ぼくは馬込文士村へ行く

 新年度になって半月経過したが、もうちょっとだけ春休みの話をさせてください。春休みの最終週、ぼくの彼女は大学の女友達たちと2泊3日の国内旅行へ出かけた。ぼくの生活圏からぼくの彼女が一時的に消えたわけである(不穏な表現)。その結果、お互いのバイトの日程が前後していたこともあり、ぼくと由梨は一週間会わなかった。ぼくは普段、最低でも週に2回は由梨と会っている(会わされている)ので、この「一週間に一度も会わない」というのはぼくらが付き合って初めてのことだった。

 この時のぼくの正直な気持ちを一言で表すと、「解放されたあ!」。ぼくは由梨のことをもちろん嫌いではないし、会うのも話すのも楽しいと感じるが、嘘偽りのない正直な気持ちをここで打ち明けると、由梨と会えなかった一週間、ぼくは解放感でいっぱいになっていたのだ。……ええと、みなさんのご意見に異存はございません。ぼくは最低の彼氏です(自供)。

 由梨と離れていた一週間、ぼくはインカレの放送サークルの新歓の準備もしたが、地元の友達と遊んだり、放送研究会の渉外で知り合った他大学のひとと飲みに行ったりした。普段のぼくよりアクティブな一週間だった気がする。あとは、このnoteにも書いたけど、由梨の弟(孝彦くん)とその友人(添田くん)にぼくの大学のキャンパスを案内したりもしましたね。これは由梨から事前に頼まれていたやつだ。詳しくは「ぼくは彼女の弟とその友人をキャンパスに案内する」と「ぼくは彼女の弟とその友人をキャンパスに案内する(完結編)」をお読みください!

 孝彦くんと添田くんにうちの大学のキャンパスを案内した次の日は、ぼくは一人で大田区立郷土博物館と大田区立馬込図書館へ行った。どちらも東京都大田区馬込にある施設だ。ぼくは生まれた時から現在に至るまで大田区民だが、馬込エリアにはこれまでまったく縁がなかった。同じ大田区でありながら、馬込には足を踏み入れたことさえなかったのだ。

 それではなぜぼくは、大田区馬込にある大田区立郷土博物館と大田区立馬込図書館へ行ったのか。それは3月第4週のある日、近所の大田区立図書館へ寄った際に、たまたま「馬込図書館・郷土博物館・山王草堂記念館・龍子記念館回遊スタンプラリー」のポスターを目にしたからである。4つとも馬込エリアにある区立施設だ。スタンプを4つ集めるとコースターかクリアファイルか一筆箋、2つ集めるとブックカバーとしおりが景品としてもらえるとのことだった。

 ぼくはコースターや一筆箋には興味が湧かなかったが、ブックカバーには興味を惹かれた。本屋さんで買う本にはレジで店員さんにブックカバーを着けてもらうからいいとして、図書館で借りた本を外で読む時のためのブックカバーが欲しいなあ、なんてちょうど思っていたのである。ぼくに4つのスタンプはいらない。2つのスタンプでいい。ポスターを見ると、このスタンプラリーの開催期間は3月31日までとのこと。景品の受け渡しは馬込図書館のみで、なくなり次第終了とのこと。ぼくは「馬込図書館・郷土博物館・山王草堂記念館・龍子記念館回遊スタンプラリー」への参加を決めた。

 地元の友人を誘ったが断られたので、一人で行くことにする。ただ、馬込までどうやって行くんだろう。さすがに馬込まで自転車で行くのはちょっと不安だなあ(ぼくは方向音痴だし)。区のホームページで各施設のアクセスを確認してみると、電車かバスで行けるみたい。電車ルートは逆にややこしそうだったので、バスで行くことに決める。行き先は大田区立郷土博物館と大田区立馬込図書館だ!……でも、バスなあ……。ぼくは「路線バスに乗る」という経験をほぼしてこなかったので、どのタイミングで運賃を払うのかとか、バスを降りる時の作法(?)が分からないんだよな。この前、東京富士美術館の『源氏物語 THE TALE OF GENJI』展へ由梨と一緒に行った時も、バスの乗り降りについては完全に由梨に振り付けしてもらった感じだった。由梨は普段から乗っているのでバスに詳しいんですよね。

 3月最終日の某日。「馬込図書館・郷土博物館・山王草堂記念館・龍子記念館回遊スタンプラリー」に行くと決めていた日。朝から外は雨が降っていた。本格的な雨である。大田区立郷土博物館から大田区立馬込図書館までの道中は徒歩で行くつもりだったので(主に経済的事情による)、この本格的な雨の中を歩くのは気が進まないぞ。ただ、今日を逃すとスケジュール的に行くのが難しくなってくるので、何も考えずに出かけることにします。

 この日のぼくは自転車は使わない。自宅から最寄りのバスの停留所まで歩いて行く。雨の中、東急バスの某停留所の前で傘を差しながら待っているとバスが来た。ドキドキ。バスの扉が開く。これって前の扉から乗ればいいんだよね……? 運転手さんに会釈。不安を覚えながらもSuicaをピッ。……こ、これでいいのかな? ……車内はとても空いている。とりあえず二人掛けの席に着席。ドキドキ。スマホを取り出して「東急バス 降りる時」で検索。……うーん、よく分からないよう!

