キリスト教が異端だった頃『神の怒り』<後編>/「T・Pぼん」アニメ化記念特集⑦
「T・Pぼん」は、藤子F先生の歴史への思いが溢れ、しかも相当量のリサーチの上で物語が構築されているため、勢いかなりの分量を持ったお話となる。
このnoteはF作品を緻密に読み取ることを目的としているが、内容が濃密な「T・Pぼん」のレビューを書のは、それなりに骨の折れる作業でもある。
昨日は、ポンペイを舞台にした『神の怒り』のレビューを調子よく進めていたのだが、思っていた以上に時間がかかってしまい、途中で執筆を断念してしまった。
ということで、本稿は昨日の続きとなるので、是非とも<前編>を読んでから、こちらを読んでもらえると有難い。
一応、前回のおさらいから。
前稿では、まずベスビアス火山やポンペイの地理・歴史関係などを整理した上で、作品の内容に入っていった。
ぼんとユミ子は、西暦79年5月のパレスチナへ向かう。今回の任務は、坑道で過酷な労働を強いられている奴隷のラザロを、落盤事故から救い出すこと。
ぼんたちの誘導でラザロは坑道から逃げ出すのだが、運の悪いことに監視官に見つかってしまう。再度囚われたものの、偶然ローマ市の高官フラビウスの命を救ったことから、家来にしてもらい、ローマ市へと連れていかれる。
夏になり、ポンペイの別荘地にも帯同するのだが、ひょんなことから屋外の闘技場で、奴隷同士の決闘をさせられる羽目となる。
決闘の日付は8月22日。決闘では戦う二人のいずれかは死ぬことになるので、このままではラザロが死ぬか、決闘相手のイアソンがラザロの手によって殺されてしまう。
死者を出さぬためには、決闘自体を止めるしかない。ぼんとユミ子はポンペイへと向かう。
本稿はこの続きから・・・。
ラザロは心優しき奴隷で、屈強な体の持ち主だが、戦って人を殺すなどもっての外。それというのも、ラザロは敬虔なキリスト教信者であり、人と争ったり殺してはならないと教えられているのである。
ラザロはフラビウスに、イアソンとの決闘をしたくないと申し出る。フラビウスからすれば、奴隷が主人の命令を拒むなど考えられない。そこで、戦って勝てば奴隷から解放し、自由民にすると提案する。
するとラザロは、
「できません!主が争うことを、殺すことを戒めておられるのです」
と返答する。フラビウスは、自分以外に主などいないと激怒して、執事に指示して、ラザロを閉じ込めてしまう。
執事がラザロの部屋を調べて、彼がクリスト(キリスト)教の信者であることを突き止める。その証拠は、部屋に置いてあった「魚のシンボル」であるという。
魚はギリシャ語で「イクテュス(イクトゥス)」と呼ぶが、これは「イエス・クリスト・神の子・救世主」の頭文字を並べた隠し言葉となるという。
本当かなと思って調べてみると、きちんとWikiで魚の図柄なども載っていたので、気になる方はご参照の程。
執事の報告を受けたフラビウスは、キリスト教について「近ごろひそかに広まりつつある東方の邪教」と語っている。ローマ人たちがキリスト教に敵意を持つ理由は、信者は唯一神を信じており、ローマ皇帝などの他の権威を否定する立場にあるからである。
この頃のローマ帝国はわりと厳格な階層社会であり、少数の富める権力者がその他大勢を支配する構造となっている。ところがキリスト教の信仰では、身分の差などは問われないので、支配層からすれば、受け入れがたいものであったのだ。
初期のキリスト教信者は、社会の底辺の人々や差別されている人々が中心だったとされており、奴隷の身分だったラザロが信者となるのは、極めて自然なことだったのである。
ちなみに、キリスト教は厳格な弾圧にも関わらず、徐々にローマ市民の富裕層にも浸透していき、313年、コンスタンティヌス帝のミラノ勅令によって、公認されることになる。
フラビウスは「なんたる危険思想!」と激怒し、「ヤツの信仰とやらを試してみよう」ということで、無理やりでも決闘させるため、厳重な見張りを付けるよう執事に指示を出す。
これにより救出作戦が難しくなったぼんたちだったが、そこでユミ子がとあることに気が付く。
それは決闘する明日は8月22日だが、その2日後にはベスビアス火山が噴火して、ポンペイが埋もれてしまうという歴史的事実を思い出したのだ。
