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親から子へ「原爆の事実」を伝えるときの杖になる物語 2013年10月18日

 自称「伝えたい女」神垣です。

 今日、ご紹介するのは

 児童書です・・・


 今日、ご紹介する本の著者
 朽木 祥(くつきしょう)さんは
 広島市出身の児童文学作家。

 現在は、鎌倉にお住まいで
 本業の傍ら、作家としても絵本や児童文学を
 刊行なさっています。

 朽木さんとは、まだ、お目にかかったことはないのですが
 地元の中国新聞の書評で、
 朽木さんの「彼岸花はきつねのかんざし」という作品を
 担当したのがきっかけで、ご縁ができました。

 今日、ご紹介するのは
 10月11日に刊行されたばかりの
 「光のうつしえ 廣島 ヒロシマ 広島」
 という作品です。

 広島に住んでいると
 小・中・高校で平和学習の時間があり
 8月6日の原爆投下の日のことを学びます。

 “広島の常識”として原爆の日を捉えていても
 リアルな体験はなく、それを語る人も年々減っていく中
 実は分かっているようで、私自身も分かってないように感じています。

 でも、自分も子の親になって
 改めて「伝える」ことを意識し始めました。

 朽木さんの作品は、
 親から子へ「原爆の事実」を伝えるときの
 杖になる物語だと思っています。

 あの日、あの瞬間が訪れる前にも
 今と変わらぬ子供たちの笑顔があり、生活があったことを
 思い起こさせてくれるからです。

 そして、それが一瞬で
 奪われてしまったことも……。

 かつて、「廣島」として栄えた地は
 原爆投下後、国際平和都市として
 世界への理解を求めるため「ヒロシマ」となり
 今の「広島」があります。

 この表記の違いも
 広島では、意識されることはあっても
 県外の人にとっては「?」かもしれません。
 なぜ、わざわざ表記を変えるのか、と。

 このたびの朽木さんの「光のうつしえ」は
 副題にある通り
 「廣島」と「ヒロシマ」、「広島」をつなぐ作品です。

 それは、広島の過去・現在・未来 とも言い換えられるでしょう。
 
 「追悼」という言葉に使われる
 「悼む(いたむ)」という気持ちは
 人の死を悲しみ嘆くという意味だけでなく

 ずっとずっと忘れないで伝えていく
 ことを意味するのだと、本書は教えてくれます。

 8月6日の夜、
 原爆ドームのそばを流れる「元安川」には
 たくさんの灯籠が流されます。

 その灯籠をモチーフに描かれた物語から
 「忘れない」でいることの大切さを
 感じ取ってもらえたら、と思います。

朽木 祥 著「光のうつしえ 廣島 ヒロシマ 広島」

児童書ですが
大人が読んでも、沁みる作品です。
(VVOL.2051 2013年10月18日配信 メールマガジン あとがきより)


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