 途中の停留所から乗客が増えてきた。ぼくは他の乗客を観察し、降りたい時はボタンを押してただ降りればいいだけだと気付く。「西馬込駅前」に到着。お、降ります。……ふう、なんとか路線バスを攻略したぞ。大田区立郷土博物館へ向かわねばならないが、ここから先のルートはGoogleマップで下調べ済みなので心配不要だ。傘を差しながら徒歩5分、大田区立郷土博物館に難なく到着。ロック式の傘立てに傘を挟み、傘立ての鍵を上着のポケットにしまう。

 大田区立郷土博物館の中へ。博物館というよりは区の出張所みたいなところだな。お出迎えの職員さんとかいないし、お客さんの気配もないし。とりあえずエレベーターに乗って3階へ。まずは「馬込文士村」のコーナーだ。大田区民でありながら馬込に縁がなかったぼくだが、「馬込文士村」については知っている。大正から昭和にかけて、大田区馬込の一帯にはたくさんの作家や芸術家が居を構えていた。通称「馬込文士村」。川端康成、北原白秋、萩原朔太郎、高見順、宇野千代、室生犀星、山本周五郎などなど、錚々たる顔ぶれが馬込の地で同時期に暮らしていたのである。文学部生としては興味が惹かれるし、大田区民としては誇り高い。

 展示室内は写真撮影禁止だったが、川瀬巴水という版画絵師(このひとも馬込に住んでいたらしい)が作った版画のパネルのコーナーだけは、フォトスポットとして写真撮影が許されていた。昭和5年の馬込には田園風景が存在したのだなあ。もし由梨と一緒に来ていたら確実にぼくは被写体にさせられていたな、などと思いながら、ぼくは一枚パシャリと撮る。

川瀬巴水の版画を拡大したパネル

 えっ、和辻哲郎も「馬込文士村」の一員だったのか!と倫理学徒らしく驚きつつ、階段を降りて2階の展示室へ。ここでは大田区内で発掘された土器だとか貝塚だとか、縄文時代の犬の骨などが展示されてあった。へえ、大田区って意外と考古学に縁がある場所だったんだな。大田区民でありながら初めて知ることばかりだ。いや、小学生の時にはぼくも多摩川台公園の古墳展示室(ミニ博物館)によく行っていましたけどね。あの施設、いまでも生き残っているのだろうか。

 一通り展示を見終えたのでもう出ます。ぼくの今回の目的はあくまでスタンプラリーだし。1階のスタンプ設置台で台紙にスタンプを押したあと、売店的なコーナーで『馬込文士村 ガイドブック』(200円)の交換カードを手に取り、窓口で商品と交換してもらう。全104ページ。「馬込文士村」の人物図鑑みたいな本だ。村岡花子(『赤毛のアン』翻訳者)が当初は『赤毛のアン』という邦題に反対していたとか、萩原朔太郎は寝取られ趣味だったとかいうエピソードが載っている。イラストや文章や写真が結構掲載されていたりして、これで200円はお得だと思う。さすがは行政刊行物だ。

 『馬込文士村 ガイドブック』を受け取って外に出て、ロック式の傘立てから自分の傘を回収していると、保育園だか幼稚園だかの園児たちの行列がやってきた。どうやら大田区立郷土博物館に見学に来たらしい。なるほど、馬込エリアの子どもたちはここに定期的に社会科見学に来ているのだな。雨の中なのに結構なことだ。未就学児にとっては展示内容が難しいような気もするが、まあ、そこは引率の先生がかみ砕いて説明してくれるから大丈夫なのだろう。「大昔のワンちゃんの骨だって! すごいねー!」みたいな感じで。

 ぼくが傘を差して歩きだそうとしていると、行列の中の一人の園児が、ぼくに向かって手を振りながら「バイバイ!」と声をかけてきた。つられて他の幼児たちも手を振りながら「バイバイ!」「バイバイ!」と声をかけてくる。ぼくをめがけての「バイバイ!」の大合唱である。出会いの挨拶を交わしていないのに別れの挨拶を告げられていることに違和感を抱きつつも、仕方がないのでぼくも「バイバイ……」と言いながら手を振り返しました。

