ぼくと彼女は歌舞伎座へ行く
ぼくと彼女は歌舞伎座へ行く。このnote、なんだか完全にぼくと彼女のデート報告書みたいになっていてお恥ずかしい限りなのだが、えーと、ぼくはのろけ話をしたいわけじゃないのであしからず。この夏休みだけでも、ぼくは一人で出かけたり、地元の友達や高校時代の同級生と出かけたり、サークルの合宿に行ったりしていて、彼女と会っていない日のほうが断然多い。それなのにぼくがこのnoteに「ぼくと彼女は○○へ行く」という記事を投稿することが多いのは、ぼく的に記録しておきたい外出には彼女がたまたま同行しているからだ。本当にたまたまである!
この夏休み、ぼくは8月と9月の二度、彼女と一緒に歌舞伎座へ行った。ぼくらが利用したのは「一幕見席」というやつだ。歌舞伎座の興行はだいたい「昼の部」と「夜の部」に分かれていて、例えば「昼の部」だったら3演目だとか、「夜の部」だったら2演目だとかいう具合に、複数の演目によって番組が構成されている。ぼくと彼女が所属する放送サークルの番組発表会みたいな感じである(規模も予算も社会的価値も全然違うが)。
本来、歌舞伎座のチケットは「昼の部」もしくは「夜の部」の各部単位で販売されているのだが、これは値段がだいぶお高い。ぼくらには買えない。いや、由梨は金持ちだから買えるかもしれないがぼくには買えない。そこで「一幕見席」の出番となる。これは「昼の部」もしくは「夜の部」のうちの一演目だけを観劇できるシステムで、座席も4階だけにしか設けられていないのだが、その分リーズナブルなお値段で利用できるのだ。
大学からも近いし割引も効くという理由で、ぼくは以前から国立劇場の歌舞伎鑑賞教室には行っていた。今年の6月にも歌舞伎鑑賞教室に由梨を連れていった。しかし、銀座の歌舞伎座には行ったことがなかった。そもそも「一幕見席」の存在自体を知らず、チケットが一万円だとか数千円だとかする歌舞伎座に行くのは不可能だと思い込んでいたのである。
しかし、由梨と一緒に行った6月の国立劇場歌舞伎鑑賞教室で初めて見て気になった中村虎之介さんが8月の歌舞伎座の公演に出ることを知り、ついでに「一幕見席」というシステムの存在を知り、ぼくは「……これは……!」と思った。虎之介さん、出るんだ。1800円で観れるんだ。また虎之介さんを観たい。虎之介さんに会いたい。ぼくの胸の中で虎之介欲(なんだそれ)が高まっていく。言っておくが、この感情はぼくがゲイであることとは直接関係がない。ぼくは一人の歌舞伎役者として中村虎之介さんを愛している(それはそれでキモい)。
別に一人で観に行ってもよかったのだが、虎之介仲間(なんだそれ)である由梨に黙って行くのは気が引けたので、7月のある日、ご飯を食べた時に「8月の歌舞伎座に虎之介さんが出る。幕見席とかいうのなら1800円で観れる」と由梨に教えた。馬鹿正直に教えた。由梨は歌舞伎にそこまで興味があるわけではなさそうだが、ぼくとぼくの好きなものには興味があるので(本当か?)、「へえ。1800円なら安いね。行こうよ」と言葉を返してきた。「高すぎるわけではないね」ではなく「安いね」と言えるその金銭感覚に違和感を覚えつつも、ぼくは「行く? じゃあ行こっか」と応じる。由梨が一緒に行くと言ってくれて正直ホッとした。歌舞伎座という敷居の高そうな場所に一人で行くのはちょっと怖かったのだ。
「一幕見席」のチケットは前日からネットで買える。ぼくは発売開始時刻ちょうどに販売サイトにアクセスして狙い通りのチケットを買うのが得意なタイプの人間なので、由梨と行く日の前日、無事に4階中央ブロック前列の2席を購入することに成功した。というか、「一幕見席」って別に当日でもふつうに買えるっぽい(演目にもよるんだろうが)。
当日、ぼくと由梨はJR田町駅改札前で待ち合わせ、都営浅草線三田駅から東銀座駅へ向かった。東銀座駅で降りるのはこれが人生初である。「銀座」とか「東銀座」とかはセレブ御用達の駅というイメージがあるからちょっと緊張する。由梨も東銀座駅で降りるのは初めてだそうだが、まったくもって緊張しているようすがない。むしろ伸び伸びしてやがる。やっぱりコイツすげえな。どこに行くのでも由梨が一緒だとぼくは心強い。
