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オバQが読めなくなる!?『国際オバケ連合』/消されたF作品①

「藤子・F・不二雄大全集」が発刊されると聞いた時の嬉しさといったら、本気で飛び上がるほどだった。「死ぬ前に藤子先生の作品が全部読める!」という喜びは何物にも代えがたいものがあった。

1980年代に「藤子不二雄ランド」という全集が発売されていたが、リストアップも不完全で、しかも途中から買うのを止めてしまっていて、後から古本屋で集めたけれど、時既に遅しであった。

大全集は結果的に100巻以上に及び、一巻ごとのお値段も上々であった。けれど、もう立派に(?)自分で稼いでいる大人なので、大全集は迷わず大人買い(全巻購入)することに決めたのだった。


ところが、全集刊行の喜びとともに、あの作品たちは収録されるのだろうか、という一抹の不安がよぎった。あの作品ーーそれは、ある時から存在が消されていたあの作品である。

今回から2回に渡って記事にするのは、消えた藤子F作品についてのお話である。


「オバケのQ太郎」。その成り立ちは何回か書いているが、トキワ荘仲間と立ち上げたアニメスタジオ「スタジオ・ゼロ」にて、スタジオの資金を得るために、雑誌部を作り、そこで描かれたマンガが「オバケのQ太郎」である。藤子不二雄コンビを中心に、赤塚不二夫やつのだじろう、石ノ森章太郎、北見けんいちといった面々が一致協力して執筆された。1964年初めのことだった。

この作品は、雑誌(週刊少年サンデー)では一度の中断を挟みながら、やがて小学館の学習誌に広がって、国民的マンガ→国民的アニメと発展、藤子不二雄としても初めての大ヒット作品となった。

なお、スタジオ・ゼロでの作画体制は、「週刊少年サンデー」の連載終了(1966年末)まで続く。

藤子不二雄両氏の完全な合作であること、作画協力の形にせよビッグネームの漫画家たちが名を連ねていることなどから、権利関係がかなり複雑で、今の観点からすると、大変に扱いずらい案件に見える。


そんな折、藤子不二雄両氏が、コンビを解消したのが1987年末。上記の権利関係の整理がつかなかったためか、1988年から「オバケのQ太郎」の単行本の増刷がストップする。

そして、この複雑な状況に追い打ちをかける事件が発生する。それが、1989年7月、「黒人差別をなくす会」という任意の団体が、「オバケのQ太郎」のある一遍『国際オバケ連合』を、黒人に対する差別表現ありと槍玉にあげたのである。


「黒人差別をなくす会」は、カルピスのマークや、ダッコちゃん人形、ちびくろサンボなどの作品・キャラクターを一度は葬らせたクレーム団体で、その趣旨はわからないでもないが、活動方法などには賛同しかねる部分もある。

今回見ていく『国際オバケ連合』では、黒人を模したオバケ・ボンガが登場するのだが、紹介のされ方が「人間でいえば人喰い人種である」という説明となっており、この部分に目を付けられたようである。他にも「食べちゃうぞ」と興奮して、周囲のオバケが逃げ出すというギャグも入れており、そのあたりの複合技で、アウトとなった模様だ。

既に増刷も止まっていたオバQだったのに、そこへこのクレームから端を発した市場在庫の回収によって、いよいよ「オバケのQ太郎」は、読むことのできない作品というポジションに追いやられてしまう。


個人的な思い出でいうと、実は「オバケのQ太郎」については「ドラえもん」などに比べると思い入れの少ない作品で、オバQが読めなくなったこと自体、あまり興味を覚えなかった。

しかし、『国際オバケ連合』については、本作が収録されていた『藤子まんがヒーロー全員集合』を所有していて、大好きな作品であった。

大学生になって、藤子熱が再燃したとき、そこでオバQが読めないことに衝撃を受けた。もっと、きちんと読んでおけば・・と、後悔に襲われる。

そういうわけで、大全集でのオバQ復活は、あのオバQを読めていないという、藤子通を気取る自分にとってのコンプレックスを解消してくれる、大いなるチャンスだと感じたのである。


大全集で復活したオバQでは、『国際オバケ連合』での問題となったセリフ部分や、それ以外にも「気が狂う」「物乞い」系の差別用語は、変更が加えられている。

僕は、この手の問題では、オリジナルで読みたいという強い気持ちはありつつ、致し方ないと考えている。最大限の配慮の中で、作品の本質が歪められなかったら、の条件付きではあるが。

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「オバケのQ太郎」『国際オバケ連合』
「月刊別冊少年サンデー」1966年2月号/大全集4巻

いわくつきの作品となってしまったが、本作はオバQの歴史の中でも有数の傑作である。まずはその点を強調しておきたい。

ちなみに日本が国際連合に加盟を許されたのが、1956年のこと。本作はそれから10年後の作品である。

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ある日、国際オバケ連合、略してバケ連事務総長クニャラ氏がドロンパに連れられてQ太郎のもとにやってくる。バケ連は世界中のオバケが加盟している団体で、今年度の総会の会場にQ太郎の家(小原家)が選ばれたのだという。

100か国の代表が一堂に会し、パーティーも開かれるという一大イベントで、とても小ぶりな小原家の家に収まりそうもない。会議は明日なので、それまでに家族をどこかへ連れ出してくれと無茶ぶり

