#27 しあわせ探求庁、ケンカ別れ⁈
子どもも大人も、悩みの原因の上位に「人間関係」が入っています。人にとって一番大切なのはやはり人。だからこそ悩みの原因にもなるのでしょうか? 今日は、「危うくケンカ別れか ⁉︎」という数日間を経験したしあわせ探求庁の二人が、ケンカや人間関係について語り合いました(実際には、ケンカ別れはしないので、ご安心ください!)
メンバー2人が実際に対話した記録を記事として毎週水曜日に投稿、導入部分は2人によるトークでお届けします。再生ボタンを押して放送をお聴きいただけると光栄です✨
〜 以下の記事は、上の stand.fm 放送の続きです 〜
ケンカとガマンの関係
今回少し言い合いになってしまった後には、送る前にメッセージを何度も書き直しました。感情的にならないように、勘違いが勘違いを呼んでヒートアップしてしまわないように。人と人とのコミュニケーションは、本当に難しいですね。
そうですね。美織さんとはほぼ毎週2時間こうやって話しているわけですが、これだけ対話していても、ほんの小さなことでボタンの掛け違いが起きてしまい、辛い数日間を過ごしましたね。
言い合いとかケンカは、「何をどのくらいガマンするか」ということと表裏一体な気もしますが、日本文化には何と言うか、「ガマンできるようになることが、大人になることだ」みたいな雰囲気があると思いませんか?
それはありますね。私は、ガマンするかどうかは相手によるような気がします。「相手はこう思っているだろう」と想像してしまうところがあるのですが、実際には込み入った内容を表情だけで伝えることは難しいですよね。ちゃんと言葉にして伝えることが大切だと感じています。
でも私は、三人姉妹の末っ子だったこともありビビりなので、昔からとにかく誰が悪いとかは関係なくケンカしている雰囲気がすごく苦手でしたね。「人に嫌われたくない」思いが強く、ケンカになるくらいなら、自分がガマンして止めるのが自然になっているかもしれません。
美織さん、家族や友人などに、「本当に不満ない? 本当は何かガマンしてるんじゃないの?」って言われることありませんか? こう聞く僕も、そう感じることが時々あります。
僕が仲良く付き合ってる友人の中には、何か気に入らないことがあると全部言葉にしてとことん伝えてくる人が数人いて、「気持ちをちゃんと伝えてくれてる」と安心する部分があります。逆に全部ポジティブな反応だと、「どこかに嘘が含まれてるんじゃないか」って疑心暗鬼になってしまうこともあるかもしれません。
言葉で気持ちを伝えることの難しさ
なるほど。私は、さっき話したように、とにかくケンカしている雰囲気そのものが苦手なので、外から入ってくる刺激を自動的にポジティブ変換して、意識しないうちにポジティブに捉えてしまっているんだと思います。
ネガティブな情報をネガティブなまま受け取るのが「ありのままで自然」なのか、あるいは自動的にポジティブ変換してしまうのなら、それが「ありのままで自然」なのか、難しいところですね。透さんは、何でも言葉で説明して伝えるタイプだと思うので、そういう意味でのモヤモヤは少ない感じですか?
それが、そうでもないんです。僕は誤解のないように何でも言葉にして相手に伝えたいタイプです。これまでの仕事も、語学教師や言語系の研究と、言葉に関することばかりやってきているので、とにかく言葉数が多いタイプです。
なので、僕の説明は「分かりやすく伝わるけど、うるさい。言葉数が多すぎる」と煙たがられることが多いですね。でもどうしても、少ない言葉で「うまく伝わっていないかもしれない」という状態で止めておくことができないタイプです。
なるほど……誰しも自分が受け入れられる情報量のキャパが決まっているので、それを超える情報が相手からやってくると、受け入れる内容をセーブしながらの対応になるからなんじゃないでしょうか……
私はやはり、何でも相手にぶつけて、その結果嫌われても「それはそれでいい」とは思えないタイプですね。嫌われることを恐れずに自分を出す人を清々しいとは思いますが、自分が心地よくいられる状態はそうではないし、今の自分のあり方を「生きやすい」と感じています。
そうなんですね。例え話になりますが、美織さんの人間関係の保ち方は、なんというか、とても優秀な「ストレス圧縮床下収納器」がついていて、外からやってくるストレスが自動的にキュッと小さくなって、自分でもわからないように意識の奥底に格納されている感じに近いんじゃないでしょうか?
今年のディズニー映画『インサイド・ヘッド2』を思い出しました。コンパクトに収納されたストレスって、本当に消えていくのか、あるいは何十年も経ったら溜まってきてしまうのか、僕は気になりますね……
じゃあ透さんは、やはり基本的にはあまりガマンせず、思いはできる限り言葉にして相手に伝えて、その結果ケンカしてしまっても、それは仕方ないというか、かつてのベストセラーのタイトルを借りれば、『嫌われる勇気』を持って生きていきたいという感じなんですか?
