190415_ぼくは詩人でありたい_13日目
なりたいとありたいの、分厚い紙一重。
ぼくは詩人として死にたいと思っていました。なぜか。それはぼくが言葉に救われてきたから。言葉を通して誰かを救うことで、恩返しをしたいと思っているから。
でも、詩人を名乗ったらみんなからどう思われるだろうということを気にして、言葉を濁していました。
そんな、詩人を名乗るのが怖い人間が、果たして死ぬとき、詩人として評価されるのか。むしろ、評価なんかどうでもよくて、そんな自分を自分自身が許せるのか。
今日、ツイッターで出会ったキャリ捨て @kyarisutebito さんとお話する僥倖に与り、この恐怖は打ち砕かれました。すごい経験。
ぼくは詩人になりたいんじゃなくて、詩人でありたい。
そのことにやっと気づきました。コーチングというか内省というか言語化の力をまざまざと見せつけられました。
今日のハイライトは、キャリ捨てさんからの問い。
「苦しいことは本当に報われる必要が有るのか?」
ぼくはこの問いに、人生を懸けて向き合って、言葉に命を捧げるようにして生きていきます。
そして、ぼくのこのいま毎日更新しているnoteは、非常に大切なものだったんだと、後追いで気づきました。
人生の時々で、声を届けたい相手に届かないことがあったり、声すら出せないときがありました。そんな、トラウマに近い思い出も、「詩人でありたい」という願いに繋がっていると思います。
Eric B. & RakimのRakimというラッパーの「Paid in Full」という曲の一節に、「ペンと紙とステレオと〜」というフレーズが出てきます。音楽を聴いて魂が震える瞬間の一つでした。それは「言葉で価値を届けたい」という願いが自分の根っこに確実に存在していたからんだなと、今日納得しました。
ぼくは言葉と正面から全力で向き合って、詩人として生きていきます。いまこれを書いている時点で心から気が重いです。鬱です。でも、ぼくの心が一番反応するのが「言葉」に対してなので、こういう生き方を選ぶしかないのでしょう。頑張ろう。頑張ろう。頑張ろう。ちろう。
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