【リブリオエッセイ】古代史をアップデートする方法
▼2024年4月 ふみサロ課題本
「世界をアップデートする方法」篠原 信 集英社
▼本文
古代史をアップデートする方法
古代史の知識がアップデートできるカンタンな方法。それは、阿波の古代史について学ぶ事である。邪馬台国(ヤマタイコク)論争(邪馬台国の所在地に関する議論)は、既に詰んでいる。読み方が間違っているだけの話。「邪馬台」の正しい読みは「ヤマト」。「台」が曲者で、難しい漢字なので「台」に置き換えられてしまった事が原因で、迷宮入りしてしまっているに過ぎないのである。
魏志倭人伝に記された邪馬台国に至る行程は、原文通り曲解せずに進むと、現在の徳島県神山町神領に辿り着く。すなわち、魏志倭人伝に記された邪馬台国とは、阿波の事を言っているのだ。隠された暗号は地名に隠されている場合が多い。由来を辿っていけば理由は言わずもがな、明らかなのではないだろうか?
奈良は阿波人による開拓から始まり、その後、皇都阿波に次ぐ、第二首都となった。地名も淡路島を鏡とし、左右対象で付けられていったので、阿波と同じ地名を奈良にもどんどん付けていった。四国側を倭(やまと)、畿内側を大倭(おおやまと)と呼んで区別し、飛鳥(あすか)の地名は阿波にも奈良にも存在していた。これは元々は阿波にいた「倭」が畿内に進出し、大きくなって「大倭」となった歴史を意味する。表記の変化で、やがて「大倭→大和」となった。阿波から奈良(大和)に遷都した頃には国号が「倭→日本」に変わっており、その時点で政治の実権を裏で操っていた勢力は、史実を隠そうとして古事記・日本書紀の編纂に関わった。古事記最大のヒーロー「倭建命」(ヤマトタケルノミコト)は日本書紀編纂の過程で、表記が「日本武尊」に変化した。これは古事記の本文は阿波で書かれたが、日本書紀編纂時には首都が奈良に置き変わっていた事を意味する。歴史の改ざんは、明治以降、更に進んだが、時は過ぎ、遂に開示の時がやって来た。
平成6年4月、徳島に一般財団法人「阿波ヤマト財団」が設立された。これは「邪馬台国」畿内説や九州説を論破する為に設立されたものではない。「和をもって貴しとなす」こそ日本精神である。真実の歴史を発信すると同時に、これからの日本の再生と世界平和に向けて力強いメッセージを、阿波より発信していく為に設立されたものである。私は設立日当日に個人会員として参加する事を決めた。また一つ、課せられた使命が増えた。そう感じたからである。古代史の知識をアップデートしたい方は是非、今後の徳島県からの情報発信を楽しみにしておいてくださいね!
▼今回の作品の執筆意図
今回のエッセイで取り上げている内容に関して多くの方の反応は「え? 何それ? そんなの学校で習った事がないよ!」と受け取るのが、普通の反応だと思います。しかし、皆が知っている日本の近代史について振り返ってみましょう。
例えば、真実の日本の歴史の中では「太平洋戦争」などという戦争は、ありませんでした。実際に日本が戦った戦争は「大東亜戦争(アジアを西洋列強の植民地政策から解放する為の戦争)」です。しかし、戦後GHQによる日本史の改ざんがあり「大東亜戦争」という言葉は抹消され、「太平洋戦争(日本がアジアを侵略する為に起こした戦争)」に、歴史が根底から書き換えられているのです。
同じような事が、奈良時代以前にもありました。6世紀以前、日本列島には西日本で阿波に首都を置く「倭国(やまと)」と、東日本に広がる「日高見国」という2つの国がありました。
以下、真実の歴史。
日本統一に至る経緯は、
①40代天武天皇の時代(国号は倭国。首都は阿波)
→倭国・大倭が日高見国を併合・統一。
大祓詞(おおはらえのことば)祝詞「~四方の國中(四国)と大倭(畿内)日高見國(東日本)を安國と定め奉りて~」
②42代文武天皇の時代(国号が日本に改まる。首都は阿波)
→701年、国号を「日本」に改める。
③43代元明天皇の時代(710年平城京以降より、首都が奈良)
