卒業研究、卒論執筆を振り返る

お久しぶりです。一ヶ月くらい空いたかな?
この一ヶ月間は卒業研究に時間をとられ、全くnoteを開けておりませんでした。

先日、卒研発表まで終わりあとは卒業待ちといった感じでようやく時間が取れそうなので、またnote書いていきたい所存です。
まずはここ一年間くらいの卒業研究諸々について振り返ってみようと思います。

2,3月

私の通っている大学では3回生の後期から研究室に配属され、卒研テーマの決定、実験室にある機器の使い方等の4回生での卒研に向けた準備を進めていきます。
私もそれに沿って配属された研究室で準備を進めていたのですが、この2,3月になって急に私の所属する研究室のボスが大学のお偉いポジションにつくことになったため研究室を変更する流れとなりました。
驚愕でした。元々年を越す前あたりから精神的に不調をきたしており、それでも研究室訪問など(他大学の院に進学する予定だったので)止まっていられる状況じゃないなとなんとか気を奮い立たせていたところにこれだったので普通にしんどかったです。加えて、研究室配属は成績順(GPA)で決まるということで、その研究室に配属されるために3回生前期はかなり頑張って極度の心配性である私でも安心できる程度まで成績を伸ばした末の、、、だったので結構喰らいました。
さらに、院の研究室訪問のために帰省するタイミングでの連絡だったので、変更先の研究室で充分に話をする機会もつくれず、、、
実家に帰らず一人でこの状況だったらこの時点でダウンしてた可能性あります。そう思うとよく頑張っていたのかも。院試(8月)までの時間を考えると止まっていられる時間がなかったから取り敢えず動き続けるしかないみたいな感じではあったけど。

4,5,6月

ひとまず進級し大学4年生となりました。
変更先の研究室もなんとか決まり、そこのボスから院試まではそちらに集中していいよと仰ってくださったので、週1のゼミだけは参加してあとは家でずっと院試に向けて勉強していました。
4,5月はTOEICを6月から専門科目の勉強といった感じでした。
この期間も2,3月と同じで、しんどくはあるけど止まっていられる時間がないのでなんとか動いて気持ちを張り続けていた感じです。ただ私は興味あることの勉強とかは結構楽しんで吸収できるタイプなので、そこでなんとか助かりました。
院試勉強に関して言うと、TOEICは本当にもっと早くから受けておくべきでした。院試の出願が6月で、そこでTOEICのスコアシート原本を提出する必要があり原本がTOEIC受験日の一ヶ月後に届く都合上、私は2回のチャンスでスコアを出さないといけなくなりました。
でも正直言うと、運良く4月の1回目で大丈夫そうなラインのスコアを出せたので5月のTOEIC対策は少し怠け気味だった記憶があります。

TOEICが終わってからはひたすら専門科目の勉強をしていました。
始めるにあたり、まず公開されている過去問を軽く見たのですが、全く解ける気がしませんでした。それでめちゃくちゃ焦ったので一日中勉強するようになりました。(意識して一日中やるようにしてた訳ではなく、それくらいやんないと本当に間に合わなそうだった)
取り敢えずよく参考にされている辞書くらい分厚い教科書を2,3周くらいしてノートにまとめました。これで語句問題とか選択問題とかはある程度解けるようになったのですが、記述、論述問題は半々ぐらいでしたね。
自分のTOEICスコアを鑑みて院試本番では6割程度とれたら合格ラインかなといった具合だったので、そこを目標にひたすら色んな大学院の過去問を解き漁りました。
そんなこんなで4,5,6月は割とあっという間に過ぎたような気がします。人と会う、話す機会がない分、特筆するような出来事も起きず気分が特別上下することもないパターン化された生活を淡々と繰り返していましたね。

