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セラピーとしてのヨガ〜自分の体験談その2〜自分の深淵をめぐる旅#1
「アシュタンガヨガを実践すると潜在意識が出てくる」なんて言う人がいるけれど、私の場合はヨガが深まるにつれて自分の内面と向き合わざるを得なくなったという表現が適切かもしれません。私がケン・ハラクマ師の早朝練習に通い始めて1年ほどした頃というのが、父の連続飲酒が深刻化、もはやアルコール依存症となり、家族全体に暗い影を落とし始めた時期と重なりました。初めは父のアルコール依存症に対する対処や家族の行末などを案じていたのですが、父を理解するために依存症のことを書籍などで学び始めると、アルコール依存症の家族で育った子どもはその影響を生涯にわたって受けることを知りました。自分は普通の家に育ち、むしろ金銭的には苦労することなく大学と語学留学をさせてもらって、つまりは良い家庭で育ったと思っていました。しかしアルコール依存症について学べば学ぶほど自分の育った家庭が「普通」ではなく、非常に特異な環境だったことを理解するようになりました。発育段階の家庭環境は自分ではコントロールすることができません。それにも関わらずその環境が自分の心と身体に大きく影響を及ぼしているという事実は、自分の無力感とともに得体の知れないものが身体の裡に這いつくばっている感覚を覚えました。のちにこれが「発達性トラウマ」と呼ばれるものであることが分かったのですが、これらの感覚と向き合うことは文字通り自分の存在すべてを賭しての作業となりました。その時の救いとなったのが毎朝の練習でした。マットの上に立って練習を始めると自然と「呼吸」を感じ始め、頭の中でグルグルと去来していた感情から離れることができ、ときおり「無」となり瞑想状態に入ることもしばしばでした。
しかし一度マットから離れるとまた頭の中がイヤな感情に支配されるのは困りものでした。そんな時に助けとなったのはケン・ハラクマ師が伝えてくれた分かりやすいヨガの考え方でした。師はヨガの極地を記したヨガスートラ1・2「ヨーガ・チッタ・ブリーティ・ニローダハ」を「ヨガをすると瞑想状態になる」とシンプルに訳したうえで、瞑想状態とは「ジャッジをしない状態」とこれまたシンプルな言葉で伝えています。シンプルで理解はし易いのだけれど、実践となるとまた別物です。というのも気が付けば自身がついついジャッジをする「主体」となってしまいなかなか自分を客体化するのが難しいものです。師は瞑想状態について「流れる雲をただ見ている状態」とも「台風の中心から荒れ狂う周囲の暴風雨を眺めている状態」とも説明しています。とにかく、私の中で去来する感情とはただ単に「自分だと思っている存在」が感じているもので、本来の自分は感情とは別物である、と言うことだと思います。(ちなみに師は湧いてくる考えや感情を否定をしたり正そうとする必要もなく、ただその子たちに「そうだね」と同意を示しつつメタな立場をとることを話してくれたことがあります。)そんな金言のおかげで、私は感情にハイジャックされることが以前より少なくなりました。そして自分の深淵に眠っているものをありのままに受け入れ、徐々に労わり、解放することができるようになりました。