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横尾忠則『YOKOO LIFE』感想編〜絵と人生と日常と〜

「横尾氏のアトリエに遊びにいくの巻」。

ひと言で表現するとするならば、こんなかんじの本と言っていいだろうか。

聞き手・糸井重里氏を通し、横尾氏の日常や思想、制作現場の風景、創作に向かう横尾氏の空気感を体験できるツアー的な内容。

ペーパーバックや装幀もカジュアルでよき。
なんかやっぱり、横尾氏は派手でないと。

まずは「ほぼ日」について調べてみた

『YOKOO LIFE』は、ほぼ日の、横尾氏と糸井氏の対談部分を書籍化したもの。

「ほぼ日」とはいわずと知れた『ほぼ日刊イトイ新聞』のこと。

私はどういうものかちゃんと知らなかった。
そこで、まずは少々調べてみることに。

ほぼ日刊イトイ新聞(通称:「ほぼ日」=ほぼにち)は
コピーライターの糸井重里が主宰する
1998年6月6日創刊のウェブサイト。
運営は、株式会社ほぼ日です。
ほぼ、と言いつつも、創刊日から
一日も休まず、毎日更新をつづけています。

「ほぼ日」では、
さまざまな方へのインタビューやコラム、
ライブ中継の配信など、
あらゆるコンテンツがすべて無料で楽しめます。

』より

そしてほかのコンテンツも見るうちにこんなものが・・・

ほぼ日手帳は「LIFEのBOOK」。
使い方も書く内容も、あなたの自由です。
1年間書き終わると、
あなたの「LIFE」が詰まった
世界に1つの「BOOK」ができあがります。

ほぼ日手帳について』より


ほぼ日手帳のページのスクリーンショット

ほぼ日手帳のページもチラ見。

待てよ・・・「ほぼ日手帳は、LIFEのBOOK」?
そういえば今回の本、『YOKOO LIFE』っていうBOOKだったじゃないか。

つーことは、、『YOKOO LIFE』は横尾氏のことで埋め尽くされた「ほぼ日手帳」みたいなもん、ということか?

『YOKOO LIFE』の中身を思い出してみる。

アトリエやら、絵を描いてるまさにその場面の写真。
料理やら何やらかんやら、横尾氏にまつわる色々な文章も混ぜこぜに、手帳のようにぎゅっと集められていたぞ。

チケットやら写真を貼ったり、自由なレイアウトで書く、ほぼ日手帳。
それに似てるやん、この本。

そんなふうにこねあがった、理屈。
いや、でも、やっぱりリンクしていると思うんだよなぁ、、、

ところで・・・

ほほー、ほぼ日手帳とはこんなにもラインナップが。

この中で自分にふさわしいのは、、どれどれ、、ゆったり書きたいから「カズン」かな・・・ほほ〜こんなに色々なカバーがあるではないか、、何!?大好きな岡本太郎氏のものまで!!

(ハッッ!!ヤバい、いつの間にか買うつもりになってた・・・「手帳3日しか続かなくて、あとずっと真っ白マン」のくせして何をやってるんだ私は・・・でも手帳というモノに来年から再挑戦してみても良いな・・・LIFEのBOOKとやらを、したためてみるというのも一興だ)

閑話休題。

ずいぶん脱線してしまったけれど、この脱線ってやつ、気持ちいいんだよなぁ・・・書きたいことがいくらでも出てくるから。

よそ見もひと段落したところで、この本の心に残った部分をふたつ挙げて考察。

心に残った部分その1:横尾氏の創作論「ぼくは絵から離れたいんです」

本文では、糸井氏を聞き手に、横尾氏が創作論を随所で語っている。

何回も話題に上っているのが「自分の場合、絵からも自分からも離れたほうがうまくいく(自由に描ける)」と言っている場面。

絵に集中すると、どうしても絵のことを考えてしまうでしょう。すると、描いてる絵がつまらなくなっちゃうんです。それよりも、なるべく絵から気を散らして、違うことを考えたほうがいい。そのすると手も自由に動く気がするんです。

