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対象喪失と思い出の瞬き/ダウ90000『また点滅に戻るだけ』

ダウ90000の第5回演劇公演『また点滅に戻るだけ』を配信で観た。とてつもない面白さである。ネタとしてダウを消費したり、穿った目線で見ている方々こそ見てもらいたい。まさに現時点での正当なる集大成と言うべき作品で、伏線や構成などはさておき"シンプルに面白すぎる"という凄さがある。

所沢のゲームセンターを舞台で数年ぶりに偶然集まった旧友たちが思い出話を咲かせる陰に、あるプリクラの流出事件の話が通奏する。そしてその話が前景化すると徐々に登場人物の関係性に変化が生じる、という簡素なプロットをこんなに面白く描けるのか。作・演出の蓮見翔の手腕に唸るほかない。

本作は従来の綿密な会話劇に加え、「誰が犯人か?」という縦軸の要素が加わり、笑えるくだりの連続でありつつ、1つの主目的へと明快に収斂する理想的な作劇を行っていた。しかしやはり蓮見作品の最大の持ち味は、題材選びにあると思う。"思い出との距離感"とも呼ぶべき、記憶への眼差しだ。

失恋や別れ、「思ってた人と違った、、」というような、対象への思慕が絶たれていく感覚を精神分析の用語で”対象喪失“と言うが、本作では蓮見翔が演じる主人公を中心に対象喪失が物語を駆動させていく。主には「ときめいてたポイントがその人のオリジナル」でなかったという、実に勝手な「思ってたのと違った」であるのだが。ときめいた相手のときめいたポイントが全く違う他者から譲り受けたものだと気づいた瞬間に引き起こされる嫌悪感を見事に捉え、身に覚えのある対象喪失感に結びつけている点が笑いを呼ぶ。

しかしそうした喪失感をよそに、ひとたび会話が始まってしまえば2人の間にはあの頃と同じ空気が漂ってしまう。もうとっくに失われたかに思っていた関係性が会話を通して息を吹き返し、妙な愛おしさが立ち込めていく。心の隅に溜まっていた思い出の残渣が再びキラキラと瞬くようになること。そんな心象こそ「また点滅に戻るだけ」という題の意だと解釈したりした。

誰もが誰かの思い出であり、誰もが誰かの未来になり得る。小さなコミュニティの中の出来事だからこそ悲喜劇として描かれていたが、あらゆる思い出の先に生きる我々の普遍的なナイーブさに届く1作に仕上がっていたように思う。胸を貫く対象喪失の感覚とともに、実に真摯な人生賛歌だった。

この最高傑作において、"蓮見翔が中島百依子を想う"という最も濃いエネルギーが渦巻きがちな関係性をメインに選んだことも、本多劇場という大舞台において従来の作品と異なり蓮見が主役を担って最後まで舞台に居続けたことも必然性がある。これこそが、ダウ90000演劇作品の名刺代わりたる1作。


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