今起こってるのは独裁じゃなくて「独裁感」+SNS時代の支配Tips。
国家レベルだとトランプ米大統領、習近平中国国家主席、安部日本国総理。企業だとUNIQLO柳井氏、Nissanゴーン氏、Softbank孫氏。
昨今の世の中、独裁化が進んでいるとよく言われる。それってホントなのだろうか?ホントだとしたらなぜだろう。
天皇陛下も新年挨拶で語っていたが、冷戦が終わって雪解けで平和が訪れるかと思ったら、世界各地で紛争やテロの嵐。国家レベルじゃなくて、企業・団体レベルでも内輪もめや創業家とプロ経営者の対立、お膳ひっくり返しなど 騒動に暇がない。
シンプルに考えると、民主主義とか多数決とかって、実は最も手数がかかり、変化とか革新、成長期に弱い非効率なシステムだということ。
だってそもそも下ネゴとかロビー活動が必要で、さらに議会(会議)で審議して、何段階もの決裁プロセスを経るという回りくどいしくみ。
それでも全員が納得してるわけでもなく、調整の結果の意思決定はパワーバランスに配慮した中途半端で効力のないものになりがちだ。
なので色々リーダーシップ論が唱えられるわけだが、よく考えれば、素晴らしいリーダーはしばらく経つと自動的に独裁者になるよね。なぜかって言うとリーダーって普通に独裁者ポテンシャル高い。ていう、独裁者タイプじゃないリーダーは組織を成長させることはできなくて、単に管理するだけのヒトなのですよ。成長って選択と集中なので言わば“切り捨てること”なのよね。
世の中的にも、国家レベルで独裁者ってレッテルを貼られた人の評価は、実は晩年の5~10年くらいでそれ以前はそんなことは言われていなかった。
ということは、独裁者という人格がいるわけじゃなくて、その期間、独裁的な役割を担った……ということなのよ。
で、この情報化時代、SNS時代の独裁は実は過去にない工夫とかパフォーマンスが必要だ。全世界が常に劇場で指導者をを注視している中での独裁をしなければならない。そこでは従来型の恐怖政治だけではなく、独特のパフォーマ性(アクター/アクトレス性)が必要とされる。媒体勢力は基本は体制に対してアンチなポーズをとるが、実は面白いネタを提供してくれる独裁者はタレントと同じで消えては困る存在だ。なのでメディアと政治家は実は裏でつるむ。
経営における独裁者は、残念ながら経営数字が四半期ごとに出てしまうので、パフォーマスだけだとダメで数字を残さなければならない。でも、実はある一定以上の企業規模になると「数字を作る」のもさして難しいことじゃない。粉飾という意味ではなく、B2B的な関係値で他国や異業種の経営を支配して、売上や利益を上げることができるからだ。場合によっては税制や行政、競合の新規参入すらも支配できる。
そんなこんなで調整に明け暮れる民主主義者を後目に独裁者たちは継続して君臨しつづける。彼らが失脚するのは、アンチ利害関係社が手を組んで、こいつはたたき落とせると確信したときだ。
国家の場合はクーデターとなり、たいてい独裁者は処刑されて口を封じられる。企業の場合も、退任してもあとの人生を考えておとなしくしてる場合が多い。今回のゴーンさんみたいな、国家と企業が双方からんだケースはかなり少ないかもね。