neutral017 容疑者MIの献身
『バカロレアの哲学』(坂本尚志 日本実業出版社 電子書籍 kindle)
副題:「思考の型」で自ら考え、書くーー
フランスの高校卒業論文(試験)であり、大学入試にもなっているバカロレア(哲学だけではない数日にわたる大掛かりな試験)は日本のように答えが分かっている内容ではなく、哲学バカロレアは正解のない、出ていない問題について自らの思考力を4時間使って書かねばならない。
「労働はわれわれをより人間的にするのか?」
「技術はわれわれの自由を増大させるのか?」
「権力の行使は正義の尊重と両立可能なのか?」
初見の問題にいきなり直面ではなく授業での範囲とか、キーワードから事前に勉強できるようにはなっているようだから日頃の成果を見せる場でもある。日本人からすればレベルは段違いに高く感じられる。流石「合理主義」の国と思うだろう。哲学の合格率は低く、他の科目で補って卒業できるようだが、ホントの意味での哲学青年は(哲学バカロレアを受験した59%の内3割が合格、従って全体では)18%弱で、フランス人全員が哲学一色の国ではない。基本は市民社会へ市民として迎え入れられるかどうかの試験だ。市民としての十分な知性が試される。大人としての権利や自由もかかってくる。日本人には実感として分からない制度であろう。成人式の二十歳や十八で自動的に大人として認められる日本とは違う。成人の定義を十八にすることや、新学期を9月開始に、手始めにJリーグをヨーロッパに合わせて9月に変更予定。裁判員制度。日本の欧米化の流れはいつ止むのだろうか。相変わらず日本の舵取りのお偉い方たちに哲学はなく、個人主義(欧米化)に持ってゆく方向しか示さない。NIISAも、個人単位でアメリカ人並みに投資させたがっている。状況は猿の一つ覚え、と云えようか。
ヨーロッパ市民社会が直面している最大?の課題はこのバカロレアを受けていない移民(主に難民)に対する風当たりの強さだろう。この問題、ウィンウィンの解決はないであろう。理性で解決できない問題が本当の問題であると言っているのに等しい。理性的な判断では上手くいかない問題や課題が今後の市民社会にのしかかって来る。それに対応しているようでもあるバカロレアの過去問の哲学課題。理性神話はかように崩れている現状で、ヨーロッパでも自覚しているようだ。難民はかつての植民地政策のツケでもあろうし、EUも見方を変えれば、アフリカの氾濫、難民の大量移動、ヨーロッパ各国に雪崩れ混んで市民社会の崩壊シナリオまで想定しているかのような、それにはヨーロッパ各国の団結も必須だろう。ツケ、宗主国の責任はいつまで続くかの果ては見えてこない。中国が入って来たり、アフリカの前途も見えない。市民社会 vs 部族社会の攻防に妥協はないかのように……。バカロレアの哲学問題も優しく見えるのである。フランスが未だにニューカレドニアを手放さない理由に資源確保があるのだという。アジア・オセアニアでも宗主国であったヨーロッパ各国、アジアから遠く難民がなだれ込む心配は無いだろうが、弊害が引き摺られているケースもまだあるのだ。
さて手短な気分転換・娯楽として2時間のミステリードラマを観る機会が多い。最後まで犯人が分からない作り、つまり視聴者は「モラトリアム」(ニュートラル)の状態を楽しんでいることになる。容疑者の乱立。「容疑者=多様体」の要素が疑わしき複数の容疑者たちだ。n -1 で容疑が一人に確定すると他の容疑者は晴れて解放され、多様体は消滅する。「多様体」はモラトリアムとしても現れるのだ。「多様体」は千差万別、そこここにある。
一時期の「相棒」(水谷豊主演)では誤解殺人が毎回のように続いた時期があった。殺す必要のない人間を誤解して、思い違いして殺してしまうと云う論理の整合性では上手く辿れないストーリーだ。無差別と似ているが、虚しさ(被害者も加害者も哀れ)を伴う。日本的な情緒というのか。
ヴァンダインやアガサクリスティ、クイーン警視シリーズの本格推理小説からは許し難い物語かも知れない。推理が冴える本格ミステリーの探偵は冷静で知性も高い。合理性も勿論備えている。モラトリアム(猶予)は許されない、という精神は海外のどの探偵も持ち合わせているようだ。日本のような誤解だけの脱力感で終わるストーリーは生まれようがないのではないか。流れ弾に当たる被害者の不条理は何処の時空でも合理性の反対側で付随的に生まれるのだが。
『ハーバードの日本人論』(中公新書ラクレ、2019年)ハーバード大学の日本文学のテキストとして『容疑者Xの献身』(東野圭吾)が「多様体」としての日本人の捉え方が新鮮らしく注目されていた。悪人というアイデンティティが確固としてあり、それをはみ出した人間観(多様体)がアメリカには無いらしいのだ。総理に対するテロリストを一部の人たちが英雄視(と報道)したり、生い立ちや家庭環境、知人の証言など、容疑者を「多様体」として取り上げる日本のマスメディアは既に恒例となっている。情状酌量に繋がるだろう善行も画面から流し続ける。
フィクションであれハリウッドで表現される悪者は全てが悪で覆い尽くされている。白か黒しかない。アメリカの司法では情状酌量もないらしい。その代わり犯罪の全容を最短で明確に出来る合理的な?司法取引がある。
通訳という肩書きのみで日米の野球史に名を残すかもしれなかった水原一平容疑者の献身(利他行)は、利己な犯罪が明るみに出て悪質な手口が決定的となり、今後どう扱われてゆくのか興味は尽きないだろう。
(続く)
2024/04/16
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