マーケッターって『生き方の定義』だ。
マーケティングという言葉は昔から使われていて、昨今は例えば『デジタルマーケティング』という文脈で良く使われる。でもなんか、そもそもその語感が持ってたニュアンスというか意味合いが変質してしまった気がするのは僕だけだろうか?
僕(あと一か月で56歳)の新卒の頃、マーケッターと自負する上司が居た。その時代のマーケッターって意味合いがもの凄く広くて、一言で言うと仕事のスタンス…もっと言うと生き方のスタンスみたいなニュアンスがあったように思う。みんな探求心が強くて、気づきを常に求めている。
でも決定的に他の職種と異なるのは、商品やサービスを提供するサプライヤーサイドではなく、徹底して生活者や消費者の目線に立つということだった。
で、僕の個人的な見解を言うと、『生活者や消費者の目線に立つ』って結構難しい。今みたいにライフスタイルや価値感が多様化した時代においてそれは半端ない努力が要求される。
自分自身も大量に消費して、生活を徹底して楽しむ、世の中の製造業や流通側の都合じゃなくて、自分で生き方とか楽しみ方を見つけられる……そんな人間じゃないとマーケッターには成れない。もちろん自分以外の足場の異なるヒトの価値観に想像を馳せられるような『浮遊力』も必要だ。
とは言っても、仕事ハードにこなさなきゃマーケッターとしての責務も果たせない。遊んで、生活して、激しく仕事して、時には傷ついて、借金も抱えて……ヒトの何倍もの密度で人生を生きる。当時、それがマーケッターだと感じてた。
もう一つ。マーケッターって守備範囲が広い。というか何でもマーケティングの対象になるのだ。
例えば自社にピッタリな採用応募者がどこにいるか?探すのは採用マーケティング。自社に商品やサービスを提供したいサプライヤーを探すのは調達マーケティング、自社にぴったりの出店立地を探すのはロケーションマーケティング…、資金調達だってマーケティングだ。そんなことを考えていると、マーケッターって仕事じゃなくて、『生き方そのもの』なんじゃないか??と思う。
お金は滅茶苦茶稼ぐ!けど、それ貯蓄とかしてたらダメ。がんがん使わないと消費マインド=お金を使うヒトのマインドはわからない。ありとあらゆる世界の良いもの、ダメなものを体験して、成功と失敗を繰り返す。それを蓄えてスキルとする…のがマーケッターのイメージだった。
これって苦言なのか……でも今の若年世代に対する老人のたわごとなのかも……と自戒しようとも思うけど、
今の時代で『マーケティングという冠』をかざしている人にはそんな『遊び』がない人が多い。自分が消費者(浪費家?)でもないのに消費者の気持ちがわかるのだろうか?
資本主義社会は(必ずしも正しいとは思わないけど)『消費拡大』を前提に作られてるので、消費を喚起できないリーダーは、『リーダー足り得ない』と僕は考えてしまう。自分が買物をしない人が小売・流通業やEコマース事業のリーダーに収まってることは、どうも変だと思ってしまう。
また逆に、お金をたくさん稼いでいて、ラグジュアリーブランドしか買わない…って人も、ちょっと違う気がする。それはその商品の価値がわかって、吟味して買ってるわけじゃない、単なるブランド消費だからだ。
マーケッターとは、安いものには安いものの価値、高いものには高いものの価値をちゃんと見極められる人であり、購入プロセスにおける心理変容や多様な価値観や地域や収入レベルによる購買行動のギャップを想像できる人だ。
僕より若い世代のヒト達はどう考えてるのだろう?
彼らにとってマーケティングってロジカルシンキングみたいなメソッドなのかしら?新しい消費を生み出すワークに定型的なメソッドって難しい気がするのだが。
僕にとってそれは『生き方のスタンス』なんだけどなぁ。