 さあ、雨が降る中ではありますが、大田区立馬込図書館へ徒歩で向かいます。これから2個目のスタンプを手に入れ、ブックカバー&しおりと引き換えてもらわねば。大田区立郷土博物館から馬込図書館までの徒歩ルートも、事前にGoogleマップで調べておいたおかげで迷わずに済んだ。大田区立馬込図書館に難なく到着。ぼくは大田区立図書館のヘビーユーザーだが、この図書館に来るのはもちろん初めてだ。

 スタンプを押す前に、2階の一室で『馬込文士村資料展「城昌幸と怪奇小説の世界」』なるミニ展覧会がやっているらしいので行ってみる。城昌幸は戦前から戦後にかけて推理小説を多数発表した大御所で、馬込図書館にはこのひとの蔵書がたくさん所蔵されている(らしい)。このミニ展覧会では、探偵小説専門誌『宝石』を紹介するコーナーや江戸川乱歩作品を紹介するコーナーに交じって、国枝史郎作品を紹介するコーナーもあった。国枝史郎は戦前に推理小説・怪奇小説を書いていた小説家だ(1943年病没)。その国枝史郎コーナーに置かれてあった小さな解説パネルによると、戦前の推理小説を再評価するムーブメントが戦後に巻き起こる中で、なぜか国枝の作品だけは埋もれたままだったらしい。しかし、三島由紀夫は国枝史郎の作品を絶賛していたそうで、その解説パネルでは「国枝史郎の作品と比べると現在の小説はなんと低俗なのか!」という旨の三島の言葉が紹介されていた。いかにも三島由紀夫らしい言い回しって感じ。いや、ぼくは三島由紀夫に詳しくないんですけどね。

 階段で1階へ下りて、スタンプ設置台でスタンプラリーのスタンプを台紙に押す。よし、スタンプ2個ゲット! これで景品と交換できます。図書館の司書さんに「スタンプラリーに参加した者なんですけども……」と声をかけて、参加賞のブックカバー&しおりと交換してもらう。

 その時、司書さんからいただいたブックカバーがこれだ!

 三島由紀夫の最後の短編小説『蘭陵王』(1969年)の直筆原稿のコピーだ(B4サイズの硬い紙)。これを文庫本の折り目に沿って曲げるとブックカバーになりますよ、ということらしい。なんかぼくの想像していた「ブックカバー」とテイストが違うが、そんなことはこの際どうでもいい。三島由紀夫の直筆原稿のコピーってテンション上がるぞ。三島なんて別に好きじゃありません、なんて態度を普段取っているぼくですらこうなのだから、三島ファンにとってはとてもうれしい参加賞なんじゃないだろうか。

 ただ、なぜ三島由紀夫なのだろう。その答えはこのブックカバーの裏側に書いてあった。

 三島由紀夫直筆原稿写し
 『蘭陵王』新潮社 一九七一年 馬込図書館所蔵

 小説家・劇作家として活躍。
 昭和二十五年、大田区馬込に自宅を構える。

 さっき行った大田区立郷土博物館の「馬込文士村」のコーナーで紹介されていなかったし、さっき買った『馬込文士村 ガイドブック』(200円)にも名前は載っていなかったが、どうやら三島由紀夫も「馬込文士村」の一員だったらしいのだ。

 だとしたら、大田区立郷土博物館でそのことが紹介されず、『ガイドブック』に三島の名前すら載っていないというのは実に奇怪なことである。三島由紀夫は現代日本を代表する作家の一人であり、いまなおファンが多く、だからこそ直筆原稿がこうやってスタンプラリーの景品にも利用されているのであろうに、大田区による展示にも書籍にもその名前がないというのはどういうことなのだ。「馬込文士村にはあの三島由紀夫もいたんですよ!」とアピールするのがふつうだと思うのだが。

 ここでぼくは一つの仮説を提唱したい。もしかすると三島由紀夫は生前、「自分が馬込に住んでいたことは黒歴史なので公式で紹介しないでほしい」と大田区に伝えていたのではないだろうか。当初は大田区もその約束を律儀に守り、郷土博物館開館時や『ガイドブック』刊行時には三島の名前を隠していたのだが、しかし時間の経過と大田区長の交代とともにうやむやになってしまい、ついには事情を知らぬ若手職員が企画したスタンプラリーの景品に名前と直筆原稿が利用されてしまった、ということなのかもしれない。だとすれば今年、怒りに震えた三島由紀夫の霊魂が、低俗な大田区民たちに惨禍をもたらすであろう。城南島海浜公園の海岸に謎の水死体が浮かび、池上梅園の梅は赤い血で染まる。新たな怪奇小説の幕開けである。