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明日は日曜日。小原一家の面々は、全員外出の予定はない。「火事になったつもりで出てくれないか」とQ太郎が言うが、当然聞いてもらえない。

どうしようと考えているうちに、会議の日程を一日間違えてオバケがやってくる。その一人目が、ウラネシヤ代表のボンガで、問題となった黒人モデルのオバケである。着くや早々、日本は寒いということで、小原家の家中の暖房を集めてやることに。

そこへ、「酷く暑い」と姿を現したのが、アラスカからやってきたエスキモーのアマンガというオバケ。雪で吹雪く外気を取り入れるため、家中の窓を開けて大騒ぎを引き起こす。

「暑い」「寒い」で言い争いとなり、ボンゴには湯たんぽを渡し、アマンガは冷蔵庫の中へと押し込むが、アマンガが冷蔵庫の中身を食べてしまい、お腹の減ったボンゴとまたも喧嘩となる。

ここで、アマンガがボンゴをディスるのだが、そこで問題のセリフが登場している。大全集では、うまく改変が施されているので、抜き出しておこう。

「あいつらはバケ食いオバケだから気をつけなされ。・・・特に腹ペコのときには気をつけんとな」

ボンゴは「それは大昔のことだ」と言い返して、つかみ合いの喧嘩となる。うるさくて起きてきた家族の目を何とか誤魔化すQ太郎。

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そこへイタリア代表のマカローニというオバケが「オーソレミーオ」と大声で陽気に歌いながら登場。Q太郎は「もう面倒見切れない」と取り乱し、またも起こされた家族に取り押さえられ、無理やり布団にくるんで寝かしつけられる。


翌朝、Q太郎は目を覚まし、会場の準備をしなくてはと大慌て。30人以上のオバケが集まり始めるが、まだ小原家が家に居座ったままである。

そこで、ママを尋ねてくる西村さんを利用し、ドロンパの変装を駆使して、ママと正ちゃん兄弟を西村家に連れ出すことに成功。パパは昼寝をしてしまったので、こっそり連れ出して屋根の上に寝ていてもらうことに。

こうして強引に会場の準備が整い、世界中のオバケが姿を現す。ここからは本格的なドタバタの始まり。インド代表オバケの自家用車(=ゾウ)が幅を利かせ、スペイン代表オバケの持ち込んだ余興用の闘牛が暴れまわる。

世界中の宝石が会費として集められ、少なくとも100万円以上の価値となる。これを元手に、天丼・カレーライス・五目そば・ビフテキ・おしるこそれぞれ100人前の出前注文を行い、食堂の店員に驚かれる。

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と、そうこうするうちに、会議が始まる。テーマは世界平和だ。すし詰めの会場ではボンガが寒い、アマンガが暑いと文句を言っている。ここでの議論は、結構面白い戦争論となっているので一部抜粋しておく。

「人間だけの問題じゃないぞ。戦争が始まれば俺たちオバケも巻き添えを食うんだぞ」
「つまりだな、戦争を始めるのは首相や大統領たちだ」
「そんな悪いやつは死刑だ」
「食べてしまえ」

最後のセリフは、ボンガが口を滑らしたものである。続けて、

「激しいことを言っちゃいかん。バケ連憲章は暴力を否定している」
「人間たちは科学の力を悪用して、恐るべき殺人兵器を次々に作っている。今やボタン一つで世界が吹っ飛ぶ仕掛けがあちこちにできているのだ」
「とんでもないことだ」
「そんなもの食べてしまえ」

冷戦下での核開発競争を踏まえた発言である。最後のセリフはまたもボンガ。さらに続けて、

「原水爆を盗み出して海へ捨てよう」
「火薬と砂を取り換えよう」
「秘密兵器の設計図に落書きしよう」
「喧嘩の道具が無くなれば、仕方なしに仲良くするだろう」
「各国代表は帰ったら行動に移してくれ」

と、オバケらしい解決策が出されて、会議はお開きとなる。

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さあ、ここからはお待ちかねのパーティーが開始。歌や楽器や踊りで大騒ぎ。うるさ過ぎて警察に通報されてしまうが、ちょうど警官がやってきたタイミングで、中国のオバケが家ごと姿を消すマジックを行っていて難を逃れる。

そろそろ閉会となるが、家中が大荒れ。心配になるQ太郎だったが、オバケのエチケットとして、家は綺麗に修繕され、屋根や壁には塗装が施され、新築のような外見へと生まれ変わる。

そして、オバケたちは各国へと引き上げていく。急にガラーンとした家の中。そこへ、一日中無理やり外出させられていた正ちゃん一家が帰ってくる。しかし、あまりに新しくなった家を目の前にして、我が家とは思えず、辺りをさまよい始めるのだった。

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本作は、普通に読み進めれば、核兵器の廃絶を求めるオバケ会議の話であり、世界平和の尊さを読者の子供たちに伝えてくれる秀作である。ボンガは人食いだと言われていたが、それは大昔のことだと補足説明もされている。

「黒人差別をなくす会」のクレームが今一つ納得いかないのは、こうした作品の中身を全く見ていないだろうと予測されるからだ。まさしく「木を見て森を見ず」

もっとも「神は細部に宿る」という言葉もある。そのあたりは読者が個人で判断するのが良いかと思うのである。

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