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短編小説|まだそんな格好してんの?
『まだそんな格好してんの?』
数日前、偶然街で再会した元彼に言われた言葉がフラッシュバックする。
目の前にいるのは、眉根を寄せて嫌悪をあらわにしている後輩スタッフだった。
「前から思ってたんですけど、先輩、着替えないでよくそのまま外歩けますよね」
先ほど彼女が放った言葉だ。
そのあとには、
──あたしには無理ですけど。
と鼻で笑われた気がした。
わたしと後輩は、働いているアパレルブランド〈プリムローズ〉の店舗裏の更衣室も兼ねたバックヤードにいた。
今日の仕事が終わり、帰り支度をしているところだった。
〈プリムローズ〉は、若い世代をターゲットにした、白やピンクなどの淡い色合いを基調にした、フリルやリボンがついたふわふわしたデザインのかわいい系のブランドだ。
元々かわいいもの好きだったわたしは、〈プリムローズ〉略して〈プリロ〉に出会って、一目惚れした。
まさに女の子のかわいいをふんだんに詰め込んだデザインは、見ているだけでため息が漏れた。いざ着てみると、本当の自分を引き出してくれていると思えるほどしっくりと馴染んでいて、ますます大好きになった。
それ以来、ずっと好きなブランドだ。
そんな憧れのブランドで働きたくて、服飾専門学校を卒業し、販売スタッフとして働けることになったときは、飛び上がるほどうれしかった。
目の前の後輩スタッフを見る。
一年前、中途入社した頃の彼女は、目を輝かせながら『ここで働くのが夢だったんです!』と言っていた。
しかし最近では、いつの間にか仕事の行き帰りは普通のOLさんみたいなきれいめ系の格好をするようになり、出社前と退社後で着替えて、お店に立つ間だけしか〈プリロ〉を着なくなった。
わたしと同じ二十五歳の彼女は、きっと恥ずかしくなったのだろう。
数日前、わたしが元彼に言われたように、いい年して、フリルやリボンがついたふわふわした格好をするのがいかにおかしいか。
そう思うと悲しくなった。
世間では、かわいい格好するのは若いうち。二十台も半分を過ぎたわたしは、そろそろそんな格好を卒業して、普通の格好をすべきだと、親からも一部の友人からも言われている。
でも普通って何なのだろう?
わたしにとっては、これが普通なのに──。
※
「はあ……」
ため息ばかりが漏れる。
元彼と後輩スタッフから言われた言葉が、一週間経ったいまでも耳に残っていて、棘が刺さったように胸がじくじくと痛む。
これからもこんな思いを抱えていくなら、もう、卒業したほうがいいのかもしれない……。
ぼんやりと、だが確実に、じわじわとそちらのほうに重心が傾いていることを感じる。と同時に、そんな自分がいやになる。
〈プリロ〉が好きなわたしの気持ちは、その程度なものだったんだろうか。
「どうしたの、ため息なんかついて? 今日はせっかくのハロウィンだよ! 楽しまなきゃ!!」
顔を上げると、艶っぽい笑顔の魔女がいた。
いや、魔女の格好をした友人だ。
とんがった三角の帽子をかぶり、体全体は黒いマントで覆われているが、着ているワンピースは体にフィットするようなデザインで、胸元を大胆にカットしたミニスカートは、彼女のスタイルのよさを十分に引き立てている。
ワンピースには黒と赤のレースやフリルもついているが、子供っぽさはなく、セクシーのひと言につきた。
「そうだね」
わたしは気持ちを切り替えるように言った。
今日はハロウィンだ。
渋谷のスクランブル交差点に集まった人々は、みんな仮装をしている。
骸骨や狼、頭にボルトが刺さったフランケンシュタインなどのおどろおどろしいマスクを被った人、ナースやメイド服を着た人、アニメや漫画のキャラクターになりきっている人など、いろんな仮装が入り乱れている。
都会の眩い明かりの下にあっても、どこか別の世界に迷い込んだみたいだ。
「今年のその衣装も手作り? かわいいじゃん。よく似合ってる」
魔女の格好をした友人が、わたしを眺めて言う。
服飾専門学校で縫製を学んだわたしは、デザインから縫製まで一通りこなせる。
友人の魔女の衣装も、数日かけてわたしが作ったものだ。
対するわたし自身の今日の格好は、赤ずきんちゃんだった。
金髪のウィッグに、フードつきの赤いマント。着ているワンピースは、ハイウェスト切り替えを太めのコルセットで締め、白と赤を基調にしたフリルとリボンをふんだんに使い、スカートはふわりと軽やかに広がっている。
