『悩みも迷いも若者の特技だと思えば気にすることないですよ。皆そうして大人になっていくわけだから。ぼくなんかも悩みと迷いの天才だったですよ。悩みも迷いもないところには進歩もないと思って好きな仕事なら何でもいい。見つけてやって下さい。』感想文【"横尾忠則氏の本9冊読む"の2冊め】
横尾忠則現代美術館での『不思議の国』展を深く理解すべく、やっている"横尾忠則氏の本9冊読む"の2冊めレビューです。
9冊読むことにしたいきさつと、1冊めのレビューはこちら↓
今回ご紹介する『悩みも迷いも若者の特技だと思えば気にすることないですよ。皆そうして大人になっていくわけだから。ぼくなんかも悩みと迷いの天才だったですよ。悩みも迷いもないところには進歩もないと思って好きな仕事なら何でもいい。見つけてやって下さい。』という本(タイトル長い笑)。
横尾氏のホームページ内のブログ(2001〜2007年)と、読者からの質問などへの答えを日付順にそのまま書籍化したもの。
本記事では
本の概要
この本をどう使えばいいと思ったか
気になったところをジャンル別にピックアップして考察
先にした展覧会鑑賞の印象がどう変わったか
以上についてまとめる。
横尾忠則氏に興味がある・好き
芸術鑑賞好き
横尾氏の展覧会を見たことがある
人生・精神世界が好き
こういったかたには興味しんしん、楽しめる内容かと。
ではいってみよう〜
本の概要
先にも書きましたが、横尾氏のホームページ『横尾忠則公式サイト』内の『YOKOO'S VISION』というブログが7年分どかーんと本になっている。
その中で、読者からのお便りにも応えたりして交流もしている。
気さく!!好き!!(すっかりファン)
この本は2007年までで終わってますが、ななんと16年経ってもまだ続いてた……てっきりこの本が出たくらいで終わってたのかと…すげぇ…
本書には、月ごとのスケジュールも。
とんでもないスピードで大きな美術館での個展や各舞台などのポスター、取材旅行、講演、それらに関する打ち合わせ、制作等々行われているのだけど、せかせかした感じがしない。
ひょうひょうとお仕事をこなし、絶えず遊び、病気すら楽しんでいるかのよう。そんな涼やかな「そよ風エネルギー」を行間に感じたのだった。
「霊性の高さ」を見ることのできる本。
この本はビブリオマンシー的に使うとよい
さて、今こうして感想文を書いているわけだけれど。
実は全部読んでない…え??(笑)
なぜなら、途中で「この本は読破するタイプの本ではない」と思ったから。
加えて、130ページくらい読んだところで
「終わり終わり終わり終わり!!!感想文書きたいんやろがい!!今すぐはよ書かんかーーい!!」
という内なる声に従うことにした。
総ページ数も430ページ弱と、ぶっとい本。
何より、ぐわぁぁーーっと勢いよく読み進めるというよりは、休日にのんびり、お気に入りのお茶を楽しみがらめくりたいおしゃれ雑誌みたいな。
ひとつの記事自体は短い。
でも、非常に示唆に富んでいるのだ。
ブログなので展覧会や出版物、ポスターを制作した舞台などの宣伝も織り交ぜつつ、短い言葉にぎゅっと重みが詰まっている。
なので、日ごろゆっくり読むほか、ビブリオマンシー的に使うのがよい、と思ったのだ。
ビブリオマンシーとは…
その都度テキトーなページをパッとひらく。
そしてそこに書いてあることが「今のあなたに必要なこと・メッセージ」というわけだ。
やってみると、「おおー!」という答えがちゃんと出てくる。
面白いですよ。
ビブリオマンシー的な用途を企図して出された本で、ほかに面白かったものをひとつ。
「次元上昇」「アセンション」「ハイアーセルフ」などのスピリチュアル用語が出てくるので、抵抗を感じる人もいるかも。
でも、横尾氏の本や思想がお好きなかたは受け入れられるんじゃないかなと。
並木良和さんのエネルギーはとてもスピーディーで鋭く、無駄がなくて力強い。
