【仕事編】雑談に困った時のネタでエッセイを書いてみようと思う。
困ったら 木戸に立ちかけし 衣食住(川柳調)
上記のリクナビサイトから引用してきましたが、
キ…気候
ド…道楽(趣味、テレビ、映画、スポーツ)
ニ…ニュース
タ…旅
チ…知人
カ…家族
ケ…健康
シ…仕事
衣…ファッション
食…グルメ
住…住まい、暮らし、家
これを押さえておけば、雑談に困らないという話題だそうです。
キドニタチカケまで書いたので、次は仕事について書こうと思います。これを書いてしまえば残りもあと3つ。長いと思ってましたがあっという間ですね。
では今年50歳の私の職歴について話します。
私は1993年に商業高校を卒業後、スポーツ用品店に三年間勤めた後で今の会社に入社しました。社会人歴32年の中で1回だけの転職経験です。
学生時代はずっと文化部に在籍。体育の成績は常に5段階評価で2という私。そんな運動音痴でスポーツ嫌いな私がなぜスポーツ用品店に勤める羽目になったかというと、ちょうど前年から就職氷河期といわれる不景気がやってきて、金の卵といわれる私たち高卒生にも求人が激減する事態になったからです。
とにかく仕事に就ければどこでもいい!なんでも経験だ何とかなるだろう。という事で事務職を希望していたのに販売職を受けて(事務職で落とされまくって心が折れたのです)拾ってくれた会社に入社したという経緯でした。
このころ四年制大学を卒業された方は、本当に就職活動に苦労されたと聞きます。まだ高卒はマシだったような記憶。
そんな感じでやっとの思いで就職したわけですが……前の会社は週に1回の休みもたまの展示会でつぶされたり、労働時間も12時間くらいになるときもあり(残業代は出ずに昼食のみでごまかされてた)時給にすると最低基準ギリギリか下回ってる?(グレーゾーン)って感じのお給料でした。まともな研修もなく店に立たされたり、まともな研修もなく卓球のラバーを貼ったり、テニスやバドミントンのガットを張ったり、ピッチャー皮をスパイクに釘で打ちつけたり、グローブの修理を任されたりしていました。今考えるとど素人にやらせてたわけですよね、恐ろしい。
さすがにブラックすぎてその会社に21歳で見切りをつけてからは、5か月ほどで次の職が見つかり今に至ります。(商業高校でたくさん資格を取っていたのが功を奏しました。商業万歳!)職場の場所(北九州→博多)と所属が3回ほど変わりました(営業所→支店→工場)が、あと2年で勤続三十周年を無事に迎えられそうなところまで来ました。転職後にその時お世話になった先輩に今の会社の話をしたら
「向こうからクビにすると言われない限りテコでもやめるな!」と言われて、それを胸に今も働いています。
ちなみに前の会社は私が転職した3年後くらいに潰れてました。早く見切りをつけて良かった。
とはいえ、私にも退職を考えた時があります。それは一度目の結婚の時。28歳の時にお付き合いをした11歳年上の男性と結婚を決めた時に、彼の転勤についていけるように(まだその時は転勤が決まってたわけではないが、国家公務員だった彼は全国で転勤の可能性があった)結婚の半年後くらいに仕事をやめようという話になり、会社に辞表を出していました。
30歳になる年なので、2004年のお話です。ちょうど20年前ですね。
で、その婚約していた彼といざこざがありまして、雲行きが怪しくなってきたところで(ちなみに結婚式&入籍はしまして、半年で離婚しました)当時の総務部長からプライベートの話を聞かれました。
その時に勇気を出して「会社を辞めるのをやめたい」と言い、事情を説明したところ「俺が辞表を止めるから」と言ってくれて退職を回避しました。
(通常一度出した辞表は止めることはできません。たまたま大きな事業所の総務と当時の九州の総務部長が繋がりがあったため、止められたそうです)
その後も営業所が閉鎖して支店と合併するという話になった時(2007年)も、新社になった時(2009年)も、営業事務を減らすという話になった時(2016年)も、事業を減らすと決まった時(2023年)も、しぶとく会社に残れているのも、この強運があったからかもしれません。
私がいた営業所が閉鎖された翌々年に別の営業所が閉鎖されたのですが、そこで働いていた営業事務の先輩は支店に空いたポストがなく、大阪の転勤を打診されたために退職されましたし、別会社に出向になった先輩も結局場所がなくて退職、営業事務で一緒に仕事をしていた同級の女子は、出産後保育園に入れられずに退職、一人の後輩は産後に育休が明けて戻ろうとしたら在籍していた事業部が無くなり、別会社に転籍した後で退職となりました。
皆それぞれ仕事ができる人だったので残念です。(一人だけ性格的に何とも言えない人がいましたが、仕事はちゃんとされてました)
知ってるだけで4人は(続けたかったのに)辞めることになってしまったのでなんで私が残ったのか?と思うことは多々ありますが、これも又ご縁と運だったのでしょう。
というわけで、男女の給与格差も地方と都会の給与格差もない、良い会社になぜかしぶとく残れているのは仕事運があると言っていいのかもしれません。
私より先に会社を辞めた後輩からは「守屋さんは定年まで勤めるはず」と太鼓判を押されているので、これからもしぶとく生き延びたいと思います。
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