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ちょっと加筆しました。[映画感想]'ゲームの規則 / La regle du jeu' (1939) dir. Jean Renoir

恋はまことに影法師、いくら追っても逃げていく。こちらが逃げれば追ってきて、こちらが追えば逃げていく。

ウィリアム・シェイクスピア


オフィシャルサイトより https://gamenokisoku4k.jp


監督: ジャン・ルノワール
出演: マルセル・ダリオ(ロベール・ド・ラ・シュネイ侯爵)
ノラ・グレゴール(クリスティーヌ)
ローラン・トゥータン(アンドレ・ジュリュー)
ジャン・ルノワール(オクターヴ)
ミラ・パレリ(ジュヌヴィエーヴ)
ポーレット・デュポスト(リゼット)
ガストン・モド(シュマシェール)
ジュリアン・カレット(マルソー)

ストーリー>>
ラ・シュネイ侯爵の領地コリニエールで狩猟の集いが開催されることになった。侯爵と夫人のクリスチーヌが迎えるのは、大西洋を23時間で横断するという偉業を成し遂げたばかりの飛行士アンドレ、その友人にしてクリスチーヌのよき相談相手オクターヴ、侯爵の愛人ジュヌヴィエーヴをはじめ一癖も二癖もある者ばかり。アンドレとクリスチーヌが恋仲なのは社交界では周知の事実。ただでさえ波乱が予想されるものの、侯爵は来る者は拒まずの広い心の持ち主。狩猟から仮装パーティへと続く中、小間使い、彼女の夫の密猟監視員、さらには小間使いにちょっかいを出す密猟人まで加わって、それぞれの思惑はこんがらがり、とんでもない事態へと発展していく。

オフィシャルサイトより https://gamenokisoku4k.jp

この作品を理解するのは、意外と難しいのではないだろうか。今作を評して"社会風刺喜劇"とよく言われるが、若い頃に今作を見た時は、一体どのあたりが"社会風刺"なのかわからず、困ったものだ。第二次世界大戦直前という緊迫した時期に、こんな空気頭のブルジョワたちによる恋愛ゲーム喜劇を製作したという事実、それ自体が立派な反骨精神の現れではないかと思っていた。今思えば、第二次世界大戦中に完全に滅びることになる貴族階級への、皮肉を込めた別れの挨拶だったのだろう。また、やはり第二次世界大戦中に滅びることになる厳しい階級社会を揶揄した作品とも言えるかも。

侯爵夫人という肩書と裕福な暮らしに慣れきったクリスティーヌと、金はないがクリスティーヌへの愛だけはあるアンドレ。クリスティーヌの夫ロベールと、そのロベールから別れ話を切り出される愛人ジュヌヴィエーヴ。クリスティーヌはジュヌヴィエーヴと共闘し、アンドレとの非現実的な恋を夢見る。ジュヌヴィエーヴはロベールと元の鞘に戻りたい…。夢物語のようにフワフワした色恋沙汰、或いは中身のまるでない恋愛ゲームに、皆必死に取り組んでいく。膨大なセリフを喋り続けながら。まるでそれが彼らの存在意義であるかのように。相手をクルクル変えていつまでも踊り続ける恋の輪舞は、銃を持ち出した森番が発砲したことによって、"現実"に侵蝕されることになる。

この作品をよく見てみると、大西洋を23時間で横断した英雄アンドレ、アンドレとクリスティーヌを引き合わせたオクターヴ、森番、森番の妻で小間使いリゼット、元密猟者で新米使用人マルソーは、ブルジョワたちの恋愛輪舞に加わっていないことがわかる。彼らはブルジョワではないから。マルソーはリゼットにちょっかいを出して森番を激怒させるが、彼らの恋愛ごっこは、上流階級のそれとは違う。マルソーは上流階級の奥方連には手を出さないし、リゼットは結婚生活よりもクリスティーヌの小間使いでいる方を選択する、極めて上流階級に忠実なしもべだ。オクターヴはクリスティーヌ、クリスティーヌの夫ロベール、アンドレ共通の友人であるが、彼自身は貧乏で、仮装パーティーでも誰も彼を気にもかけない。アンドレはフランスの英雄となったがクリスティーヌのことしか頭になく、上流階級の恋愛遊戯には一切関わらない。

森番がマルソーを銃で撃とうとしたため、森番とマルソーは貴族社会から、恋愛ゲームから、解雇される。全ては"ゲーム"なのだ。惚れた腫れたの"ごっこ遊び"に、無粋な現実を持ち込むなんてナンセンス。アンドレは、クリスティーヌを巡って一度はロベールと大喧嘩するが、なんとなく仲直りする。その隙にクリスティーヌといい雰囲気になったオクターヴは、やはりクリスティーヌをアンドレから奪うなんてことはできずに、身を引く。アンドレはオクターヴと間違われて森番に撃たれてしまう。

いい年した大人が子供のように手を振り回し、酒を呑みつつ喚きながら演じていた恋愛ゲームは、死人が出たことで幕となる。しかも、フランスの英雄の死は、"森番が密猟者と間違えた"ことにされ、誰にも気にも留められない。そればかりか、ブルジョワによる恋愛ゲーム劇のスパイス的な扱いを受けている。結局、階級社会に属した人間は己の階級に戻っていくだけなのだ。

フランスの名匠ジャン・ルノワールが1939年に発表したこの作品は、緊迫した世界情勢、戦争の足音が聞こえる不穏で暗い世相を吹き飛ばす勢いの騒々しさ、階級社会や貴族社会を徹底的に揶揄することで、それらに支配される社会全体を皮肉った。
当然のことながら、当時この作品は"不謹慎だ"とされ、ズタズタにカットされた短縮版ですら上映禁止処分を受けた。ただ、上映禁止となったのも、今作の素晴らしさの所以ではないか。原作は戯曲であるそうだが、階級社会の持つ矛盾や欺瞞へのジャン・ルノワール監督のシビアな視線が明白な脚本の巧みさ。侯爵の屋敷全体を"舞台"に見立て、キャラクターを縦横無尽に走り回させた監督の演出。全てを振り切ったような役者陣の熱演。ココ・シャネルの個性的で煌びやかな衣装が物語る、ブルジョワの空虚な内面。この作品の持つ強さが当時の観客に大きな影響を与えると危惧されたのも理解できる。
戦時中散逸したフィルムは、戦後1959年にやっと完全版が復元され、1982年に初めて日本で公開された。その後レストアされた4Kデジタルリマスター・バージョンが昨年リバイバル公開された。


"嘘は着ていられないほど重い洋服ね"

登場人物は劇中、膨大なセリフを喋り続けるのだが、それは彼らにとって美しい服を着飾るようなもの。喋っている言葉は、その瞬間には真実を語っているのだろうが、雪の結晶が手の中ですぐ消えてしまうように、すぐに意味をなさなくなり消えてゆく。対して嘘は、一度口にすれば鎖のように彼らを縛ってしまうものなのだ。だから皆必死になって、己の真実を喋ろうとするのだ。たとえ誰も聞いていなくとも。


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