ぼくは引退する

 ぼくは引退する。ぼくは大学で放送サークルに入っている。先月のぼくの人生の一大事が「彼女の実家に行ったこと」だったとすれば、今月のぼくの人生の一大事は「サークルを引退したこと」である。まだ今月はもう少しだけ日数が残っているので、もしかしたらこれよりもっとどデカいことが起きるかもしれないが、まあとりあえず、ぼくの今月の暫定一大事は「サークルを引退したこと」。なんと言ってもこれである。

 大学3年生なのだからサークルからの引退は避けられない。このサークルで主に音声ドラマを作り続けたこの2年超の歳月は、ぼくとしてはあっという間だったようにも思うし、濃密だったようにも思う。今月開催された引退番組発表会で、ぼくはいつものように大トリの枠を任された。ぼくはいつものように短期間で脚本を書き、いつものように常連俳優の部員を集めて練習を重ね、いつものように他大学のお客さんの前で生上演した。いつものような傑作をお届けできたと自負している。あまりにもいつもと同じ一連の作業だったので、ぼくには感慨に浸る場面がなかった。

 発表会の終わりに渉外副部長として壇上で挨拶させられたけど、「ああこれで引退なんだ……」という感傷的な気分にはならなかった。会長の河村と渉外部長の浅野の挨拶が終わって、壇上の河村から急に名前を呼ばれた時、ぼくの脳内を駆け巡ったのは「おい河村、急にぼくを呼ぶなよ」という想いだけだった。そして壇上に上がったあとも、ぼくの脳内を駆け巡ったのは「面白いこと言って客席をウケさせなきゃ」という想いだけだったのである(ぼくのアドリブの挨拶はややウケで幕を閉じました)。

 自分が引退したと実感したのは、発表会のあと、部員全員で打ち上げに行った時のことだ。去年と同様、うちのサークルでは、先輩のほうから後輩に「卒業証書」を渡すという儀式が行われた。「こんなロクでもない先輩たちとの上下関係から卒業できておめでとう!」という、一種の自虐的なジョークである。もっとも、ジョークのつもりでいるのは先輩側だけで、後輩側は「本当に卒業できてよかった……」と思っているかもしれないが。

 ぼくはこの「卒業証書」をデザインして自宅のプリンタで印刷して持ってくる係だった(うちのサークルはぼくに依存しすぎである)(番組発表会のパンフレットをデザインしたのだってぼくだったんだぞ!)。打ち上げ会場でどんちゃん騒ぎ(と言うと大げさだが)を繰り広げていたら、河村から小声で「そろそろ『卒業証書』渡すか」と声をかけられた。ぼくはかばんの中から「卒業証書」が束になって入っている袋を取り出し、「(作ったのを)感謝してくれよ」と言いながら河村に渡す。後輩の人数分あるので重たい。何が面倒だったって、これをデザインすることや印刷することよりも、かばんの中に入れて家から持ってくるのが最大の面倒だった。ぼくは引退発表会当日に筋トレしたかったわけじゃないんだぞ!

 河村が「それでは『卒業証書』を渡します」と言って、一人ひとりの後輩の名前を呼んで「卒業証書」を授与していく。一連の作業に疲れたからか、河村は途中で「(ぼくの下の名前)、続きよろしく」と言ってきて、途中からはぼくが「卒業証書」授与の役目を担当することになった。なんだかんだでぼくは出しゃばりなところがあるので、こういう役目を譲られたのはうれしかったりする。

 次期会長の岩下に「卒業証書」を授与する時、岩下から「(ぼくの下の名前)さんじゃなくて他の先輩から渡されたかった!」「(宮田のあだ名)さんから受け取りたい! やり直してください!」と笑顔で抗議された。ぼくは「うるせえ! (河村のあだ名)から渡されるよりはマシだろ!」と言い返す(口が悪くてごめんなさい)。ぼくは自分の作品でいつも岩下を主演に起用してきた。ぼく的には「黒澤明と三船敏郎」的な関係だったと思っている。それといまだから白状するが、去年の一時期、ぼくは岩下を恋愛対象として見ていた。ノンケに恋をしたところで苦しいだけなのはよく分かっていたから、その時は「ぼくがいま感じているこの『好き』は恋愛じゃなくて親愛なんだ」と必死で自分に言い聞かせた。今年の春に爽やか高身長イケメン深田健也が入部してきてからはそれどころじゃなくなって、岩下への恋愛感情はどこかへ吹き飛んだけど、ぶっちゃけ、いまでもぼくは岩下と二人きりでしゃべる時は少しだけ胸がドキドキしたりする。

 打ち上げが終わり、みんなでお店の前でたむろする。この時、ぼくはようやく自分が引退することを実感した。そうか。部員全員でお店の前にたむろして、「みんなお店の外に出た? 忘れ物ないよね?」とか言い合って、誰かの号令で三本締めをして、「とりあえずここで解散で」「二次会に行くひとは二次会行きましょう」といった声を夜空に響かせる。そういう場に居合わせるのは、ぼくにとってこれが最後なのか。