 ……くだらない妄想を繰り広げたところで雨はやまない。ぼくは司書さんから受け取ったブックカバーとしおりをリュックにしまうと、馬込図書館を出て、雨が降る中を歩きだした。今度の行き先は東急バス「馬込駅前」停留所だ。ここからだと「馬込駅前」がいちばん近いのだ。馬込図書館から「馬込駅前」までのルートも事前にGoogleマップで調べていたが、歩道橋が分かれていたりして多少複雑なので迷いそうになる。しかしそこはぼくの持ち前の強運で乗り越え、なんとか「馬込駅前」停留所に到着。雨の中を待つ。ふう、さながら小旅行だな(大田区内を移動しているだけなのにね)。

 帰りのバスもガラガラだ。二人掛けの席に一人で座り、ぼくはブックカバーとしおりがきちんとリュックに入っていることを確かめる。いやね、三島由紀夫の直筆原稿の写しが雨に濡れてはいまいかと心配だったのです。そういえばさっき『馬込文士村 ガイドブック』を買う時に取り出した財布もちゃんとあるよな、と確認する。ついでに、いつも入れっぱなしにしている折り畳み式ショッピングバッグが開いた状態になっていたので畳んでおく。このショッピングバッグは一年半前にダイソーで買ったやつなんですが、ずっと愛用しているお気に入りのやつなんですよ。折り畳んだショッピングバッグを脇に置き、リュックの中のペットボトルを取り出してゴクゴク。やがてぼくの自宅の最寄りのバス停留所に到着。降りまぁす。いやあ、雨の中のドギマギな小旅行であった。どうしてこんなにドギマギしたのかっていうと、これが一種の冒険だったからだ。誰の助けも借りずにバスを乗り降りし、見知らぬ土地を歩き、見知らぬ施設を訪問する。ぼくは立派な大人だ。

 数日後。旅行から帰ってきた由梨と一緒に板橋区立美術館の『シュルレアリスムと日本』展へ行く。一週間ぶりの小手由梨である。ロッカーにリュックを預けて、念のためショッピングバッグを持って展示室へ向かおうと思ったら……あれれ? 例のショッピングバッグがない! 由梨に「ごめん、ちょっと待って」と伝えてリュックの中を必死に探したが、やっぱりショッピングバッグはない。そのあと、帰りの都営三田線の車内でも、日比谷ミッドタウン地下1階のベトナム料理屋さんで晩ご飯を食べた時にも改めてリュックの中を探してみたが、やはりショッピングバッグは見当たらなかった。

 由梨から「最後にどこで使ったの?」と聞かれたので、ぼくは必死に記憶の糸を手繰り寄せる。「……あ、この前の雨の日! 馬込のスタンプラリー! バスの車内で取り出した……リュックの中を覗いたら袋が開きっぱなしになってたから畳んで……その時にペットボトルのお茶を飲むからって横に置いて……ああ……」。これが現実である。もしあの時に由梨が一緒だったら、確実に由梨はぼくがバスを降りる時にショッピングバッグを持ち忘れていることに気付いてくれたことだろう。あのスタンプラリーの日、「ぼくは立派な大人だ」などと自惚れていた自分が恥ずかしい。

 悲劇はまだ続く。なくしたのなら買い直せばいいじゃない、どうせ110円だもの(マリー・アントワネット+相田みつを÷2)と思って、ぼくはいくつかのダイソーを廻ってみたが、どの店舗に行っても同じショッピングバッグが置いていないのだ。ダイソーネットストアには在庫があったが、合計金額が1,100円以上じゃないと配送してくれないし、11,000円未満の場合は配送料が770円もかかる。……最低でも1,870円かかるのかあ……。万年金欠学生としては躊躇われてしまって、ぼくはいまだに注文できずにいる。

 そんなわけで、春休み最終週の雨の日、ぼくは三島由紀夫の直筆原稿の写しを手に入れた代わりに、一年半前から愛用していたダイソーのショッピングバッグを失った。大田区が三島由紀夫との生前の約束を破ったために、さっそく三島由紀夫の霊魂が低俗な大田区民(ぼく)に災いをもたらしたのである。三島由紀夫は怖ろしい……と結論したいところだが、もしもこれがぼくに当たった何かの罰なのだとしたら、由梨の旅行中に「解放されたあ!」と思ったことへの罰だと考えるのが現実的だな。由梨さん、バカにしてすみませんでした。旅行のお土産もありがとうございました。みなさんも一人でバスに乗る時には忘れ物にご注意ください。春休みの雨の日、「馬込文士村」のスタンプラリーへお出かけの際なんかは特に。

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