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純粋無垢な子供たちの好奇心と狂気が織り成す最狂のマリアージュ!北欧団地からお送りするサイキック•チルドレンホラー「イノセンツ」【ホラー映画を毎日観るナレーター】(726日目)

「イノセンツ」(2021)
エスキル・フォクト監督

◆あらすじ
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ノルウェー郊外の住宅団地。夏休みに友達になった 4 人の子供たちは、親たちの目の届かないところで隠れた力に目覚める。近所の庭や遊び場で、新しい”力”を試す中で、無邪気な遊びが影を落とし、奇妙なことが起こりはじめるのだった。(Filmarksより引用)
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公式サイト↓

『超能力を操る子どもたちが遊び半分にその能力を高め合い、それを争いに使用してしまったことで取り返しがつかない出来事へと発展していく』という様子を描いた北欧のチルドレンホラーです。

長閑なのにどこか不穏でアンバランスな世界観と、常に危なっかしくて不安が漂う子どもたちによる超能力描写の数々には得も言われぬ高揚感すらありました。また、大人たちはまさか子どもたちにそんな力があるだなんて露とも知らないわけですから、我々の預かり知らないところで、子どもたちの世界だけで物語が完結しきっているのが非常に素晴らしかったです。

これは最近見た中でも群を抜いていると言いますか、面白過ぎました!この作品が如何に面白かったかを語るだけのオフ会を開きたいレベルです。

物語の舞台となる団地(映画.comより引用)

作中に建物がぶっ壊れる、大爆発が起きるといった派手な演出は一切無く、映像や音響も非常に静かです。なんですけども、それ故に“逆にこのあと何が起きるのか”、“どんな超能力が見られるのか”等、まったく予想がつかない異質感があるため、最初から最後まで2時間近く画面に釘付けでした。これは本当凄い作品です。

映画.comより引用

今作の監督•脚本を務めたエスキル・フォクト氏はノルウェーを代表する映画監督であるヨアキム•トリアー氏の右腕として「母の残像」(’15)、「テルマ」(’17)、「わたしは最悪。」(’21)など計5作で共同脚本を担当しており、「わたしは最悪。」ではアカデミー賞の脚本賞にノミネートされました。

エスキル・フォクト監督
(https://longride.jp/innocents/より引用)

フォクト氏単独での長編映画監督•脚本は今作が2作目であるにもかかわらず、第74回カンヌ国際映画祭「ある視点」部門に出品されたのを皮切りに、アマンダ賞(ノルウェーにおけるアカデミー賞)では4冠を達成し、世界中で話題沸騰の注目作となりました。

そんな今作は「AKIRA」等数々の名作漫画を生み出してきた大友克洋先生が手掛けた名作「童夢」からインスピレーションを受けたとフォクト監督は語っています。私は「童夢」に関してはまだ未読なので、どれくらい内容が被っているのか存じませんが、クライマックスの展開などはかなりオマージュが感じられるそうです。さっそく読んで確かめたいと思います。

現在今作はアマゾンプライム、DMMTV、U-NEXT、huluにて配信中です。これは是非とも推していきたい作品です!動物に対する凄惨な描写や思わぬタイミングでショッキングな事があったりするので、誰彼構わずオススメするのは気が進みませんが、めちゃくちゃ面白かったです。

映画.comより引用

◇郊外の自然豊かな団地に引っ越してきた9歳のイーダは姉のアナが自閉症で両親もそちらに付きっきりなことに心のどこかで寂しさと不満を抱えていた。そんな折、姉妹は同じ団地に暮らすベンやアイシャと仲良くなるのだが、ベンは手で触れることなく小さな物体を動かせる念能力、アイシャは離れていてもアナと感情や思考を共有できるテレパシー能力を持っていた。イーダたちは大人たちの目が届かないところで、魔法のようなこの力を高め合っていく。しかし、最初は遊びだったこの力は徐々に強大なものとなり、取り返しのつかない出来事へと発展していく…

というのが今作の細かめなあらすじです。

映画.comより引用

今作において、“なぜ超能力が使えるのか”ということ自体はそんなに重要ではなく、子供たちも別にそれを鼻にかけるわけでも、私利私欲のために使うこともなく、ただただ遊びの延長線で高め合っただけなんです。

それこそ、ベンが落下している小石をカーブさせるのを見たイーダが「すごい!もっとやって!私にも教えて!」とはしゃいだり、互いに何を考えているのかをテレパシーで当てっこする遊びで「じゃあもっと距離を離してやってみようぜ」と糸電話よろしく、もっと離れてもできるかという好奇心のみで追求した結果、能力が向上していくわけです。

小石を落下直前にカーブさせるベン(映画.comより引用)

子どもたちも主人公のイーダ以外は何かしら抱えているものがあり、姉のアナは重い自閉症、ベンは母親からの虐待、アイシャはおそらく尋常性白斑など、そういった差別やイジメの対象となる事柄や親からの愛情の不足によって発生した心の隙間が潜在的な力と呼応し、超能力を使えるようになったのかもしれません。