7月

院試本番は8月なのになぜわざわざ7月で見出しを区切ったのか、、、
はい、鬱病になりましたね。
まあ正確には、先に記した通り去年末(2023年末)から精神的な不調をきたしており年明けて1月頃から心療内科に通院していたのですが、7月中旬あたりに正式に診断(?)された感じです。
それでも急にって訳ではなく、7月初旬あたりからかなり気分も落ち込んできていてがっつり希死念慮とかもあったりで。
原因としては院試への極度の不安感が膨らみに膨らんだ結果かなーと今では思います。私のパターンだと家族面、人間関係面の2つをそもそも恒常的な悩みとして抱えているところに、院試関連の不安がキングボンビーみたいに進化して2月からなんとか張っていた気持ちが切れてしまった感じですかね。
という訳で、7月と後に記す院試本番の直前までは基本ベッドに寝たきりで人間としての最低限の営み(食事、排泄)をこなすのでギリギリな状態が続きました。
今でこそね、こんなぽちぽち軽く書いてるけど辛かったでしょうね(他人事)。まあ別に今も、また別のことで絶望気味だし全然改善していけてないんだけどね。note書けてるだけマシか、、

8月

前述の状態が続いていましたが院試を受けるための帰省に向けて飛行機を取っていたので、まあ飛行機キャンセルする訳にもいかず、取り敢えず実家に帰省しました(実家のある東京の大学院を受けるため)。
正直院試は全然合格できる気がしなくて(7月は勉強できなかったし)、院試に落ちた後に就活するといった選択肢もあったのですが、当時の自分自身の状況からそれも難しいと思っていたため、院試に落ちたら取り敢えず大学はなんとか卒業して1,2ヶ月ほど休んで第二新卒(?)で就活しようと考えていました。
両親に精神的な不調(流石に鬱病と言われたことは隠した)とこの旨について話しました。
自分のこととは別の事情で家族は結構大変な状態になっていてそこにさらに負担をかけたくないしと話すことは躊躇っていたのですが、流石に卒業後の進路にも関わってくることなので話しちゃいました。案の定、困らせることになってしまい今でもかなり悪手だったと反省しております。
ただ、ここでは自分の子供ということもあり優しく受け入れてもらったのですが、この優しさに甘えてはいけないなと感じ院試に対して決意が固まりました(遅い)。落ちる可能性が高いにしても、受けるからには合格するつもりで全力でやり切らねば、と。
で、院試の結果としては受験した2校両方で合格をいただけました。奇跡だね。
両親に院試諸々の話をした際に、こんな自分を受け入れてくれる人達がいるのに死にたいだとか思ってしまうのは良くないし、死んでしまったらかなり悲しませてしまうことになるだろうからダメかもと感じ、この時期は希死念慮だったりが薄くなり精神的にも安定していたと思います。(あくまでも自分の場合に限る話で、希死念慮などを抱える全ての人を良くないと言っている訳ではないです)
そう思うと奇跡なんて言葉で片付けるのも失礼で、本当に両親、家族に恵まれたおかげだと感じます。頭あがんねえ

9月

怒涛の院試が終わり、9月は一旦休憩していました。正直見出しとして区切るまでもない。
卒業研究が研究室変更、院試により同級生と比べて遅れているという意識はあったため始めたい気持ちはあったのですが、(研究室変更の影響で)実験室の説明も受けておらず自分一人では中々進められない状況にあり教授に伺ったところ同研究室の同級生に似たテーマで卒研を進めている子がいるのでその子に教えてもらいなさい、と。
そこでその子と連絡を取ったのですが、中々活動時間が合わなく結果的に卒研を始められずに休憩といった形になりました。
今思い返すと、ここら辺で少しあったモヤっとした感覚、すれ違いが後々の卒研への取り組みに禍根を残してしまったなーと。

10月

10月からは大学後期が始まることもあり、なんだかんだ同級生との活動時間も合い実験の手順諸々をある程度教えてもらいながら卒業研究を進め始めました。
ただ全ての手順が一発で上手く進んでくれる訳でもないです。そうなった時にこの部分をこうしようかなーと改善案は考えられるのですが、それを実行するための試薬だったりの所在が不明で自分一人では中々思うように進められないといった事態が度々発生しました。教授もこれやれば、あれやればと提案はよくしてくださるのですが肝心の操作や機器の場所までは教えてくれずです。操作に関してはまあ自分の卒研なので自分で調べるべきだなと割り切れるのですが、機器だったり試薬の場所については分からなければどうしようもなくなんだかなあという気持ちでした。
そんな感じの鬱憤が溜まりつつも、コツコツと卒研を進めていました。