長年、そう思っていました。でも、45歳を過ぎたあたりから、そうでもないんじゃないかと思い始めた自分がいます。むしろ相手によってしなやかに在り方を変えて、その結果得られるものを大切にしたい、人間関係も一本調子ではなく、多少工夫できるのではないかと思うようになりました。
ところで、相手に言葉で何かを伝えるという話題になりましたが、美織さん、「自分の発言には責任を持つべきだ」という考え方について、どう思いますか?
言葉に責任を持つのは大切だけど……
「自分の発言には責任を持つべきだ」っていうのは、日本にいると物心ついたころから言われることですし、政治家などもちょっとした失言で責められて、退任に追い込まれることも多いのが日本ですよね。「口に出す前に考えましょう」って教わりますよね。透さんの意見は違いますか?
この間、職場のランチタイムにこんな会話がありました。彼女と二人で暮らしているある男性研究員が「彼女を食わしてやってるんだ(I feed her.)」と発言して、女性陣から、「なぜそんな表現を使うのか? 彼女が料理をしているなら、収入がないというだけでそんな言い方をされるのはフェアじゃない」という声が上がりました。彼はそれに対して、「彼女は仕事も料理もしないし、病気でもない。この状況では、僕が食わしてやってると言っても許されるんじゃないか」と反論し、女性陣は「その言葉は嫌だけど、その状況なら、まあ気持ちは分かる」と引き下がりました。その後、彼がその発言を責められることはありませんでした。不思議と、嫌な雰囲気が残ることもありませんでした。
へ〜、おもしろい。私なら、「食わしてやってる」という言葉を使った時点で、「この人とは話す気にならない」と考えてしまいそうです。けどその言葉の裏にある想いにきちんと耳を傾けてみると、意外と理解できるものですよね。海外で言葉の使い方に厳しいと感じることはないですか?
公の場での発言については厳しいかもしれませんが、なんというか、インフォーマルな場面では、「自分も好き勝手言う代わりに、相手が好き勝手言うのも認める」文化があると思います。相手の言葉一つではその人をジャッジしない土壌があるので、遠慮せずに思っていることを言える感じです。不適切な表現を使った場合は、「なぜそういう言葉を使うのか?」と質問する感じですね。
最初に話題に出た、「ガマンできるようになることが、大人になることだ」が日本の価値観だとすれば、こちらの価値観は「相手の言動に過敏にならない『鈍感力』を身につけることが、大人になることだ」と言ってもいいかもしれません。
どちらがいいかは一概には言えませんが、「自分の発言には責任を持つべきだ」「口に出す前に考えましょう」と思いすぎるあまりに、どんどん言葉数が少なくなっていって、みんなが自分のことを話さなくなるのは寂しいことですね。幸福度調査の結果を説明する時にも使われる、「文化の寛容さ」と関連がありそうですね。
イチゼロ思考になってしまうのはなぜ?
関連があるかないか自信がないですが、精神疾患を患って療養していた友人が、医者に勧められた通り、友人と近くを散歩したり、体調に合わせて近くのショッピングセンターに行ったりしていたところ、勤務先の上司から「療養中は、療養に専念してほしい」と言われたそうです。
その友人にとっては散歩したり買い物に行ったりするのが療養だったわけなのですが、言ってしまえば、「寝ているか仕事するかどちらかにしろ」と言われたようなもので、そんな対応では治る病気も治らなくなってしまうと感じました。
それは辛いですね……今の例だと「療養か仕事」、その他にも、家族や友人とそれ以外の人、ウチかソトか、あるべき姿とそれ以外、というように、多くのものをイチゼロ的に二分割して考えるところは日本文化の一つですね。窮屈に感じるときもありますが、私もはっきりしたいタイプだからなのか、そう考えるときがあります。
今日のテーマのケンカとガマンも、そのイチゼロ思考の中で相手から排除されないように、と思うからガマンしてしまうように思います。もちろん、ガマンするのが一概に悪いと決めつけることはできませんが……
美織さんが「生きやすい」あり方を聞かせてもらって、僕はこれから自分の人への接し方を少し工夫してみたいということも話したので、結論は出ないですが、お互いそうやって考えながら生きているんだということを尊重し合って、これからも活動していきたいですね。
今回ケンカしたのはしんどかったですが、こうやって「何がすれ違いの原因だったのか」について時間をかけて話して、お互いの生き方の違いも認識して、その上でやっぱり一緒に活動しよう、と思えるのは素晴らしいことだと思います。
これからもしあわせ探求庁の活動が続けば続くほど、いろいろあるとは思いますが、その都度今回のことを思い出して、イチゼロ思考にならず、中間のグレーの部分も大切にしながら話し合っていきましょう。
「 今ここで、しあわせを繋ぐ意味がある」〜 しあわせ探求庁でした✨
また来週水曜日にお会いしましょう!
(2024年10月16日)
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