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筋肉は裏切らないどころか/石田夏穂『ミスター・チームリーダー』【読書感想文】

石田夏穂の新刊『ミスター・チームリーダー』が破格の面白さだった。当人のみが見えている世界や思考を1人称に限りなく近い3人称の視点で綴り、その過剰さをシニカルに見せる作風が強みの作家だが本作はまさしくその魅力を全方向に炸裂させた作品だった。

《あらすじ》
勤務先で係長に抜擢された後藤は、ボディビルの選手でもあった。ある日、社内の人材の無駄に切り込み組織の代謝を上げると大会に向けて停滞中だった減量も進むことに気づき、身体を仕上げるべくチームの脂肪の除去に驀進し始める。肉体と組織がシンクロしたとき、たたき出されるのはベストパフォーマンスか、それとも――。

石田夏穂と言えばデビュー作でも肉体改造を扱い、話題となった冷え性をテーマにした『ケチる貴方』とそれに収蔵された、脂肪吸引をテーマにした「その周囲、五十八センチ」など肉体と精神の奇妙な関係性を描いた作品が多い。本作はその延長にあり、最も鋭く社会病理を描いてもいた。

ネオリベ的筋肉

極めてハードな減量に臨む主人公・後藤係長はそもそもボディビル大会というプライベートな用事を職場に持ち込んであれこれ苛立っている時点でかなり難のある人物と思うほかない。しかしプライベートの領域にこそ深刻なこだわりを持つことになった彼からすれば当然の振る舞いだ。決して娯楽や趣味ではない、鬼気迫る筋トレなのだ。

千葉:自己責任プレッシャーが強まっているネオリベ(国家による個人や市場への介入を縮小し、個人の自由や市場経済を重視する思想)的な世の中で、自分に自信を持つため、あるいは不安を否認して目をそらすための技法として筋トレやマインドフルネスといった、自己に集中するタイプの技術が人気になっているんだと思うんですね。(中略)変化が非常に流動的で明日どう変わるかわからない世界にいると、人は自分に近い場所で何か確実性を担保しておきたくなる。それを非常にプリミティブ(原始的、根源的)に実現してくれるのが、筋トレなのではないでしょうか。

朝日新聞デジタル:権力による身体の支配から脱すること――。哲学者千葉雅也が考える筋トレの意義

上記は哲学者の千葉雅也が2019年に答えたインタビューの抜粋だが、そこから5年、パンデミックを通過した世界において不安に対抗するための筋トレはさらにニーズを増しているだろう。空きテナントがみるみるうちにチョコザップに変わっていくのをこの1、2年で目撃し続けている現状は社会の健康志向とはやや異なる切迫性を感じる。

後藤は意味のないことはしたくなかった。大変な以上は見返りが欲しかった。自分はきっと、タダの努力はできないが、そうじゃないならどこまでも頑張れる人間だ。それが、後藤の自分自身に対する、いまのところ最も正しい理解だった。

「ミスター・チームリーダー」より

この小説において彼が筋トレに熱中し始めた大学時代より前のことは語られておらず、人物的な背景が描かれていない。ただひたすらに成果を上げるために筋トレに邁進する。筋トレの《全能っぽさ》《正義っぽさ》が好きで、《自信がついた》ことが《心地よかった》とも語られ、彼の根底に何らかの"自信"が必要なことは伺える。

そして彼の筋トレはトレーナー・水野に制御される。水野に従い、体を鍛え、漠然と自信をつけている。分解すると彼の行動原理の中に具体的な彼自身の欲望がどうも見当たらない。目的とそれに向けた運動があるのみで起点がない。彼の筋トレもネオリベ社会の煽りを受ける自分の不安定な心から目を逸らす行動に思えて仕方ないのだ。


人間的バッファ

トレーナーに肉体を制御され、精神は社会に左右される。こうした状況に身を置き、《全能っぽさ》や《正義っぽさ》に身を委ねると「完璧な管理」が内面化されてしまうのだろう。ゆえに後藤は、自分が率いているチームを自分の身体のごとく扱って徹底的に管理しようとする。自他境界を崩し、自分のものと捉える行動と言える。

作中、何度も登場する《ブヨヨ》という悪意たっぷりなオノマトペに象徴される、"太っている人"や"太っていること"への嫌悪がそのような行動を可能にさせる。こうすれば正しく在れるのに、こうすれば成果をあげられるのに、という効率主義に基づいた考えは鍛錬を至高とする後藤にとって最も気持ちの良いものなのだろう。

他人が気になってしょうがない、という振る舞いもボディビル大会という競技世界に身を置いていることが背景にある。他者にどう見られるか、どう見られたいかを常に気にする後藤にとって太っている同僚と鍛えている競技相手は同等に目に入って仕方がない、意識せざるを得ない存在であり、自分という領域の延長にある存在なのだ。

この世で最もシビアなのは、自分ではない他人の眼差しだ。最もシビアで、予測不可能で、怖いほど絶対的なそれ。後藤はそれらに晒されているとき、やはり、自分がモノになっているのを感じる。そして、そういうモノになっているときに一番、自分が生きているように感じるのが不思議だった。

「ミスター・チームリーダー」より

肉体、精神、社会、無意識が不可逆なまでに複雑に絡み合った"歪み"を抱えながらも、減量筋トレという目的のために研ぎ澄まされた状態で居るという最もその"歪み"が見えづらい袋小路で後藤は暴れているのだ。そこには人間的な余白はなく、あらゆる物事のバッファーを拒んでは早急に答えを出そうとする、現代人の過剰化した姿が見える。


精神と不可分な肉体を通じ、余白なき社会の切迫性を捉えているように思える本作。物語は中盤から後半にかけて、更に奇妙なその心身の関係性をビジネス寓話のような形で描いていく。筋肉は裏切らないという常套句があるが、裏切るよりもタチの悪い、信用させては引き返せない場所に引き摺り込む側面もあるのではないか?健康とは何か、趣味とは何かを問う素晴らしい怪作に思う。


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