【ハーブ天然ものがたり】桑/マルベリー
お蚕さん
桑といえば蚕のエサとなる葉を茂らせる、地球上で唯一無二の樹木。いえ、このさい「絹を生む聖樹」とためらわずに申しましょう。
蚕のマユからつくられる絹糸は、明治のころの基幹産業で、当時の日本を支える重要な輸出品でした。
養蚕業が全盛期だった昭和初期は桑畑をあらわす地図記号もあり、桑林は日本の原風景として、一時代を築いたといっても過言ではありません。
桑畑は全国の畑地面積の4分の1を占めていたそうです。
日本の野生原種ヤマグワと、中国原産種とされるマグワのほか、10数種ほど変種の桑が確認されています。
ひとつの木に切れ目のある葉と、はいらない葉をもつ「葉のかたちが一定ではない」めずらしい姿形をしています。
蚕という字をひらくと天の虫。
絹、シルクを生み出すかいこは、神蠶から転じたという説があります。
古事記、日本書紀には、神のからだから食物が生まれた物語が収載されており、古事記では神のあたまから、日本書紀では眉(第3の目、アジナチャクラ)から蚕が誕生したとされ、天照大神は蚕のマユを口にふくんで糸をつむいだという記述ものこされています。
世界の神話に共通する食物起源神話は「ハイヌウェレ型」と呼ばれ、作物は死んだ神のからだから生まれたと伝承されてきました。
ハイヌウェレ型は上位存在の排泄物が、下位存在にとっての滋養・恵みになることを伝えています。
人の呼気、汗、涙、涎、唾、痰、目くそ鼻くそ、大小便に至るまで、排泄した本人にとっては複雑な体内システムで精査され、最終的にいらないと判断して自己から分離したものなので汚いと感じますが、土壌にとっては無駄なく肥やしになる成分が満載です。
創造物は自らのエネルギーを分割して生み出されるものなので、神話に登場するバラバラ事件や八つ裂き案件も、創造分化することで下位の世界に事物として存在できることを表しているのではないかな、と考えています。
日本神話ではさまざまな穀物とともに、蚕が生まれ出ています。
大気都比売のあたまから蚕が、
保食神の眉から蚕が、
そして火之迦具土神と土の神・埴山媛の間に生まれた和久産巣日神のあたまから蚕と桑が生じました。
稲、粟、小豆、麦、大豆、稗などの穀物とともに、毛色のちがう蚕というムシが生まれ、さらに生まれた場所が神の頭部だったことを思うと、神々の意識・思考に、蚕-桑-絹はまっすぐつながっているようにも思えます。
蚕-桑-絹がそろうことで、天界の奥の院に通じるスーパー・ユニットになるのではないかしらん、と。
絹
繭をつくる絹は、セリシンとフィブロインというたんぱく質でできており、人の皮膚に似たアミノ酸組成をもっています。
セリシンは、セリン、アスパラギン酸、グルタミン酸、グリシン、スレオニン、アラニンなどで構成され、さなぎを外の風雨や熱、湿気、紫外線、細菌等からまもって、快適に成長できるよう包み込みます。
この組成は人の角質層にある天然保湿因子に似ています。
フィブロインは、グリシン、アラニン、セリン、チロシンで、人の真皮層にある組織に似ています。
きものを着る人は覚えがあると思うのですが、帯を締めるとき、耳ざわりのよいキュッキュッという音がします。
衣服を身につけることが、ひとつの儀式のように感じられる、気も身もいっしょにキュッと引き締まる音です。
蚕と桑のスーパーな秘密に近づきたいという動機から、和裁を習っていた時期がありました。
はじめは織物の先生をさがしたもののみつからず、和裁の先生ならとご紹介いただき迷ったのですが、祖母や親戚から頂いた着物をもてあましていたこともあって、すべてほどいて作りなおすのにちょうどよいと考えました。
なおかつご縁のあった先生は素敵な人で、私はすぐに惚れてまいました。
以下は和裁先生のお話をメモしていたノートから。
和裁をとおして、いろいろな風合いの絹にであい、さわって断って、ぬいあわせ、布と密な時間をすごした数年間は至福の日々でした。
なんといっても、蚕と桑の創造物(奥の院につながる可能性をもつエーテル体の地上的象徴物)と戯れることができる。
「蚕の繭は、いわば織りなされた太陽の光」と、黒板絵に描き残したルドルフ・シュタイナーのことばを反芻しながら、黙々と作業するのは、ほぼ瞑想のような時間だったと思います。
はじめて先生にお目にかかった日、「なぜ和裁をしようと思ったの?」と尋ねられ、なにかお蚕さんにつながることをしたかったんですと答えた私に、「あら、そう、まぁ…」とそつなくお返事くださった瞳の奥が、キラッと一瞬輝いたご尊顔が、いまでも忘れられません。
神の頭部より生まれて地上に顕現し、太陽光の化身となり、音を奏でるための繊維となり、繭のカタチそのままに着る人をお守りする結界布にもなる。
絹の唯一無二なる存在感は、蚕なくしては得られず、さらには桑の葉なくして得られず、なのです。