 急に寂しい気持ちになってぼくが黄昏ていると、一年の木村が「(ぼくの下の名前)さぁん! 今日はお話しできてませんね!」と酔っ払いみたいに絡んできた(未成年だからお酒は飲んでいないはずなのにどうしてでしょうねー?)。この約半年、ぼくは木村の「約束すっぽかし癖」にだいぶ振り回された。うちのサークルが携わった大学同窓会関係のイベントでそれをやられた時は、ぼくは木村と一緒にOB・OGたちのもとへ出向いて頭を下げた。初対面のお年寄りから「しっかりしてもらわないと困るよ」と説教されて、ぼくは「誠に申し訳ありませんでした」という謝罪の言葉を繰り返すことしかできなかった。でも、ぼくは木村のことを嫌いになれない。それは木村が人懐っこいイケメンだからでもあるが、木村だって本当は約束をすっぽかしたくてすっぽかしているわけではないとぼくは知っているからである。木村は木村で自分自身に苦しんでいる。

 ぼくは、酔っ払いみたいに絡んできた木村の髪の毛を触って、グシャグシャとかき回す真似をする。あくまで真似ですよ? でも木村は「わあ! やめてくださいよお!」と言いながら小さく暴れる。ぼくと木村がイチャついているのに嫉妬したのか(?)、宮田たちとしゃべっていた二年の藤沢がこっちを見てきた。ぼくは木村を連れて藤沢たちの会話の輪の中に入る。さっき一瞬だけ沸いていた寂しさがうやむやになった。

 センチメンタルなお話を期待しているひとには恐縮だが、このnoteを書いているいま、ぼくはサークルから引退したことについてまったく喪失感を抱いていない。というのも、まず第一の理由として、うちのサークルでは四年生もふつうに部室に行ったりとか、活動に関与したりするからである。「引退」といっても、それは「番組発表会にもう自分名義の番組を出品することはない」という話にすぎないのだ。四年生がサークルのウェブラジオに出演することもあるし(野島先輩なんて今年一人でパーソナリティを務めた回もあった)、なんなら番組発表会で上映する映像番組に出演することもある。さすがに生番組に出演することはないけどね。

 そして、ぼくが喪失感を抱いていない第二の理由は、新たにインカレの放送サークルを立ち上げたからだ。このnoteで過去に触れたかどうか記憶が曖昧だが、少し前にぼくはインカレの放送サークルを立ち上げた。来年、対面の番組発表会を開催する予定である。インカレサークルと言うとかっこいいが、他大学のメンバーは4名だけで、あとの十数名はすべてうちの大学の放送サークルとの兼部者だ(ぼく自身を含む)。大学の放送サークル側からすると、ぼくがサークル内に派閥を作って分派活動を始めたみたいな感じになってしまっていて、ぼくとしては少々気まずい部分もある。

 まあ、実際、ぼくの派閥と言われてもしょうがないのではある。だって、堀切、藤沢、佐々木、田川、井上公輝、井上慎作、阿久澤、白川、木村とかがメンバーなんだもん。いつメンすぎる。ただ、ぼくの作品とはこれまで絡みがなかったひとも入っていたり(河村とか伊勢崎とか宇佐見とか)、逆にぼくとプライベートで仲が良いからって入っているわけじゃなかったりして(宮田とか梶とか)、人選はしっちゃかめっちゃかである。というか、「入る?」「入るー!」みたいなやり取りだけでとりあえずメンバー表に名前を載せていっているだけなので、当人たちだって「兼部している」という認識はないだろう。せいぜい「(ぼくの下の名前)が面白そうなことやるなら手伝ってやってもいいよ」ぐらいの感覚だと思う。だいたい、前会長(暦の上ではギリ現会長)の河村がメンバーに名を連ねている時点でこっちのほうが「本流」なのである(と藤沢が言っていました)。

 というわけで、今後このnoteでぼくが「うちのサークル」と書く時、それは大学の放送研究会のことではなく、ぼく(たち)が立ち上げたインカレの放送サークルのことを指します。めちゃくちゃ紛らわしくてごめんなさい。本当は固有名詞を書くことができれば分かりやすくていいんですけどね。それを避けているワケはお察しの通りです。

 ちなみに、岩下はこのインカレサークル(「うちのサークル」)のメンバーに名を連ねていない。深田も名を連ねていない。「その理由は?」と問われても上手く答えられない。このインカレサークルはそういうことじゃないってことなのだ。他大学の放送サークルに所属している彼女も、このインカレサークルの裏事情を1から100まですべて知っているが、やはりメンバーに名を連ねていない。このインカレサークルはそういうことじゃないってことなのだ。じゃあどういうことなのかっていうと……えーっと、やっぱり上手く説明できないや。でもその線引きは重要。とりあえず、ぼくは引退したけど新出発したってことなのです。

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