主人公のイーダ(映画.comより引用)
姉のアナ(映画.comより引用)
最初に超能力を使い始める少年•ベン(映画.comより引用)
アナの心を読める心優しき少女•アイシャ(映画.comより引用)

となると、“なぜ主人公のイーダは超能力を使えるようになったのか”というところが気になってきます。両親が姉に付きっきりで構ってくれないことへの寂しさと呼応したとも考えられますが、そもそもシンプルに“純粋無垢な子供(おそらく動物も)なら誰でも素養があり、きっかけさえあれば使えるようになる”という風にも取れます。

小さい頃は見えていたイマジナリーフレンドが成長するにつれて消えていくのと同じで、妄想や空想が現実と解離していく過程でそういった潜在的な力も消えていくのかもしれません。

映画.comより引用

クライマックスの主人公姉妹とベンの対決において、周囲の人間がほぼ気づいていない中、何かを感じとったのか団地のベランダから顔を覗かせる子供が数名いたように、おそらくは子供なら誰でも多かれ少なかれそういった力を生まれ持っていたのではないでしょうか。

そして、そんな能力が自分にあったことなど忘れて誰もが大人になっていくのかもしれません。

映画.comより引用

ベンの子供ゆえの無邪気さというかもはや邪悪さと呼ぶべき行為、行動の数々も悪意がないからこそ、真っ直ぐだからこそ恐ろしくて非常に印象的でした。

•可愛がっていた野良猫を建物の上から落とし、その後何の躊躇もなく首の骨を折って殺害。さらには結束バンドで胴体を思いっきり締め付けて野ざらしにする

•自身を虐待する母親に重症を負わせてそのまま放置、後に死亡

•男性を操つり、同じ団地のいけ好かない中学生を殺害

自分の今現在置かれている状況への不満を超能力によって発散させているというよりかは、「これってやったらどうなるんだろう?」で先のことを考えずにやっちゃったように見えます。

猫に関しては落下直前で動かして助けるつもりだったのかもしれません。距離が離れ過ぎて力が届かなかったとも見れます。一思いに殺したのも、助からないし苦しんでるから楽にしてあげようという風に取れなくはないですけどやっぱり恐ろしいです。

映画.comより引用

ですが、上記のこれらの行動は両親を独り占めしている姉にイーダがイタズラをするのとは訳が違います。ここに関してはやはりベンとそれ以外の子供たちの間で明確な線引があるように思いました。母親からの虐待でそうなってしまったのか、元々そうだったのかは定かではありません。しかし、彼の心には狂気が芽生えかけているようにも思いました。

映画.comより引用

またその邪悪さに気づいたイーダの『なんとかして止めなきゃたぶん取り返しのつかないことになるけど、大人には相談できない』というもどかしい心境もさる事ながら、「じゃあ殺しちゃえばいいんじゃない?」とストレートにベンを橋から突き落とすという行動にも度肝を抜かれます。子供特有の怖い物知らずゆえの純粋な恐ろしさが遺憾無く発揮されているシーンだと思います。

また、今作において姉のアナの存在が非常に重要になってきます。重い自閉症ゆえに会話やコミュニケーションが取れず、両親も付きっきりでアナの面倒を見ています。イーダも両親に甘えられない状況からアナの足をつねったり、時には靴にガラス片を入れて大怪我を負わせてしまいます。

映画.comより引用

それでもアナは声をあげることもなければ、痛がる素振りも見せません。「姉には感情が無いし痛くも無いんだ」と思い込むイーダはイタズラが徐々にエスカレートしていくんですけども、アイシャのテレパシー能力によって姉にも心や感情があるという当然のことを知ることになります。

そこからイーダはアナとも積極的に行動を共にし、ベンやアイシャとも一緒に遊ぶようになることから、もしかしたらイーダは寂しかっただけで、ただ
一緒に遊んでくれるお姉ちゃんが欲しかっただけなのかもしれません。

映画.comより引用

ベンの暴走を止めるため、姉妹で手を取り勇気を出して戦う2人の姿には心を打たれました。この作品は子供たちのサイキックバトルを描くとともに、そんな能力によってイーダとアナが初めて心を通わせて絆を確かめ合うという“姉妹の物語”でもあるのかもしれません。

2人の静かなる命懸けの戦いが行われているとき、周囲の人はほとんどそれに気づいていません。(映画.comより引用)

ラストシーンでは、その能力によっておそらくアナからイーダに何かを伝えようとしていることが示唆されるカットでエンディングに入るため、もう情緒が爆発しました。こんな素敵で切ない終わり方がありますか?

これは完全な私の想像ですけど、成長するにつれてこの能力がもし失われていくのであれば、それはようやく心を通わせることが出来たこの姉妹にとってはその唯一の手段が奪われることに等しいわけです。なんですけども「一度心と心を通わせたんだから、もうそんな力に頼らずとも私たちは大丈夫なんだ」という希望的観測とも取れます。

映画.comより引用

こんなにも視聴者があれこれと想像を掻き立てる程に奥行きのある作品は久々に見ました。何度も言いますが本当に素晴らしかったです。超絶オススメです!

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もしよかったら覗いてやってください。

渋谷裕輝 公式HP↓


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