不毛地帯(山崎豊子)【ドラマ感想文】
凄惨を極めたシベリア抑留
「不毛地帯」は、社会派小説家・山崎豊子先生の小説が原作のドラマで、日本陸軍の大本営で作戦参謀をしていた壹岐正(唐沢寿明)が終戦後、今度は武力戦争ではなく経済戦争という平和的手段によって日本の発展の為に奮闘する物語です。
壹岐は終戦後、シベリア抑留を経験します。
シベリア抑留とは、第二次世界大戦が終了後、武装解除した日本の軍人や民間人がソ連によって抑留され強制労働に従事せられたことなどに対する総称です。
主人公の壹岐正(唐沢寿明)は、なんと11年間もシベリアで抑留されていました。抑留生活では、マイナス30度の中、十分に食料も与えられずに過酷な環境下で重労働を強制されました。下記のように舞鶴引揚記念館がまとめています。
<抑留中の生活>
<飢え -抑留中の食料事情->
<重労働 -抑留中の生活->
この生活を11年・・・全く想像を絶します。
シベリアからの引揚後も続く苦しみ
更に、帰国後もすぐに社会参加できた訳ではありません。
壹岐(いき)は2年間は働かずに、抑留生活で酷使された身体を静養したり、部下の生活の面倒を見て過ごしました。
壹岐が2年の浪人生活を送るその間は、妻の佳子が働いて家計を支えました。
壹岐は妻に養ってもらっているという後ろめたさを感じながら生活をしてきました。更に息子の誠(斎藤工)は父を軽蔑するかのような態度で接し、敬遠しました。
もともと大本営参謀を務めた壹岐ですから、誰もが壹岐は国防庁へ就職してその参謀経験を国防に活かすものだと思っていました。
しかし壹岐は「もう戦争には関わりたくない」との思いから国防とは関わらない世界として総合商社へ入社します。
しかし商社マンとしては全くの素人。
はじめに配属された綿花部では冷遇・嘲笑され苦悩します。
新しい生き方を模索する壹岐の姿があまりにも悲しいです。
時を経ても癒えぬ、「極北の流刑地」で味わった苦しみ
歳月が流れ、近畿商事で活躍していた壹岐でしたが、仕事の中で、またしてもあの苦い記憶の残るロシアの地へ行かなければならない事態に遭遇します。
しかし壹岐はその凄惨な過去を思い出すことさえ辛く、ロシアへはどうしても足を踏み入れたくはありませんでした。
たとえどんなに重要な仕事であっても、ロシアにだけはもう足を踏み入れたくないという壹岐に対して、「仕事と個人的な感情のどちらが重要なのですか!」と部下の兵頭(竹野内豊)が迫りました。
それに対して、どんな時も冷静沈着さを失わなかった壹岐が、我を失うほどに感情をあわらにしました。
沈痛な叫びに涙が抑えられませんでした・・。
シベリア抑留とは地獄以外のなにものでもなく、その地獄は壹岐がそうだったように、引揚後も永く苦しみが続きました。
壮大なテーマを前にすると、自分に何ができるか分からなくなりますが、まずは史実を知ることが必要なのかもしれないなと思います。
新宿にある平和記念展示資料館の中には、シベリア抑留に関する展示があったように記憶しています。
また、抑留者が引揚げた際に初めに踏んだ祖国の地である京都の舞鶴に、抑留者の記念館があるようですので、いつか訪れてみたいと思いました。
その他にシベリア抑留を扱った表現物の一つとして、2022年には二宮和也さん主演で、「ラーゲリより愛を込めて」という映画が公開されていますよね。こちらもまた観てみたいなと思いました。
国益という使命と責任。なぜそうまでして生きるのか。
ところで、壹岐はそれほど過酷な生活を何故耐えられたのでしょう。
何が彼をそうまでして生きようと思わせたのか。
それは敗戦直後、壹岐が自決しようとした時のことです。
上官の谷川からこんな言葉とともに制されています。
生きて、敗戦後の日本を見届けること・・・それは自決するより辛いことだと思います。
しかし壹岐はこの時から自身の新たな使命を覚悟し、シベリア抑留という限界を超えた過酷さを生き抜くのでした。
