「お金」にならないことの価値。
シゲクです。世の中、「お金」にならないことの価値はどんなに大変でも低いものです。病気になった家族を支えたり、様々な手続き、家事などもそうだと思います。
「どうしてこんなことをしているのか」、「どうせ仕事をすることから逃げている」。こんな心無い発言ばかりされるものです。
でも、本当に「お金」にならないことはやる意味がないことなのでしょうか。「お金」になることをしている人だけがいれば良い世界というのは、本当に心が狭いと思います。
「お金」があればすべて解決的な考え方をする人の周りには人がいなくなります。その人の周りにいる人は精神を病む人が増えます。それは本当に幸せなのでしょうか。
下支えを無視したり、人の気持ちを無視するのは、かなりの割合で悲惨な結果を招きます。自分だけが自分だけがという人に、誰がずっとついていくのでしょうか。
多分、その人は「お金」でしか勝負できないことを知っています。「お金」がなければ何も出来ない。誰の「お金」なんだとまくしててくるものですが、本当は自分のしていることに自信が無いのかもしれません。
「お金」でしか勝負できないのは、本当にきついと思います。もし、散々バカにしていた相手が、自分より「お金」持ちになってしまったら、どうなってしまうのか。
結局、人を下に見る方法を見つけてマウントを取りたい人でしかないのかもしれません。別に何を言われても心に響くわけではありません。その程度の人間なんだと思うだけです。
そういう人は、最終的に敗北する人が多い気がします。精神的な支えはあって当たり前で価値が低いと思っている傲慢な人、本質的に豊かではない人な気がします。
どれだけ働いても、どれだけ頑張っても多分豊かにはなれない人です。人を下に見て喜ぶことにどれだけの意味があるのでしょうか。
寿命が来るのはどんな人でも同じです。
生きている間には、助け合ったり、高め合ったり、そういう気持ちにはなれないのでしょうか。
大体、利益を焦って人のやっていることを台無しにするのもこのようなタイプの人です。恐らく、人を育てるのには向いていない人なのだと思います。
このような無駄なことはやらないよう、心に留めておきたいです。
今日は、この辺で失礼します。