健康食品としての桑
桑の根皮は桑白皮
葉は桑葉
枝は桑枝
果実は椹、桑椹、桑椹子
という名で生薬になっています。
利尿、鎮咳、去痰、消炎、強壮作用が知られており、果実は倦怠疲労、不眠、かすみ目、便秘によいといわれています。
桑の葉茶は、大きく成長した葉を天日干しにして揉みつぶし、すり鉢などで細かくしたものを、抹茶のようにして飲んできました。
ビタミン、ミネラルが豊富で、なかでもカルシウムの含有量はとくに高いといわれています。
ウィキペディアには「便秘改善、肝機能強化、脂肪の抑制、糖尿病予防などの研究報告もされている」とあります。
桑の実は、現代ではマルベリーと呼んだ方がピンとくる方も多いかもしれません。
日本の歴史にも古くからあり、縄文集落跡の三内丸山遺跡から大量のマルベリーの種が出土しています。
果実は6月から8月にかけて赤黒く熟し、そのまま食べたりジャムにしたり、果実酒にしたりします。
ビタミンCと、抗酸化力の高いポリフェノール・アントシアニンが豊富です。
桑の実が熟した色を土留色といって、小学校のプール実習では先生がよく「唇が土留色になったら無理しないであがってこいよー」と言っていたのを思い出します。
北海道の夏は短く、そう暑くもなく、現代とちがって野天プールでしたから、プール実習で体温下がる子はめずらしくありませんでした。
実際は赤黒い土留色というより、顔面蒼白になって、くちびるが紫色になる状態を土留色と表現していたように思います。
でも水遊びが楽しくて、プールから出ていかない土留生徒がけっこうな割合でおりましたっけ。
顔色の悪い人をどどめ顔と呼んだり、どどめ先生とあだ名をつけられた先生もおりました。(いつの時代も子供は無邪気で残酷です)
「どどめ」という響きがこどもに伝わりやすかったというのもあるでしょうし、昭和40年代は、桑の木はもっと身近な樹木だったように思います。
JR札幌駅のおとなりに桑園という駅があります。
明治のころ養蚕のために広大な桑畑がつくられたエリアでした。
(いまでは見る影ものこされておりません)
霊力の宿る木と称される桑林が広がる町はいったいどんな風合いだったのでしょう。
桑畑のひろがる日本。
記紀神話に登場するオオゲツヒメや、ウケモチの神が創造分化し、地上に降ろした梯子をつかって八百万の神々が往来する時代の気配。
絹のようになめらかでコシのある空気感が漂い、神も人も、動物も植物も虫たちも、やさしい気配でつながっているような。
つながりを忘れていない大人比率がモノを言うのでしょうか。
しっとりやさしい風合いだった子供時代の空気をなつかしく思います。
くわばら、くわばら
雷が鳴ると「くわばら、くわばら」と唱える呪文。
これも昭和40年代には定説のように口承されていました。
雷さまは桑の木を避けるもんだと、こどものころさんざん聞いていました。
「桑原」は、菅原道真がもっていた土地の名で、その地に雷が落ちることがなかったから、というお話がいちばんはじめに聞いた理由です。
雷の正体は、じつは菅原道真公その人だからと、つけ加えて説明してくれる大人もいました。
日本の口承物語に、雷神があやまって井戸に落ち、井戸の蓋をされて天に帰れなくなったときに、自分は桑の木が嫌いだから、桑原桑原と唱えれば二度とお前のところには落ちないと、カミングアウトした説もあります。
雷神が自分の嫌いなものを告白するなんて面白い時代もあったもんだとほのぼのします。
神も人も、地球上全てのものが絹織物のように縦糸横糸でつながり、梯子を紡いでいる。
自分史において、見えないつながりを意識するようになり、糸や布をエーテル体のようだと感じるようになったのは、桑原のお話しを聞いたことが、土台になっているのかもなぁ、と思います。
つながっていることは「あったりまえだの大前提で、わざわざ口にするまでもない」という大人比率が、とても多かったなぁと、しっとり思い出しています。
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お読みくださりありがとうございました。
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ご訪問はもちろん、スキポチしてくださる皆様ほんとうにありがとうございます。
スキポチでまた記事を書きたいと思い、ハーブのメモや古いマインドマップ、むかし買った本などを読みなおし、さらには今回ホコリかぶってた和裁ノートまで引っ張り出し、もういちど学び直しができることも、とても楽しいです。
みなさまの記事もほんとうに楽しく読ませて頂いております。
創造物の交歓を、これからもよろしくお願い致します。
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