いのちのやくそく ・ 目に見えない幸せな世界(その3)
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「いのちのやくそく 」(池川明、上田サトシ著、2016年8月1日、センジュ出版より発売)より抜粋して、少しずつ「マガジン『いのちのやくそく』」に書いています。
今回は、「目に見えない幸せな世界(その3)」です。
古い旧家には「座敷童」という亡くなった子どもが住んでいて、その家の繁栄を陰ながら助けてくれていると言われています。
亡くなった人たちは、きっと縁ある人たちを助けてくれていると思うと、いのちが亡くなった後でも役割があって無駄では無いと思えてきます。
亡くなった人たちを愛を持って思う気持ちがあれば、きっと目には見えない世界との繋がりを深く持てるようになって、人生に深みや喜びを持てると思います。
こんな混沌とした時代だからこそ、自分が生きていられるのは、見えない世界から応援している人たちがいて、だからこそ日々を大切に生きようと思えるかもしれません。
下記の関連情報もご覧ください。
・「23週でうまれた赤ちゃん」のお話(ユーチューブ
・「いのちのやくそく」続編→「アルジャーノン・プロジェクト」
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目に見えない幸せな世界(その3)
人は生まれてくるときに、「自分の人生を選ぶ」と言います。出産の前に亡くなってしまうような短い人生でも、そのことを知って選んできているのです。
いのち短くして亡くなってしまう赤ちゃんは、「自分のいのちと引き換えに、お母さんや兄弟、そして家族を守る」と決めて、自ら選んで地上に降りてお母さんのお腹に宿ります。
そう思うと、本当に無駄ないのちなど無いと思えます。
体は無くなっても、きっとたましいはそこにいてくれる。お母さんや家族の気持ちに添いたくて、助けようとしてくれている。お母さんや家族の気持ちに添いたくて、助けようとしてくれている。そう信じると、きっとたましいの役割は何倍も大きくなるはずです。
この世界の見えていることだけが、私たちの全てではありません。目には見えない世界というのがあって、そこからわたしたちは前に進む力をもらっているのです。
「生まれるということ」と「死ぬということ」は、両極にあるようでいて、実は密接に繋がっています。だからこそ「目には見えない、生まれる前の世界は、怖くておどろおどろしい死後の世界などではなく、どのたましいもお母さんを探して、家族を探して、生まれることに期待と不安を持っている「幸せな世界」なのです。
これまで命をつなげてくれた家族や先祖がいたからこそ、今、此処に、私たちが存在します。生きて目にしていることが全てではなく、目に見え無い大切な世界の方がずっと大きくて広いのです。
そう考えると、死を忌み嫌う必要もなく、もっと身近に親しみを持って感じられると思います。
いま自分が生きていて、生きていることを実感することができる。そのことが嬉しくて「幸せ」を感じる。そんな時、「死」は「生」を光り輝かせてくれると僕は思うのです。
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