そして帰国後は、今度は武力ではなく総合商社マンとして経済的、平和的手段によって国益を果たすこと、国の発展に寄することが戦争で参謀として作戦を立て、多くの命を失わせてしまった自身の責任であり使命であると胸に刻むのでした。
自分の為だけに生きる場合、シベリアでの生活に11年も耐えることはできないと思います。私なら3日も持ちません。。
壹岐は自分が生きたいと思ったから生きのびようとしたのではなく、大いなる使命を認識していたからこそ、生き抜く気概が生まれたのだろうと思います。
キレイごとだけでは済ませられない現実問題の困難さ
総合商社での仕事は、大本営作戦参謀として国のブレーンを務めた壹岐をもってしても、容易な仕事ではありませんでした。
壹岐は幾度となく、国益に関わる重大な決断を迫られます。
そんな時の壹岐の決断の基準は「国益に繋がるかどうか」でした。
そしてその為には手を汚してしまいます。
しかし現実問題の、しかも国益を左右するような巨大で重大な仕事の中では、「徹頭徹尾、清廉潔白」とはなかなかいかないのが現実ではないでしょうか。
もちろん、悪を肯定している訳ではありません。
「国家レベルの巨大さで、人命にかかわるほど重要で、複雑で、不確実で、答えがなくて、一定の時間に対処しなければならない」という現実問題を対処することが如何に困難であるのかということです。
そんな時に必然的に重要になってくるのが、優先順位なのかもしれません。
何をいちばん守りたいのか。何をいちばん大事にしたいのか。
壹岐は多少汚い手を使っても、「国益」をいちばん大事にするという決断の指針、基準があったから対処していけたのだと思いました。
決断とその犠牲
壹岐の決断は時に犠牲を伴いました。
親友の川又は壹岐の立てた作戦の中で、国防庁から責任を問われ自決します。
また、部下だった小出は「とかげのしっぽ」として会社を追われました。
(これは小出にも非があったのですが・・。)
自分の立てた作戦により、親友が命を落とすことになったら・・・考えたくないほど辛いことですが、壹岐はそれでも進み続けます。
それはやはり、そこで目的を諦めたら、先の大戦を含めた多大な犠牲者に申し訳が立たないと思ったのでしょう。
志を果たすということは・・・かくのごとく、修羅の道であっても成し遂げることこそが責任の取り方なのだ・・・そんなふうに思わされました。
私だったら即挫折してる。。
「石油の一滴は血の一滴。」今度は武力ではなく平和的な手段で石油を獲得する。
太平洋戦争に突入した理由の一つは石油資源の確保をする為だったという説があるかと思います。
壹岐は、かつて武力によって確保しようとした石油を、今度は平和的な手段で確保しようとしたのです。
つまりは太平洋戦争を開始したことに対する反省がそこにはあったはずです。
兵頭がこんなことを言っていました。
「石油の一滴は、血の一滴。」
石油資源は争いを巻き起こすほどに重要だったという世相がうかがわれます。
ところで、人間社会に起きる現象は、その精神性が規定するのではなく、「石油がどこにどれくらいある」みたいな物理的な状況が規定しているのかもしれない、という気がしています。
例えば似た問題として、最近、地政学がスポットライトを浴びているかと思います。たぶん、地理的な条件が政治を左右している、みたいな考え方かと思います。
それと似たような発想で、物理的状況こそが人間を規定しているのではないか?と思ったりしています。ちょっと今後も考えてみたいテーマです。
おわりに
山崎豊子先生の作品は、徹底した取材に基づきながら、社会のゆがみ、ひずみを鋭く追及し、俎上に上げ、更に、その中で渦巻く人間の思惑、権力欲、嫉妬などを交えながら、人間社会の真実を描き切っている名作ばかりだと思います。
不毛地帯におけるシベリア抑留のように、そこで扱われた史実や事柄についてもこれを機に調べることでより作品の世界を広く深く捉えていきたいなと思います。
尚、「不毛地帯」はフジテレビのVODであるFODで観ることができます。
フジテレビ サブスク動画サービス「FOD」
https://fod.fujitv.co.jp/