舟を編む(三浦しをん)
_舟を編む(三浦しをんん)
少し前に友人との話題に上がったからなのか、
言葉について改めて考えているからなのか、
目についたので久しぶりに読んでみた。
辞書を編纂する仕事を通して、言葉についてより深く考えるこの物語は、出てくる言葉が丁寧で綺麗。
辞書好きにも、言葉好きにもたまらなく愛おしい物語。
子どもの頃、知らない言葉や漢字があると「辞書で引いてみなさい」と母に教えられていた。
そのせいか私は、物語を読むより辞書をめくるほうに興味を持つようになった。
「舟を編む」の中で、辞書に使われる紙について細かく描写されるところがある。
辞書をめくる際に指に吸い付くようなあの感覚のことを、そこでは"ぬめり感"と表現している。
すごくわかる!
と思ったと同時に、長年辞書の手触りが好きだと"なんとなく"思っていたものに、名前をもらったような気持ちになった。
言葉とは、そういう曖昧なものを明確にして人に伝えるためにあるんだろうと。
「なんかいいんだよ」というより
「指に吸い付くぬめり感がいい」という具体的なものの方が伝わりやすい。
ただ、その分私の言葉はやたら長ったらしく堅っ苦しい。
一言で言い切ってしまえればいいとは思うのだけれど、一言で表すには「どの言葉が的確か」ということをやたら考えてしまう。
相手にとって伝わる言葉、自分の考えが伝わる言葉、些細なニュアンスの違いがそのまま届いてしまうことを恐れているのかも。
「言葉は時として無力だ」
主人公は言う。
どれだけ言葉と向き合ったとしても、真摯に言葉と向き合ったからこそ、言葉の無力さを感じるのかもしれない。
どんなに言葉を持っていたとしても、それを引き出して使う力はまた別のもののように思う。
それでもやはり、言葉があってよかったなと思うことはたくさんある。
無力さを知ることは、大きなこと。
やたら武器のように振り回す人にこそ、知ってほしい。
母の使ってる辞書が特に好きだった。
それこそ新しい辞書のほうが、載っている言葉や内容が現代的で使い勝手はいいのかもしれないけれど。
その紙の質感や淡い色合い、添えられた図などのセンスがとても好きで。
使い込まれた独特の匂いと母の引いた赤線も含めて、きっとこの辞書はいま成り立っている。
「他の辞書を引くからいいよ」と母からもらったこの辞書は、今も私の部屋にある。
今日は帰ったら「言葉」を引いてみようかな。
文庫本の帯で、大渡海(辞書)の装幀を表現している、そんなところまで愛おしい本でした。
_あとがき (岩波書店 辞典編集部 平木康成)
辞典が言葉を提案することはできず、世間の言葉の後追いしかできない。
辞典を、言葉を「正しさ」の枠に押し込めるよりも、よっと自由に言葉を使うために使ってほしいと常々思っている。
#舟を編む #三浦しをん #辞書 #言葉 #読書