【あの言葉の本当の意味】エモいとチルい:シアトルで感じた日本のポップカルチャー
ふと、シティポップのメロディーが耳に届いた。
“Stay with me… 真夜中のドアをたたき〜”
シアトルに来て5年。
日本のポップカルチャーの勢いはすごい。中でも、漫画とアニメは周知の如く。
トヨタの旧車を見かける事も少なくない。そこには「藤原とうふ店」というステッカーが貼られていたりする。
そして冒頭のシティポップ。
まさかアメリカで、数十年前の日本のポップカルチャーに触れる事ができるなんて。
何ともノスタルジック、そして心地良い。
そうか、これが
エモくてチルい、
という事か。としばし、この二つの言葉について思いを馳せた。
昔から「伝える」事を生業としている自分は、正しい日本語を使う事に尽力してきた。
だから極力、略語や俗語も使わないようにしてきた。
けれども、この「エモい」や「チルい」という言葉にどこか惹かれてしまうのは、過去と現在の架け橋的な「時間軸」を感じてしまったからだろう。
「エモい」は、英語の"emotional"から派生した現代の若者が生んだスラング(らしい)
「懐かしい」とか「ノスタルジー」「哀愁的な」などと言い換えられたりもする。
そして「チルい」も英語の”chill out”から派生したもので、「まったりする」「ほっこりする」「くつろぐ」などの意味を含む。
そして、これ。
「心を揺さぶられる」
といったニュアンスがどちらにもあるのだ。
これは感動の意味の「心を揺さぶられる」とは少し違う。
SNSを見ると、各々の「エモさ」や「チルさ」をうまく表現していたりする。
画像や動画を、フォント、フィルター、イラスト技法、BGMなどを工夫して、過去に見たような既視感を安心感を覚えさせてくれる。
そう思うと、「エモい」は一点で存在するものではない気がする。どちらかと言うと、幅で存在している。
過去⇆⇆⇆⇆⇆⇆⇆⇆現在
人がそれぞれ抱く既視感に通ずるイメージが、過去と現在を行ったり来たりしている、そんな感じに思う。
反対に「チルい」は「今」を起点にしている。今、この瞬間のリラックスや癒しを重要視して、「未来」の為にひと刹那の拡充しているのではないか。。。
なんて考える。
だが万物は、
陰極まって陽に転じ、陽極まって陰に転ず。
そう、ここまでひとり想像(いや妄想)しておきながら、「エモい」と「チルい」には現代を映し出した裏側も存在すると思う。
今やIT革命により便利になった反面、情報過多に溺れてしまうこともしばしば。
特に若い世代はSNSありきで日常を過ごす。いつの間にか疲れている。いや、疲れている事すら気づいていないかも知れない。
もしかしたら、そんな即時的な世界からの乖離を潜在的に願った彼らの思いが、「エモい」や「チルい」に馳せられているのかも知れない。
であるからしてこの2語はスラング。国語的には正しい日本語ではない。
けれども、スラングであろうがなかろうが、社会学的にはどんな言葉にも意味があって、その言葉が持つ機能によって、世界が作り出されている実態がある。
社会学者じゃないけど、そう思う。
あぁ、日本語好きだなぁ。
改めてそう思えた、2024年の睦月であります。
今日、シアトルも初雪になりましたが途中から雹でした⛄️
しゃろん;