東銀座駅下車。3番出口方面へ。デパ地下みたいなお土産フロア(木挽町広場というらしい)を横目にエスカレーターを上がって、地上へ出る。そこはもう歌舞伎座の敷地内である。ちょっと離れて正面から建物を眺める。うわあ、これが歌舞伎座かあ。由梨が「あっちだ」と言って、一幕見席客用専用の入口へぼくを導いていく。両開きのエレベーターに戸惑いつつ4階へ。スマホでQRコードをかざし入場。これが松竹の劇場か。国立劇場とはまたちょっと違うし、ザ・スズナリとは全然違いますね。
事前の予習でイヤホンガイドの重要性を学んでいたぼくは、500円を払ってイヤホンガイドを借りた。由梨は「わたしはいらないかな」と言ったが、ぼくは借りた。そうなのだ。金がない金がないと言いつつ、ぼくはイヤホンガイドは500円払って借りてしまう人間なのだ。逆に言うと、こういう副次的なアイテムにお金を費やしてしまうからぼくは日常的に金欠なのかもしれない。っていうか、この記事でも最初からずっとお金の話ばかりしている自分が情けなくなる……もっと高級なバイト探そうかな……
開演ブザー鳴響。ぼくらが観たのは『八月納涼歌舞伎』第一部の『次郎長外伝 裸道中』だ。これは、博打に明け暮れて貧乏暮らしをしている勝五郎(中村獅童)とみき(中村七之助)夫妻のボロ家に、恩人・清水次郎長(坂東彌十郎)の一行がやってくるというお話である。新国劇では上演されたことがあるらしいが歌舞伎として上演されるのは初めてらしい……が、そもそもぼくは「新国劇」が何なのかをググるまで知らなかったし、ググったところでいまいちよく分かりませんでした(無知無教養晒し)。
結論から言うと、『裸道中』はぼくがこれまで観てきた歌舞伎の中で最も素直に「面白い」と思える演目だった。台詞は現代の我々が使う日本語とほぼ同じで分かりやすく、イヤホンガイドを着けているのが馬鹿らしくなるほどである。開演前は途中で由梨にもイヤホンガイドを聞かせてあげるつもりでいたが、そんなことが必要になるような場面もなかった。ただ、「おたんちん」という単語の意味についてちょうどいいタイミングで解説が入ってありがたかったので、それだけでも500円の元は取れた……かな?
大学の放送サークルで音声ドラマを作っている人間としては、さりげない伏線の張り方に感心させられた。勝五郎と次郎長が会話をしている後ろで、次郎長の子分たちが甕の中の水を勝手に飲んだりするのだが、実はこれがのちの展開(というかギャグ)の伏線になっている。あの甕の中に入っているのは水だとあらかじめ示しておくことによって、その後の「酒を水で薄めてかさ増しする」というギャグを説明なしで観客に分からせているのだ。これは脚本によってではなく稽古によって創られた伏線である。稽古の段階でこしらえられた演出なのだろうと想像できる。『裸道中』に限らず、きっと歌舞伎にはこういう「芝居の知恵」がたくさん詰まっているのだろう。
それと、勝五郎が過去を懐かしんで言う「あいつが16歳、おれが21歳で、○○(神社の境内?)のどこそこでナニをして……」という台詞の使い方にも感心させられた。この台詞は、前半で次郎長たちを相手に言う時にはギャグとして、後半で女房を相手に言う時にはシリアスな言葉として現れてくる。台詞自体は同じだけど二度目に出てくる時にはニュアンスが違う。にくい仕掛けだと思う。巧い仕掛けだと思う。ぼくはこういう演出が好きだ。ここだけの話だが、この「同じ台詞を別の意味で反復する」という演出を、ぼくは9月の番組発表会の音声ドラマでさっそく真似させてもらった。
さて、お目当ての虎之介さんについて。虎之介さんは次郎長の子分の法印大五郎という若い男の役で、ちょんまげ姿ではなく一人だけ坊主頭だった。台詞はあんまりなかったように思う。虎之介さんの見せ場を期待していただけにやや残念である。ただ、終わりのほうで男たちが上半身裸になるくだりがあって、健全なゲイとしては若干ドキッとしてしまった(あとで分かったのだが、だからこの演目は『裸道中』というタイトルなのである)。不純な歌舞伎鑑賞をしてしまって申し訳ない。
