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【在宅介護】妥協から惰性の恐ろしさと決別したら、愛ある奇跡を体験した。
こんにちは。
認知症と糖尿病と高血圧の実母を在宅介護して3年。大髙ユキです。
先日ドーーーンと落ち込むことがあった。よーく考えると、それ妥協しなきゃダメ?と気づいて、精神的に立ち直った。
色々とやらないといけない事が多いのが、大人というもの。竹内まりやさんも「雑用の連続なんですよ。人生って」とあさイチのテレビで言ってました。ほんまにそう。
介護も子育てもそうだけど、自分のリズム100%でが生活が難しい。おまけに精神的にしんどいことが起こると、心がカサカサになっていく。そんな雑用で人生を終わらせたくない!とふと思いました。
今は混乱したら、とにかく30分〜1時間の時間がとれるように時間をさがして、とにかく瞑想をしたら解決策がみつかる。もしくは心が軽くなっている。
先日、ケアマネさんから「お顔が明るいですね。先月は辛そうでしたから心配してました。」と言われました。さすがケアマネさんには、バレてましたねぇー。精神的に辛いことがほぼ毎月のように報告というものでやってきて、心がカサカサさせていた。そんなアホなことに負けたくないから、瞑想をはじめました。
瞑想でかなり環境を整えて、ガッツリ1時間の瞑想をします。環境とは、変なエネルギーが入らないようにプロテクションしたり、良いエネルギーで満たしたり。瞑想会では、毎回そのようにしております。
そしたら「秩序」という言葉を何度もきました。
それを何日間か、日常で自分自身のマインドと思考、そして行動を観察していたら、こんな重要なことに気づきました。
「妥協」が続くと「惰性」になり、それが習慣化され人生を築き上げる。惰性の秩序が作られる。
小さなことから妥協しはじめて、それを続けてしまって惰性へと変化してる、と気づいたんです。
「惰性とは、これまでの習慣や癖、意識せず続いてきた動作をそのまま続けていく性質やさまを意味する言葉です。気持ちやモチベーションはないのに、だらだらと続けてきたという状態を表す際に使われます。」とグーグルで検索にて。
やばくないですか!惰性したくなーーーい!
習慣や癖なので、どんな習慣にするのよ!という意識と決意を持てば、行動して変化出来るという単純なこと。そこでわたしは決意しました。
母の喜びにも
自分の喜びにも
夫の喜びにも
家族全員の喜びにも一切妥協しない!
体力的にもうろうとした時だけ、しゃーないと身体のための休息を許し家族に協力してもらう。
決意したら耳がスコーーーンと聞こえやすくなりました。何か空気のようなつまりが耳に感じられていたのが、決意した瞬間にスコーーーンと抜けた。不思議ですがほんまの話。
決意し実行に移したら「やらねばならない」というルールに縛られていたことに気づいた。
「やらねばならないという意識」は、少しずつ自分自身の喜びから生まれたやる気を奪ばれていた事を発見してしまった。なぜなら自分の喜びから溢れる気持ちから発動してないから、ただの雑用に日々がのまれていたという単純な理由だった。
そして恐ろしいのが、惰性が積み重なると習慣化になり、それが当たり前になっていく。なにも進化させることもなければ、工夫して成長させることも思いつかない。
思いつくのは・・・
「楽したい」
これ一瞬の楽だけで、長期的視点でみると楽よりも苦の道を選択しとるやん!と、妥協しないと決意して行動したからこそ俯瞰してわかる。永遠に続く妥協は自分をいじめてることと同じ。
瞑想したから気づけた。
私自身が精神的に辛いことがおきて、身体を休ませることをしていたが、何か止まっていると感じていてマインドにも停滞しているエネルギーが感じられた。それが「介護があるから出来ない」を全面的に信じるマインドになっていたのだ。いやいや出来るから、と気づいてハッとした。出来ることを探して、やり通すのが大人の醍醐味なわけで。介護じゃなくても「仕事があるから出来ない」と言うダサい大人もいる。何がしたいかないから、そういうマインドになるんだよね。
何をしたいのかを明確にしていくだけでいい。
自分の喜びに妥協しない。
それは自分の喜びに忠実に行動していくと、少しずつ美しいことを自分自身が創り上げていくことになっている現実になるんじゃないかしら。
自分自身の喜びを実現化させるのは、自分自身しかないからね。
それに認知症にも、喜びは脳にも良いわけだし。
そんな状態でわたしが小さな妥協をしていたから、刺激が少ない暮らし方になっていて、母の認知症にも影響があったのかもしれない。どんなにヒーリングをやったとしても、生きる基盤である暮らしをどうしていくのかが大切なのかもしれん。日頃どれだけ楽しいことを選択し、何かしら変化しながら成長していく暮らしがあるから、脳にもいい刺激になっていくんだと思うんですよね。
うちの母は認知症だから、自分自身の喜びを選択するのはテレビぐらい。それができていることも素晴らしい!と認めてあげながら、家族が楽しいことをサポートしてあげる。サポートしていくときに、自分自身の喜びも加えると、サポートが良い循環を生み出すはず。
そんなんで病院のリハビリ帰りに、映画を見に行きました。
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白石和彌監督ので、かなり血が肉片ドバーーッです。だけど面白かった。人間と社会の2面性が描かれているし、目的と個々の得意とすることが、頭脳戦で勝ち進むところが、わたしの今のテーマにピッタリときました。
母はアクション映画が大好きなので、見終わったらお肌がツヤツヤでした。母も「面白かった!楽しかった!」とエネルギーが喜びにあふれてました。
親子共々、映画を見に行くという喜びで、気持ちと体が軽くなれました。
映画が終わったのは夕方5:30。洗濯物を干したままで行ったのです。
洗濯物は夫がしてくれて、取り込むのはわたし、という感じ。洗濯物にこだわりがある夫に申し訳ないなぁーと思いながら、経緯を書いたラインをしたら。
夫「良かったね。洗濯物より2人のリラックスと楽しみが優先ですよ。」というお返事が。
夫自身も自分でこのような事を書いて驚いていたようです。以前の夫なら、洗濯物が優先をすることを言うタイプでしたから、夫も形而上学の学びや瞑想をしたりして器の大きな人間になっていました。ビックリです!
本当に妥協して惰性している事に気づけてよかった。少しずつだけど、自分自身もそうだし、家族一人一人が喜びに溢れることで生きられるようにしていこう。家族に関しては、わたしは見守ることしかできないけど。それでいい。個人が創造していく成長する喜びを奪ってはならないからね。
そんなんで毎日瞑想をして、常にワクワクしながら成長できる自分自身になっていくことが大切。瞑想は、本当に自分自身の中にある答えを導き出してくれるから有り難いです。直観が強くなるならね。外側の答えが正しいというのは思い込み。自分の中にある答えを導き出し、それを行動にしてから現実で答え合わせをする。大人なんだから、自分の人生のハンドルは自分で持つ責任がある。その方が人生は楽しい!
よし瞑想は続けようー。
そして瞑想会も来年の1月にしますよ。
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