ここで、ポンペイの大災害について、少々補足を入れてみたい。
本作の執筆時点から、遺跡の研究が進み、最新の有力説が変わってきているので、その点を指摘しておきたい。
本作では、ポンペイはベスビアス火山の噴火によって、大量の火山灰が降り積もり、埋もれてしまったとしている。しかしながら、事実としては、噴火の後半で火砕流が発生し、一瞬で町と、逃げ遅れた人々を飲み込んだというのが正解のようだ。
日本では1991年に雲仙・普賢岳で発生した火砕流が有名。火砕流は、実に時速100キロメールほどの速度が出るとされており、とても逃げ出せるスピードではない。
ポンペイ市民もおそらく逃げだす時間もないままに、町と一緒に火砕流で覆われてしまったのである。
次に噴火日について。
本作や、それまでの通説としては、8月24日にベスビアス火山が噴火したとされていた。しかし、遺物や遺構の調査・研究が進み、家屋の壁に日付(「11月の最初の日からさかのぼって16番目の日」)が記されていることがわかり、実際の噴火は10月17日頃ではないかという有力説が現れている。
そこでユミ子は、ラザロの決闘を二日伸ばせば、火山の噴火の混乱に乗じて逃走させることができると考える。
このアイディアを聞いたぼんは、「また何万、何十万の犠牲者が出る場面にぶつかるのはもう勘弁してほしい」と弱音を吐く。T・Pにとって、大勢の犠牲者からたった一人の人物のみを救出するのは、その他大勢を見殺しにすることであり、非常にストレスなのである。
ぼんは助手時代にT・Pの残酷な任務に対して強く反発した経験がある。以下の話が有名なので、是非読んでみて欲しい。
弱気な先輩に対してユミ子は、「その中から一人でも救えれば、手をつかねて何もしないよりましだと思わない?」と問いかける。この考え方は、もともとぼんがリームに教えたもの。
「君も成長したね」「先輩のおかげです」と、二人の気持ちは通じて、何としてもラザロだけは救おうと決意を固めるのである。
決闘を引き延ばすために、ユミ子はイアソンに怪我をさせる作戦に出る。ところが、ムリアヌスが戦いから逃げたと思われることを嫌がり、別に剣闘士をスカウトして、8月24日に決闘をさせる段取りをつける。
こうなると、火山が噴火するまで決闘する時間を遅らせる必要が出てくる。闘技場に向かうと、ムリアヌスが用意した戦う気満々の男と、戦う気力を失っているラザロが向かい合っている。
噴火まであと一時間ある。「タイムストップ」を使って、闘技場の中だけを時間の流れの外に置いたが、これ30分しか持たない。そして、噴火の気配がないまま時間が動き出してしまう。
ぼんたちはせめてラザロに噴火まで逃げ回って欲しいのだが、ラザロは戦わずに死ぬと決めている。相手の剣闘士に向かって叫ぶ。
「もう逃げはせぬ。こんな醜い世界はごめんだ。早く神の国へ送ってくれ」
ここでもラザロは「神」の名を口にしている。
また彼は、現世を「醜い世界」と表現している。その言葉を裏付けるかのように、剣闘士はラザロを容赦なく殺しにかかるし、コロシアムの観客たちは「殺せ!とどめを刺せ!」と狂気に駆られている。
腹を剣で突き刺され、倒れたところを最後の一刺しとなるのだが、ここでようやく火山が噴火する。ぼんは「始まった!神の怒りだ!!」と叫ぶ。
火山灰が大量に降下し、辺りは真っ暗となる。逃げまどう観衆たち。ぼんたちは、倒れているラザロの元に行き、「瞬間治療剤」を注射する。
そして小舟にラザロを一人乗せて、そのまま中近東の海岸まで流れつかせようと考える。この時代、中近東まではローマ帝国の勢力が及んでいない。ラザロの新天地としては申し分ない選択だと思われる。
本作では初期キリスト教を信仰する奴隷と、権力や既得権益を振りかざす支配層との対立を軸にして、紙の怒りによってポンペイが滅亡するという物語を展開している。
あくまで歴史における生活者、一市民に目を向ける藤子先生の優しい眼差しを感じる。
皮肉にもキリスト教はローマ帝国で公認されて、国教となる。その結果、教会が権力を持ち、勢力下に入らない市民を弾圧する存在になってしまう。
歴史は残酷なまでに繰り返す。そんなメッセージを「T・Pぼん」から受けとることができるのである。