何かを変えたい人には効くんじゃないかな〜。
稲妻みたいなもので抱えてたブロックを真っ二つにした後、強い力でひっぱり上げてもらえるようなかんじが本からあふれ出てくる。
ちょっと横道に逸れてしまったけれど、新しい本の使いかたを提案してみた。
気になったところをジャンル別にピックアップして考察
では、気になったところをジャンル別にピックアップ。
私の経験や考えも合わせてまとめる。
あなたはどんな価値観を持たれただろうか。
本書を読まれて、違う印象を持たれたかたのコメントもお待ちしてます。
芸術
芸術鑑賞や作品制作についてのログや質問への答えには、ヒントになるものがたくさん。
私の芸術鑑賞は物心ついたときから。
でも芸術に詳しいわけではなく、自分の感性で好きに鑑賞していいやーんと思ってるんだけれど。
この考えには心底納得。
理解できないジャンルのものも、わからないなりに、新旧色々観るって大事だなと。場数を踏むというのか。
私の芸術鑑賞のスタートは、寺社のような日本の伝統的な建築とか和洋の古典芸術だった。
だから、ほんの8年くらい前までは現代アートや前衛的なのを敬遠してて。
意味も、その美しさもわからなかったので。
でも今は現代アートに心惹かれたり衝撃を受けることも増えた。
それってやっぱり「色々なものを見てみたから」といえると思うのだ。
私は絵を描き始めてまだ間もない。
だからこの部分を感覚的には理解できないけれど…
こういった話って、他の画家の話にもときどき見かける。
例えば岡本太郎氏が1949年に発表した『重工業』という絵。
画面真ん中のねぎに関して「なぜこれを描いたか自分でもわからない」と話したそう。
そして、スウェーデンの女性画家ヒルマ・アフ・クリント。
抽象画を初めて描いたのは彼女ではないか…ということで、昨年日本でもドキュメンタリー映画が話題になった(美術史上はカンディンスキー氏やモンドリアン氏が先駆けとされている)。
彼女の絵は降霊術…いわゆるチャネリング(異次元にいる見えない存在からメッセージを受け取る)によるもの。
「自然に手が動いたまま描いたので、ひとつひとつのものが何を示しているのかわからない」的なことを言ったそう。
こういったことは「極めた人」に起きるのかな…そんなふうにとらえている。
最近のものなので、本の内容じゃないんだけれど。
でもピンとくる感じで気になったので。
「え?上手になったほうがいいし、そのために練習するのでは??」と思った。
まぁでも、やればやるほど深まって自分の中での「上手」の基準は上がる。なかなか満足できなくて然り、かもしれない。
また、ちょっと違うかもしれないけど、岡本太郎氏の言葉も思い出した。
岡本氏は「見た目の美しく整った、心地よさを与えるもの」は芸術じゃないと言っている。
横尾氏のこのログ、前後は別の話題。
短い言葉なので、色々な解釈ができる。
人生
人生全般に関しても、新しい視点をくれるもの、「今まで漠然と感じていたことが言語化されてる!」と興奮を覚えるものが見つかる。
独学をしている人には、道しるべになってくれる言葉。
例えばお金がなくてそうするしかなかったとしても、視点を変えれば感性を磨くことや、自立につながる。
すごく潔くて爽やかな考え方だなって。
私は「流れを変える」ってことを、よく意識的にやっている。
具体的行動としては、
運動
外出
昼寝
花・植物・景色を見る
身体を動かす・場所を変えることをしてエネルギーを動かすといい。疲労は少し寝てすみやかに解消。
追われているときって、一見スピード感をもって作業などこなしているように見える。
でも、実はエネルギーが停滞してて「焦ってばかりであまり進んでない」状態になってしまってる事がある。
短時間でもその作業から離れ、スッキリ気分転換したところ、するする進んだ…ってことはよくあるものだ。
かつての私は失敗がこわくてなかなか挑戦できなかった。
