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ダウンタウンの漫才と空気階段の単独

4/3に「ダウンタウンの漫才の最新作」がなんばグランド花月で上演されていたので配信を購入して観た(アーカイブは4/10まで!)。フリートークからなだらかに漫才へと移行する、全編アドリブによるれっきとした30分間の漫才だった。浜田さんが「ここだ!」というタイミングで、"ネタ"へと入り込んでいく瞬間はとんでもなくゾクゾクした。ダウンタウンが漫才をしていた頃や「ごっつええ感じ」をリアルタイムでは知らず、リンカーン(懐)や大衆化してきた「ガキの使い/笑ってはいけない」、そして"MCをニコニコ務める浜田雅功"と"松本人志監督作品"を中高時代に享受してきた身であるが、そんな僕でもダウンタウンの漫才が始まっている!と食い入るようにみてしまった。

漫才の中における松本さんの振る舞いは、90年代のアーカイブやMHK、キングオブコントの会における松本人志作のネタたち、そしてフリートークの節々に感じてきた"しつこさ"と"通じなさ"の原液そのものだった。これを即興のやりとりで成立させてしまうのだからやはり途方もないコンビとしての相性である。浜田さんが松本さんの面白いと思っている瞬間を見事に捉えて抜群のテンポ感で広げていく。ダウンタウンの2人にしか分からない、原風景のようなものがあった気がしてグッときたりした。競技漫才の完成された美しさとは全く違う、どこか粗暴でちょっと眉をしかめちゃうような野蛮さがダウンタウンの漫才にはあって、永遠に皆に憧れられてるの、分かるなぁと。



吉本興業110周年特別公演の千穐楽のラストにダウンタウンの漫才が飾られ、よしもとの象徴としてある一方で今最もよしもと的でない文脈で次々と素晴らしい公演を作り続けているのが空気階段だと思う。前回公演「anna」も素晴らしかったが、2~3月にかけて上演された第5回公演「fart」も見事だった。3/31のツアーファイナルをリアルタイムの配信で観た(アーカイブは4/10まで!)のだが、飯も忘れて没入してしまった。容赦ないテレビ向けでない台詞の数々と、この社会の常識の範囲ではギリギリアウトなところにいるキャラクター造型、突拍子の無い超越的なアイデアの飛躍に驚嘆し続けた。

キングオブコント2021でチャンピオンとなったことが、ネタの尺的にも内容的にも余裕とノーブレーキっぷりに影響を与えたのだろうけど、彼らの愛してきたカルチャーや送ってきた人生そのものが投影される物語の作り方は全く変わっていなかった。この感傷的でひときわドラマチックな、特に40分以上かけて紡いだ最後のネタの胸にせまるシーンの数々は、時に悪くイジられてしまうような、特に吉本興業においては浮いてしまうスタイルだと思う。しかし彼らはそれを信じ突き進み、強い支持を得続けている。フジファブリックの「エイプリル」が流れるあの場面がずっしりと記憶に残るのは、笑いの力とはまた少し違う熱量の、自分たちの生き様を信じる力だと思う。


こう考えると、いつの時代も"生き様の笑い"が中心の中にあるのだと思う。何もすべての笑いが「浅草キッド」的な哀愁を帯びる必要はないし、「伝説の一日」的なお祭り騒ぎだけをする必要がない。ただそこに嘘のない生き様があるのかという話。賞レースはない時期だけど、お笑いで熱くなる春だ。


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