足元は編み上げの茶色の革ブーツ。手にはかごを持っていて、その中に入れている造花も手作りだ。
そして渾身のできが、背中に背負っている、狼のぬいぐるみの形をしたもふもふのリュックだ。
遠目から見ると、リアルな狼がわたしの肩からぶら下がっているように見えるだろう。
今年もいい仕事ができた。ひとり満足していると、
「スミマセン、フォト、イイデスカ?」
急に声をかけられ、驚く。
振り返ると、スマホを手にした外国人の女性が立っていた。トレンチコートとデニムの服装は、ハロウィンのおかしな格好をしている集団の中で、逆に普通すぎて変な感じがした。
「OK!」
わたしは手でOKのサインを作る。
この女性も写真を撮りたいということだろう。すでに何人かからも声をかけられ、写真を撮られていた。
その誰もが、狼のリュックがかわいい、としきりに褒めてくれるので、わたしはとてもうれしかった。
でもうれしい反面、もうこういったことも卒業しなければいけないと思うと、胸が苦しかった。
結論の出ない問いから逃げるように、わたしは今夜だけの仮装と雰囲気を思いきり楽しんだ。
※
ハロウィンを楽しんだ週明け、思いもよらないことが起こった。
「えっと……」
わけがわからず、わたしは目を瞬かせる。
あの『よく外歩けますね』発言以来、ちょっと気まずくなっていた後輩が、店に到着するやいなや、わたしに頭を下げてきたのだ。
それだけでも驚くほどなのに、むしろそれ以上に気になったのが、
「その服……」
わたしは、彼女の格好を指さす。
ここ最近のきれいめな服装ではなく、〈プリロ〉の服を着ていたのだ。
それもいまお店に到着したばかりということは、後輩はその格好で外を歩いてきたことになる。
「この間は言い過ぎてすみませんでした」
彼女は吐き出すように言った。
「じつはあたし、数ヶ月前に友人から『まだそんな格好してるの?』って言われて、好きでしていた格好だったのに何か急に自信なくなっちゃって……。そんな自分がいやで、でも先輩は堂々と楽しんでるのを見て、つい当たってしまいました……」
呆気にとられながらも、すとんと心に落ちるものがある。
この後輩も、自分と同じ言葉を言われて傷ついていたのだ。
「ううん」
首を振ったわたしは、そっと彼女の手をとると微笑んだ。
「話してくれてありがと」
後輩は堪えきれなくなったように、目に涙を溜めた。
わたしはふと疑問が湧いた。
後輩の格好に目をやると、
「でもその〈プリロ〉の格好で外に出るのは、まだつらいんじゃない?」
わたし自身、元彼からの心ない言葉がまだ自分の中に残っていることもあり、訊ねていた。
「それがですねー」
後輩は急に元気を取り戻して、光沢のあるピンク色のキルティング生地にフリルのついたバッグの中からスマホを取り出す。
「これ! 見てください!」
目の前にかかげられたスマホの画面を見て、わたしは目を見開いた。
そこには、赤ずきんの格好をした女性の後ろ姿とともに、背負われている狼のリュックが大きく映っていた。
「え、これ」
わたしは言葉を失う。
「この〈#kawaii〉のツイート見ました? 狼のリュック、めっちゃリアルなんですよ! すごくないですか!? 昨日ツイッターで見て一目惚れしちゃって! どこで売ってるか検索してるんですけどね。で、このリュックを背負うなら、やっぱり普通のOLさんの格好じゃ無理だなって気づいたんですよね」
後輩はキラキラした笑顔を見せる。久しぶりに見る笑顔だった。好きなもののことを語っている彼女はこうだった、と思い出す。
その笑顔はずるいな、と眩しく思いながら、わたしもつられて笑う。
今度、この後輩に狼のリュックを作ってプレゼントしてみようか。
どんな顔で喜んでくれるだろう。
それを考えただけでわくわくしてくる自分がいて、普通なんて関係ない! わたしがわたしの好きなものを諦める必要なんてない! そう思った。
*twitterトレンド入り(2021年10月)ワード〈#kawaii〉をお題にした物語です。
*〈#kawaii〉・・・日本人以外が日本発祥の「Kawaii」という言葉を使うことは”文化の盗用”になるとタブー視する動きと反論する動きによるトレンド入り
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