この日、ぼくと由梨は、ぼくが持っていったオペラグラス代わりの双眼鏡を共用していて、裸の場面ではちょうどぼくが双眼鏡を使っていた。だけどここで虎之介さんの裸を凝視したらぼくは興奮し、挙動不審になり、隣の由梨にゲイだと気付かれてしまうかもしれない。ふう。本当は虎之介さんの裸を見たいがやむを得ない。ぼくはこの時、勝五郎の女房・みき役の中村七之助さん(当然着衣)にあえて双眼鏡のレンズを向け、「男の裸なんかに興味ないですよ」というポーズを取った。おかげで七之助さんの表情はよく見えたが、一抹の悔しさが残る結果となった(やはりぼくは不純な観客です)。
前半では半ばコントのように笑わせ、後半ではシリアスに引き締めてぐっと惹き込み……というお芝居を堪能し、ぼくらは今度は階段を下りて歌舞伎座の外へ出る。由梨に「イヤホンガイドいらなかったね」と言うと、「ね! ふつうに何を言っているか理解できた」と返された。なんか悔しい。ぼくはイヤホンガイドを借りたことを後悔はしていないが、借りなかった由梨の選択のほうがベターだったように思う(特に経済面で)。でも、イヤホンガイドのことぼくは結構好きになったけどね。ぼくみたいな「解説を読む/聴くのが好きな人種」にはうってつけの有料サービスだ。
歌舞伎座の脇のグッズショップへ。ぼくは何も買わなかったが、由梨はお土産のお菓子を買った。外へ出る。暑い。由梨が「せっかくだからお昼は銀座で食べよう」と言い出したので、ぼくは今月財政危機であることを伝えたが、由梨は「大丈夫だよ。こっち行こう」などと言って銀座の街を突き進んでいく。本当に大丈夫かしら。どう考えてもぼく、銀座でお食事なんてしていい身分じゃないと思いますけど。ベラベラしゃべりながらJR有楽町駅方面へ歩くと、銀座ファイブとかいう謎の商業ビルがあったので入ってみた。一階の店舗を冷やかしたあと、地下一階のレストラン街へ。ぼくが「はなまるうどんだ!(=ぼくの入れる店を見つけた!)」と叫んだのを無視して、由梨は「ここはどう?」とスパゲッティ屋さんの看板を指さす。「い、行ってみるか……」。店を見た目で判断しては悪いが、とりあえず高級店ではなさそう。ぼくは由梨に先導される形でスパゲッティ屋さんに入る。
スパゲッティを食べながら、ぼくらは『裸道中』の感想を述べ合う。ぼくが話したのはいま上に書いたようなことだ。あとは「イヤホンガイドは何を言っていたの?」と聞かれたので、「おたんちん」のことを教えた。由梨はお芝居の内容に加えて、舞台装置や美術のことを語ってきた。道具の使い古した感じが細かく描かれていたとか、人物によって同じ色でも服の色が違っていたか。ぼくは全然気にしていなかったポイントだ。そんなことに着目するのは由梨が放送サークルでアニメを作っている人間だからかもしれない。逆に言うと、ぼくは音声ドラマを作っている人間だから着目しないのかもしれない。ぼくにとって由梨は違う視点を提供してくれる存在であり、自分の鑑賞体験を補ってくれるような相手なので、ぼくは由梨と一緒に何かを観に行くといつも「得」をしたような気分になる。と同時に、自分の物の見方の中途半端さをいつも反省させられる。
というか、ぼくと由梨ってもしかしたら運命的なほどお似合いのコンビなのかもしれない。だって、ぼくは音声ドラマという「聴覚」畑の人間で、由梨はアニメという「視覚」畑の人間だ。まさにお互いがお互いを補完し合っている。聴覚と視覚。ぼくらはちょうど一対のつがいのように……と思ったが、冷静に考えてみると、放送サークルで発表される作品は映像作品が多くて、放送サークルで制作者をしている人間の大多数は「視覚」畑の人間なのだった。ぼくが「聴覚」畑なのが珍しいだけなのだった。放送サークルで番組を作っているひとは、ぼくと付き合えばかなりの高確率で「聴覚と視覚のカップル」になれます。
というわけで(どういうわけだ)、ぼくらは無事に歌舞伎座デビューを果たした。ぼくらは最初は虎之介さん目当てでしかなかったが、終わってみれば、ぼくは次郎長役の彌十郎さんのことも好きになった。由梨は主演の獅童さんを好きになったとのことだった。歌舞伎っていうのは役者を基準に観に行くのがとっつきやすくていいのかもしれないな。ぼくらは9月にも歌舞伎座へ行って『二條城の清正』という演目を観てきたが、これも由梨がアニメ映画の声優として知っていた市川染五郎さんが出ていたからだ。まあ、その話はまた今度書くことにしよう。ぼくはこのnoteに書かなきゃいけないことが多すぎる。記録しておきたい記憶が多すぎる。