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ここ最近の徒然

お立ち寄り頂きありがとうございます。
タイトルですが、別にこの記事に限らず、大抵徒然にしか語っていないことを自覚しています。今回はいつもより更に散文的というか、何となく日記のようなもの、ということで、お付き合い頂ければと思います。

父が退院してひと月を超え、共に介護をするはずの母の協力はそれほどでもなく(でも、全くしないというわけでもなく)、それなりにリズムを掴みつつ日々を過ごしています。
noteを書く時間が無いかもしれない、という危惧も、意外と外れました。デイサービスやショートステイを利用してもらっている間や、父がお昼寝をしている間などに、ばーーーっと下書きを打ち込んでおいて、早朝にちまちまと投稿するスタイルに落ち着いています。先のことは解りませんが、何とかなるものですねぇ。

この一か月と少し、実は色々なことがありました。
父は数回、救急搬送されました。突然意識を失うようなことがあり、それでも大事には至らずに様子見で過ごせています。心配しすぎて私の具合が悪くなったりもしましたが、私もどうにかすぐに持ち直せました。

……その点は持ち直したのですが、私の方にも少し気になる症状が出てきまして、今のところお薬で様子を見ているものがあります。通常は飲み始めて割とすぐ治るという症状が、寧ろ日々悪化しているので、近々もっと詳しい検査を受けることになるかもしれません。何だかどんよりしたものと歩んでいたりもします。

それから、伯母が旅立ちました。父の一番上のお姉さんです。
父は四人きょうだいの末っ子で、そのお姉さんとは七つ違いです。
その報せは年の離れた従姉から、電話でもたらされました。私の病状を知っている従姉は、気遣ってくれて私にも取り敢えず黙っていようとしてくれていたのですが、つい勘付いてしまって食い下がりました。
そのとき父は少しお疲れモードの日々だったので、母と相談して知らせるのは翌日にしました。父が静かに泣くのを見るのは、本当に久しぶりのことでした……。

私は読書が好きでしたが(今はあまり読みませんが)、そのきっかけをくれたのはこの伯母だと、私は信じています。
二歳の頃のとある月曜日、あの日は誕生日とかクリスマスとか、そんな特別な日ではなかったはずですが、夜七時にやって来た伯母夫婦は、世界の童話を二百以上集めた、子供に読み聞かせをするためのような感じの本をプレゼントしてくれました。それぞれのお話は大体、見開き二ページで完結していて、挿絵もふんだんにありました。
文字に興味のあったらしい私は、結局その本は主に自力で読んでいました。全部読み仮名が振ってあったのと、豊富な挿絵のお陰で、もちろん何となくなのですが、大筋は理解できていたように思います。
この経験が、私を物語の世界へと導き、数年後には空想の世界で文字と遊び始める趣味を与えてくれたのだと、私は信じています。去年の夏、懐かしくなって全てのお話を読み直してみたところでした。次の春にこういうことになるとは、思ってもみませんでした。

とても苦労をした伯母で、けれど本当に心が優しく、働き者で、ここ数年は会えていませんでしたが、本当に尊敬できる人です。
……何だかまだ実感が湧かなくて、でももう伯母にはこの世では会えない。それがとても切なくて、そして不思議です。
伯母さん、お疲れ様でした。そちらで、もう息子さんには会えましたか? きっと会えましたよね。私はまだまだ伯母さんに、心の中で何度だって会いたいので、お別れの言葉は今は言わずにおきます。

……noteに過去のことなどを振り返りつつ、いま現在としてはこんな感じの日々を送っています。
すべての人に様々な出来事が起こっていて、地球上ではどれほどの膨大な生きた物語が繰り広げられているのだろう、と、少し気が遠くなりますね。
取り敢えず、私は私の物語に集中して歩んでいきます。

何だか最近長くなりがちですが、今回はこの辺にて。
お読み頂き、どうもありがとうございました。
ところでこのお花は「ヒナギキョウ」という名前らしく、なるほどなぁ、と眺めていました。

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佐竹紫円
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