障害者の作業中のきもちがわかった気がした。〜異常な集中力(ゾーン)から考えたこと〜
特別支援学校で勤務しているとき、作業学習という科目があった。
単純作業を黙々とこなす生徒たち。
ぶっ続けで3時間は余裕。
ずっと同じことの繰り返し。
そして、手順を一度頭に入れればペースを落とさず、ミスもなく作業できる。
私も一緒に混ざって手伝うこともあったが、私はどうも単純作業が苦手なようだった。ペースも遅く、作業ミスも多い。
事務作業や単純作業をしたときに、これは好きではないかもな…と感じていたが、この経験で、完全に不向きと理解した。これは、向いてない。
だが、そう感じると同時に、
生徒たちは凄すぎる。
この異常な素直さと集中力は機械を超える。
このパワー、本当にすごい。
と心から尊敬した。
(ちなみに、作業学習という授業の一環ではあるが、地域の会社さんのご協力により、本物の製品を扱わせてもらっている。
納品の期限が迫ることも多々…世の中の製造業の仕組みをここでリアルに学んだ私であった。)
本日のこと。
そんな生徒たちを思い出す出来事があった。
掃除をしようと家の観葉植物を動かすと、床に敷いていたシート(紙製)が濡れて、床に貼り付いてしまっていた。
汚いのは嫌なので、とりあえずスクレーパーになりそうなものを使って、剥がす。
ガシガシ。
こすると取れる。
床が綺麗になっていく。
あとは、右側の親分を…
ここ、結構細かくひっついてるな…
とか思いながらひたすらにガシガシを続ける。
ガシガシ、ガシガシ、、、
これは無の時間だったかもしれない。
ふと、作業学習中の生徒たちを思い出す。
あ、こういう気持ちなのか。
みんな、この気持ちで作業していたのか。
楽しい!という感覚はないが、
何となく自然に楽しくて、
自然に次々と手が動く。
そして、私はすべてのひっつき虫を取り切った。充実。大満足だ。
障害のある方の集中力は、時にものすごいパワーを発揮する。
これを無のスイッチと呼んでみよう。このスイッチが入ると、感覚が研ぎ澄まされて何も考えずとも手は動く。いわば、ゾーンに入るということだろうか。
しかしながら、このゾーンに入るためには、自分に合った作業を行うことが重要であると考える。本人にとって嫌悪的なものでない作業の選定と提供が、教師または作業所管理者などに求められるのではなかろうか。
本日の私のケースでは、床のゴミ取りでゾーンに入っていたわけだが、もう少し社会的に活かせそうな事柄に還元したいものだと感じた。
230416