もしあなたにも同じ様なおそれがあるなら、横尾氏のこの言葉が背中を押してくれるかもしれない。
成功の何倍も失敗するものだし、それがあるから成長したり、新しい発見ができると思う。
霊性
スピリチュアリティや不思議な存在、現象に関しても読者からの質問に答えている。
霊性、霊格って言葉。精神世界のことを語るとき、よく出てくる言葉。
「魂は前世からの続き」だと私も思っていて。
ということは私を含め成長途上の人は「霊性が高い」状態になるには道が遠いといえる。
でも、三島氏がいう「礼節ある行動」について考えてみると…お隣さんに挨拶するとか、小さな親切だって十分それに該当するのでは。
誰でもできるけど、誰もがやるわけではない小さなこと。
人格って、そういう積み重ねで変わるものだと思う。
執着より厄介なものはない。
ほしいものを遠ざけ、広い視野を保ちにくくなる。
本当に大事なものを見失うこともあるし。
そこで必要なものが「軽い想い」の持続力だと言ってるんだけれど。
これってどういう意味なのかな…と考えるに、ひとつぼんやりとした結論が浮かんだ。
「具体的な結果にこだわらず、淡々と外堀を埋める」ことかなと。
私はほしいものがあるとき、この方法でかなえる。
例えば広い部屋に引っ越したいとき。
「具体的にここでないとダメ」というこだわりはあまり持たないようにする。
代わりに下のようなことを淡々と進める。
協力してほしい人に丁寧にお願いする
必要な書類や証明書などを早めに準備
引越しに必要な手続きを余裕を持ってする
すると、その部屋がダメでもほかにもっといいお部屋が見つかるのだ。
固執せずに軽やかにいることは運気を上げる。
短いけど、すごく印象に残ったログ。
私には、精神世界のことに傾きすぎて生活力(ここで横尾氏が語っているような、毎日の生活や仕事などをせっせとこなすこと)がなかった。
離婚して生活保護になったのだけれど、それまでは現実逃避的だった。
だから、現実的なことと精神的なことのバランスの大切さは身に染みてる。
それに、たとえ見えない世界からのメッセージを受け取っていても、結局は自分が決め、歩まないといけないのだ。自分の人生なのだから。
おまけ:おもしろシーン集
私は横尾氏の作品や本の醍醐味のひとつが「可笑しみ」だと思っている。
なので、今回の本の中からおもしろシーンをいくつか。
つぶあんとこしあん論争
後のページでも別の人と論争したというログが(笑)
くだらない話をモダニズム、文化的、民俗学的などさまざまな論点から展開することこそ大切、と横尾氏は語っている。
自分の頭でものを考える力を養うには確かによさそうだと思ったのだった。
私はつぶあん派。
台風と荒ぶる精神
横尾氏は本文中で「人生は寸善尺魔である(いいことより悪いことの方が多い)」と言っている。
いうまでもなく災害も「魔」のひとつ。
不謹慎ながら台風は何か気分的に「よっしゃー!こいやー!」とばかり荒ぶってくるのはなぜなのか。
お風呂にお湯貯めたり、お米炊いておにぎりつくったりしながら、毎度荒ぶる精神を感じる。
プリプリしている横尾氏を想像して吹き出しそうになるのだけれど(笑)
こんなかんじの「微笑ましさを含んだ可笑しさ」が横尾氏の本の随所に出てくる。
他にも味わい深く示唆に富んだ話や、華麗な有名人との交流満載
今回紹介した以外にも、人生について語ってる味わい深い部分がたくさんあった。
また、今回の引用にはほとんど出てこなかったけれど、ポスターや美術を手がけた有名人や、近所に住む芸能人などとの交流の様子もたくさん。華やか。
横尾氏の制作風景も垣間見えるお得な内容。
「制作のときに石原裕次郎の音楽を流している」と書いてあったので、私も石原裕次郎氏のベストアルバムを流しながらこの記事を書いた。
しっとりしてる〜…
そういえば、祖父が裕次郎氏の歌を歌ったカセットテープが実家にあったっけ。
美声だった記憶。今度帰ったら、探してみよう。