11月

正直10月以降は卒研を淡々と進めるだけで特別大きな環境の変化もないはずなのに一ヶ月で見出しが区切られてるのは妙ですね、、、
はい、二度目の気分の大落ち込みがきました。
7月に鬱病と言われ、そこから回復してまた鬱病という訳ではなく(そもそもそんな短期間じゃ中々治らないしね)、7月に気分の落ち込みが-100、9,10月で一度不調になってからはデフォの状態であった-70~-80を彷徨い、晴れて11月にまた-100に突入といった感じですね。
今回は例の如く恒常的な2つの悩みに加えて、卒研の中々自分一人では思うように進めづらいといった鬱憤が爆発した結果かな、と。
10月の部分を読んでいただけると感じるかもしれないのですが、正直同級生や教授にもっとズカズカと色んなこと聞くべきなんです。
ただ、これは私の悪いところなのですがあんまり聞き過ぎても迷惑になるかなと考えてしまい、人に頼れる所は頼るということができず自分自身で抱えてしまい自爆というクソ雑魚パターンです。
そんな訳で、10月下旬~11月中旬くらいは7月と同じような生活になってましたね。過去の記事でも書いた気がするのですが、一度こう落ちてしまうと時間の経過による解決を待つしかない自分が情けないですね。
12月頭にゼミで進捗報告があったので、流石に11月下旬あたりからは卒研を再開しました。
よく言われているけど一度休む選択をしてそれを続けると、どんどん再開への一歩が重くなりますよね。3週間ぶりに研究室向かう時はめちゃくちゃ心臓がバクバクしてたな。

12,1月

怒涛の研究ラッシュです。
そもそもスタートが遅かった、3週間ほどできなかったことから実験三昧でした。一日基本8時間くらいはしてたと思います。正直あまり記憶はない。
普通に身体的にも精神的にもしんどかったです。
ただ私は理不尽というか自分じゃどうしようもできないことが原因で発生する悩みとかで酷くメンタルを不安定にするパターンの人間で、今回のことに関しては自分がスタート遅れてしまったせい(大元を辿れば理不尽ではあるけど)だと思っていたので酷く長期間落ち込むところまではあまりいかなかった記憶があります。
ちょっとした笑い話ですが、私の誕生日である1/24にも正午くらいに研究室につき、日を跨いで2時くらいまでいた時には情緒がおかしくなりぽろりと涙を流しながら実験をしていました。思い返すと、自分では面白いです。

2月

2月頭に卒論最終提出、その一週間後に卒研発表がありました。
個人的には卒論提出はその場で直接フィードバックがある訳ではないので軽い気持ちで提出できましたが、卒研発表はその場で直接対面でフィードバックがくるのでとてつもなく緊張しました。
12,1月であれだけ実験をしたにも関わらず、あまり満足いく結果が出ず、なんというかショボい内容の卒論、卒研発表になっているなと自分で感じていたのも緊張の要因だと思います。
隣の芝は青く見えるなんて言いますが、ちゃんと青かったです。青く「見える」とかじゃなく、ちゃんと真っ青。


リハビリがてら大学四年生の1年間を振り返りました。
正直もう後半のほうは、卒業したら地元帰って別の大学院行くからという恥ずかしい開き直りでなんとかメンタルを保っていたように記憶しております。
大学院ではそういう恥ずかしい開き直りをしないようコツコツ頑張りたい所存です。

2025年を迎える前は今年も一年中身のない日々を送ってしまったかなと感じていたのですが、こうして文字に起こしてみると結構なボリュームになるもんですね。
またnoteをぼちぼち書いていけたらなと思うので、少しでものぞいてくださるとウレシイデス。
では、長々とありがとうございました。

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