私は部活内での副部長としての立ち位置というか、存在意義が見つけられていなかった。
そんな中でよくみんなに笑顔が素敵と言われていたことだけが自分の存在意義だった。
でも笑顔を封じなければならなかった。
そう、自分を縛った。
笑顔でいなければ、と、笑顔でいてはいけない、相反する二つの感情は私を混乱させ絶望の渦に落とし込んだ。
笑顔でいられない私に私の中での存在意義はなかった。

なんで私が副部長なんだろう
あ、いま後輩に挨拶ができなかった
暗い顔をした
どうしたんですかって聞かれた
もう意味がない
早くいなくなれよ


症状編

眩暈

眩暈っていってもクラっくらいだと思ったら大間違いです。
歩けません。

壁を伝ってるのに地面がグワングワン揺れていて
足が動かない 擦るようにして足を動かし
目が回りすぎて座り込んでしまう

これが毎日 本当に毎日続くのです

いまでもセルラトリンを飲まないとこの症状が出ます

幻聴

私は思考化声のタイプ(考えていることがすべて自分の言葉で聞こえるタイプ)っぽいので最近までそれが幻聴だと気づいていなかったのですが、過呼吸になりそうになったタイミングや、過呼吸になっている間は特に激しく幻聴が聞こえます。
当時は
「わたしのせいで親友はこうなった」
「わたしのせいだ わたしのせいだ わたしのせいだ」
「消えろ」
「死ね」
このあたりがよく聞こえてましたね
あとは忘れました

最近はレキサルティで日常的には抑えられているのですが、調子が悪いと後半二つが聞こえてきますね。

基本的に私の場合は自分の考えを話す声と同じなので気づきにくかったです。
あとはぶつぶつ言われるとかではなく、頭がそれだけになる感じで永遠にループします。過呼吸が落ち着いたり頓服が作用するまでは続きます。

これ割ときついです。精神的に。
まあ、思ってないことを定期的に吹き込まれるんですから一種の洗脳ですよね。

気づいたきっかけとしては「死にたい」って言葉が普通に楽しく生活しているときにもずっと聞こえてる時期があったんですよ。で、おかしいんじゃね?と思いました。

耳を通して聞こえてくるのとは違って頭の中で音楽鳴らしてる感じに近いです。

貧血・低血圧

実際貧血だったのか低血圧だったのかはさておき、表現するならばこれというような表現です。
立ち上がるたびに頭から血がサーっと消えていく感覚があって立てなくなったり、正座から立位に戻っても立てなくなってました。
だから授業もテストも全部終わるごとに立てなくなって廊下まででられないこともしばしば。
この貧血状態?によってパニックを起こして過呼吸になることがほとんどだったので冗談抜きで一日10回弱(HRと部活があるので)過呼吸になってました。

不眠

不眠というか寝たくないに近かったかもしれません。
寝ると嫌な夢を見たり、明日も来るし、怖かったんです。寝るのが。
夜が来るのが怖かったです。
一人だから考えてしまうし、死にたくもなる。
そんなことを繰り返したら自分では寝られなくなりました。
でもねられないとパフォーマンス最悪どころか生命の危機すらあったので車で片道1時間半かけて父に送迎をしてもらっていました。
たとえ5限や6限からでも父は快く送ってくれました。

過呼吸

過呼吸自体もまあそれはそれはきついんですけど、それに伴う脱力とかもきつかったです。
過呼吸は体力も持っていかれるし、意識も飛びそうになるし、幻聴聞こえてるし、めまいもしてるからもう気分最悪。
なのにだんだん手足の力が抜けて歩けなくなるとかじゃなくて座れもしない。
廊下に倒れこんじゃうんです。(うちの学校は土足)
土足とか関係ないですよ。力入らないんだもん。
床の冷たさ未だに覚えてますよ。
だから教員に担がれたり車いす乗ったりして移動してました。
特例でエレベーター移動を強制されるとかね。
過呼吸になりすぎて息が上がるとすぐ過呼吸になっちゃうんですよね。
だから階段も登れなくて。
体育も三年生になって参加した記憶がないです。
そもそも立てないから。
体力テストも保健室の先生に走り切ったあと元気でいられることを目指すように言われて1km11分以上かけて走ったのにそのあと動けなくなるし。
体育祭も開会式で立ってるだけで顔面真っ青になってテントにいましたね。
文化祭も前半保健室で過ごしたり。
授業は6月頭の時点で単位の危機が出席で来て、車いすで保健室と教室を往復してもらってました。

過呼吸ってさっきも言ったけどすごく体力も精神力も持っていかれるんですよ。だからなるのすごく嫌で。一時ひどくなりすぎないように抑えてたんです。そしたらその反動が来ちゃって。三時間くらい動けないことが度々。
潔く最後までだしきる?ほうがいいんだなってなりました。
ただ、部活後に1時間とかそれ以上動けなくなってしまうと最終下校時刻過ぎてしまって帰る人いなくなってしまうんですね。
ここでまた父が片道1時間半かけて迎えに来てくれていました。
お父さん、本当にありがとう。

希死念慮

死にたいと思う気持ちのことです。
わたしの場合幻聴があったので余計に希死念慮が強まるタイミングが多かったように思います。
希死念慮はかなり強いほうだったと思うのですが、リストカットなど自分を傷つける行為に及んだことはないです。
それはわたしに勇気がなかったからというか歯医者が怖いくらい痛みに弱いからです。
痛みが伴わない死に方があれば死んでいたと思います。
私の場合リストカットとかができない分、転換性障害のような形で脱力発作が出ていたのだと思います。
昔からむしゃくしゃしたりすると自分を殴る癖?はありますが特にきっかけとかがあるわけではないですし、最近はその癖が出ていません。
まあでも階段から落ちてみようとしたり7階のベランダから落ちてみようとしたことはありますが高所恐怖症なので辞めました。
電車は慰謝料高いって聞くし、死んでまで迷惑かけられないなと。
死にたくなったら大体ベランダに一回出て風にあたってスマホでいのちの電話かけるか悩んでると気持ちが私は落ち着いてきます。

さいごに

まあ最後にいうことなのかわからないですが意気地なしというか、勇気のない奴が生き残りますよね。結局。
あとリストカットできるうちは一瞬でも解消できてるけどしてない人が一番危ないですからね。出すところないから。
ちゃんと気づいてあげてね。


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