→阿波から奈良(平城京)へ遷都。684年の白鳳大地震の被害が甚大で阿波の復興が遅れた。これ以降、家を失った阿波人の畿内への移住が始まり、急激に畿内の人口が増加していった。東日本から畿内に来た氏族が、政権の要職に就いた。712年「古事記」完成
④44代元正天皇の時代
→720年「日本書紀」完成。中身は創作、作り話が多く含まれ、全てが実際にあった話ではない。かといってデタラメではなく、真摯に日本各地の伝説・伝承を取り上げているものの、倭や邪馬台国に関する記憶は意図的に消され、ほとんど触れられていない。
明治以降の教科書でも「倭国」の歴史は隠されたままで、紀元前660年に神武天皇が奈良の橿原に都を開いて以降、奈良から始まった日本は紀元前から一つだったとされている。(首都が阿波にあった時代は消されているので、通説で歴史を学んだ人にとっては、阿波の古代史が隠された歴史となっているのです)
▼エッセイの流れ
①「起・興味」=「えっ? 何、それ?」
阿波の古代史を学ぶと歴史の知識がアップデートされます。
日本全国で唯一「倭(やまと)大國魂神社」は、阿波にしかありません。
邪馬台国を「ヤマト国」と読むと、阿波である事がバレる為、意図的に、「ヤマタイコク」と読み替えられた可能性も考えられます。
↓
②「承・納得」=邪馬台国は阿波だった。
邪馬台国の比定地は現在の徳島県神山町神領に当たる場所。
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③「転・共感」=古代史の常識をアップデートする。
・聖徳太子・憲法十七条「和をもって貴しとなす」の精神により、「倭」という字を「和」に置き換えたとも考えられる。
・現在の徳島県小松島市は、古代は「あすか村」と呼ばれていた。
・吉野川は、阿波にも奈良にも両方あり、左右対称になっている。
・古事記上巻に登場する神々を全員祀っている都道府県は、日本全国で唯一「徳島県」しか有りません。しかし、学者は、神社は証明にならないと謎の主張をし、四国のすべてを無視します。奈良と九州は、徹底的に発掘調査しまくりましたが、未だに決定的な証拠が見つかっていません。一方、四国は、まだまだ、ごく一部しか発掘調査が進んでいません。
↓
④「結・信頼」=「阿波ヤマト財団」の個人会員になりました。
ここまで読んでも、まだ「えっ? そんなの嘘でしょ?」って言う人がいるかも知れません。「はい、それもそのはず」です。未だに、相変わらず、N◯K等がテレビで邪馬台国を話題にする時は「邪馬台国は奈良だった」「九州だった」「卑弥呼の墓は箸墓古墳だった」「吉野ヶ里遺跡だった」と言って放送します。東大・京大の教授も、四国は無視します(民放では、過去に邪馬台国四国説が放送された事はあります)。しかし、あなたは学者が言っている事なら、何でも信用して、調べることもせず、鵜呑みにして信用してしまうタイプですか? 真実は実際に徳島県まで足を運んで、実際に現地まで来て見れば、明らかに真実(動かぬ証拠)が、はっきり見えているのです。
▼上記内容の裏付けとなるYouTubeチャンネルの数々の紹介
(現在、阿波の古代史が学べるチャンネルは、20種類ぐらいあります)
【↓ 邪馬台国は阿波だった ↓】
【↓ 阿波から日本が始まった ANYAチャンネル ↓】
※私は日本の皇室(天皇)が阿波から始まった事は確定であると考えています。しかし、日本はスーパー混血の国、世界中の血が混じった国で、縄文時代からのDNAが日本の風土を作ったと考えているので、何でもかんでも阿波から始まったとは思っていません。しかし、古代、ダントツに高い航海技術を誇り、列島を縦横無尽に往来できた人たちは、阿波人が一番最初だったと考えています。
【↓ 進撃の歴史旅(公平に見た結果、阿波説を評価している) ↓】
【↓ 阿波古事記研究会 ↓】
※追記、【↓ 邪馬台国の正しい読み方が分からない人向け動画 ↓】
邪馬台国=ヤマト国=倭国(やまとこく)が、正しい読み方です。
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