思少

 思少は、考え事をし過ぎるなという注意です。特にネガティブな思考に陥っている時は無駄な考えに囚われないことが重要です。そうした無駄な思考は精神を疲弊させ、やがて身体にも影響を与えます。
 そもそも人間の思考は非常に無駄が多いです。座禅や座功をやった人には分かると思いますが、人は次々と雑念を自分で生み出し、そして考えていたことから離れた思考や妄想をします。そうした思考の無駄を削り落としていくのが座禅であり、站椿功のような静功での精神状態になります。
 
 現代はインターネットによって手軽に情報を得られるようになりました。その一方で情報過多になり、知識を得ることに必死になってしまいます。そうした情報が思考を濁し、身体や物質への感覚をぼやけさせていきます。だからこそ、マインドフルネス瞑想などが流行するようになったのでしょう。
 「老子道徳経」では「上善如水」と述べているように、宇宙にある万物は常に変化して刻々と移り変わっています。しかし人間が得る知識と言うものはある時点で切り取った、その人にとっての事実でしかありません。つまりどれだけ知識を詰め込んでも、それは断片的なものであって、真実にはならないのです。変化に対応するには道(dao)と一体化することにより、万物の相対的な在り方を体感しなければなりません。
 
 地球は太陽の周りをまわっています。太陽系は太陽を中心とした大きな球を描いています。一方で原子は原子核を中心として電子が大きな球(電子雲)を描いています。スケールの大小はあれど同じような構成をされたものが寄り集まって、原子、分子と構成し宇宙そのものを構成しています。そうした事柄を微細に区別して習得する知識は学問的に精確に思われますが、宇宙全体の動きから行くと、断片的な思い込みです。こうした思い込みは自分で錯覚を起こし、行法の邪魔になります。
 老子は「多ければ惑う」と言っていますが、思考を必要最低限にして、思い込みや妄想を排除することで、宇宙の実像を体感できるようになります。そこで仙道では、無思、無言、断食の行を一定の日数行います。これを金鼎(きんてい)と呼び、文字通り行法の要としています。

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