本文より

このことは、本文を何回か読んでみても、はっきりとは理解できなかった。

これまで読んだ本もそうだった、横尾氏は観念的(言葉で説明する、考える)より、肉体的(感覚でものを捉える、理解する、体験重視)な部分が、生き方に大きな比重を占めている。

糸井氏が「絵から離れるとはどういうことですか」と質問。
横尾氏がそれに答えている。

その答えに対し、糸井氏は納得しているんだけれど・・・
私にはとらえきれない。

まだまだそこまで創作に没入していない・・・
体験が少ないからかもしれない。

「あぁ、うーん、こういう感じのことを言っているのかな、、、わかるような、わからんような・・・」というぼんやりした「感じ」でしか。

そもそも観念的な説明ではないのだとしたら、ぼんやりした感じでの理解でいいのかもしれないけれど。

でも上手にやろうとすること、認められようとすることばかりに意識が向くと、つまらない表現しかできない・・・みたいなことは少しならわかる気がした。

・・・というのも、私はアフィリエイトをやっていて、アクセス数とかクリック率を結構気にしていた時期があって。

自分にしては、結果もちょっと出せた。

でも、紆余曲折を経て「ウケるとか読まれるとか読者に役立つかなんか、もういいや・・・書きたいことを書こう」となり、毎日好きなことを書き散らかすように。

そのとき、文章の質はさておき、一気に魂が自由になった。
とても楽しかった。文章を書くのが好きになった。

そんな出来事があったなぁ、と思い出した。

心に残った部分その2:「絵の中で自由にできれば、実際の問題に対しても自由にできる」

もうひとつ心に残ったのは、絵をはじめとした創作と人生についての部分。

横尾:自分のことも、家族のことも、いろんなことも、全部どうでもよくなっているか、あるいは忘れているといいんです。いろんな問題を抱えたまま絵を描いても、それを抱えたような絵しかできないからね。しかし、逆にいえばこうなります。「絵の中で自由にできれば、実際の問題に対しても、自由にできる。」これはできそうな気がするわけ。

糸井:あ……、そうですね。

横尾:身の回りの問題を解決してから、絵をその方向にもっていくことは、ぼくはできないと思う。

糸井:うん、それはできないですね。「神になってから描け」というようなことですから。

(中略)

横尾:だから、そんなことよりも、何か自分が夢中になれるものをやって、それが達成されると--まぁ、達成ってこともないんだけど--、自分のややこしい問題が全部「人ごと」みたいになっていくんじゃないかな。

本文より

横尾氏レベルになると、「自分のややこしい問題が全部”人ごと”みたいになる」時間が長くなるのかな・・・と思った。

私にも「作ってる時間だけは、障害とか引きこもりとか色々忘れていられる」って感覚がある。

以前テレビで見た重度の強迫神経症や鬱の人たちも、同じようなことを言ってたんだよなぁ・・・

彼らは精神病院に開設されたアートのアトリエで創作に取り組んでいるのだけれど、作品に向かっているその間だけは、死にたいと思わなくて済む(死ななくて済む)のだと。

つまり、絵を描くことをはじめとする、創作を通して現実のとらえかたが変わるのだ。

もしかすると、「とらえかた」だけでなく現実そのものがゆっくりと変わっていくことすらあり得るのかもしれない。

次回予告:『YOKOO LIFE』の真骨頂は・・・

この本のいわば真骨頂ともいえる内容をまだ語っていない。

それは、横尾氏お手製「ヨコオ式カレー」についてだ。

横尾氏のアトリエにお邪魔したついでに、このカレーをごちそうになる。
この本を読むと、そんな「つもり」になれるということ抜きには語れない。

カレーの作り方だけではなく、食べ方にも横尾氏のこだわりが詰まった内容。

もちろん作りましたとも、ええ。
次回、「ヨコオ式カレー」編として、その模様と感想をお送りします。

乞うご期待!!

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太陽ししまい
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