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「ライフログの技術 ~自分の仕事と趣味を丸ごと整理・保存する!」 2012年8月31日
おはようございます。自称「飽きない女」神垣です。
すみません。
ミーハーなもので・・・
私は根がミーハーなので
「この人、好きッ!」と思うと
主に、その人の書いたものを徹底的に追いかけてしまう
傾向があります。
名づけて、活字ミーハー。
今、そのターゲットとなっているのが
中川淳一郎氏
です。
彼の著書はほぼすべて持っているし、
雑誌の連載などもチェックし
ネットで彼の発言や記事を
日夜、探しまわっています。
そして、この本も
タイトル自体はさして興味がなかったのですが
中川さんのインタビュー記事が掲載されている
というだけで即買いしてしまいました……。
その本とは
「ライフログの技術」。
本を買ったわりに、タイトルの
「ライフログ」の意味がすぐイメージできませんでした。
文字通り、自分の生活、自分の行動を記録していく
ってことなんですけど。
本書は2つのパートに分かれていて
前半は「ライフログの達人たちの使い方に学ぶ」という切り口で
勝間和代さんへのインタビューから始まっています。
中川さんの記事は9番目に掲載。
タイトルは…
<反>ライフログ考!?
セルフブランディングよりも、もっとシビアで
切実なライフログがあるということ
亡くなった人のブログやフェイスブックがそのまま
ネット上に残っている
というのは今どき、珍しい話ではなくなってしまいましたが
私は、亡くなった知り合いのフェイスブックでのつながりを
正直、持て余していました。
どうしたものか、と。
日々の他愛ない書き込みが
彼の死によって突然途切れ
ストップしたまま、ネット上に残っているのです。
アクセスするのが忍びなく
かといって、彼とのつながりを断ち切ってしまうのは
さらに忍びない。
さて、どうしたものか…と。
中川氏の記事に、次のような記述がありました。
白血病の闘病中から本人が綴ってきた
ブログに、本人が亡くなって4年が経った今も
友人・知人彼のが命日にはブログにアクセスして
コメントを残している、と。
「自分が死んだあとに好きな人が集まれる場所を用意できるのは
すばらしいと思います。
世界のどこに行こうが、ブログにアクセスすれば
友達が集まっているというのはいいですよね」
この一文を読んで
あぁ、そういう使い方があったか
と。
実際、私がフェイスブックでつながっている
亡くなった知人のお墓や仏壇に参りにいくことはできませんが
彼が残したフェイスブックのページには
いつでもアクセスできます。
命日とか、彼を思い出したときに
そうやって彼のフェイスブックにアクセスして
彼の書き込みを読み返して、偲ぶことができます。
そういう使い方があるんだ……と印象に残りました。
自分が急に死んでしまったときに
自分が書いて残したものやつぶやきが
友人知人を含め、人にどう読まれるか……
それを意識するだけで
日々、ライフログに残す内容が
変わってくる気がします。
本書には、11名の
“今をときめく”ライフログの達人の
それぞれの立場・視点からの使い方が紹介されていて
興味深いです。
私は、中川さんの記事のほかに
科学ライターの漆原次郎さんのインタビューに
共感する部分が多かったです。
「日々のことを書くのは“思考の整理”をするうえで
非常に有効」
まさに、同感。
ブログやフェイスブックでなくても
誰に見せるつもりもないノートや手帳に記すことで
「思い」や「考え」が「整理」されていくのは
多くの人が体験済みでしょう。
「書く」ことで客観視できたり
本質に気づいたりということがあるので、
人に読まれることを前提に「整理して書く」というのは
セラピー効果も高いと思うのです。
ライフログに対する
いろんな視点を知るうえで興味深い一冊。
「ライフログの技術 ~自分の仕事と趣味を丸ごと整理・保存する!」
このサイトもご参考まで→クローズアップ現代
「自分の人生、どこまで記録? ~広がる“ライフログ”~」
(VOL.1787 2012年8月31日配信 メールマガジン あとがきより)