不思議な世界 石川県那谷寺 私の百寺巡礼55
石山の石より白し秋の風 奥の細道 松尾芭蕉
これは那谷寺を参拝された俳聖松尾芭蕉が、巨大な奇岩を前に詠んだ句だ。
こちらが、その句碑になる。
今回は、松尾芭蕉が詠んだ舞台である那谷寺に夢かない(大袈裟かもしれないが、コロナ禍でなかなか旅行も大変なのである)、訪れる事ができ、感謝であった。
その敷地の広さに、日頃、横浜辺りの寺院ばかり行っている人間は驚愕してしまった。
宗派の上では、高野山真言宗となっているが、そこにあるのは、白山信仰を母体とする自然崇拝だ。
五木寛之先生は、那谷寺に行った時の感想をこんな風に書いている。
那谷寺と書いて、ナタデラと読むのは、どんな意味があるのだろう。北陸では、つとに有名な寺である。
「見て知りそ 知りて な見そ」
とは、有名な柳宗悦の「心うた」の中に出て来る文句だが、今度もそのことをしみじみ感じさせる那谷寺行だった。
もともと白山の周辺は、異様な文化混合のアジール(アジールとは、犯罪人や奴隷などが過酷な侵害や報復から免れるために逃げ込んで保護を受ける場所のこと。 ギリシア語のasylos(害されない、神聖不可侵の意)に由来する。)である。
また、白山信仰についても入り組んだ諸説があった。かつて十五世紀に蓮如が吉崎に進出した際には、在地の先住教団との間に、様々な対立や問題が多発しやことも記録に残っている。
那谷寺は予想していたよりも、はるかに複雑で、興味深い寺だった。そこには白山と重なる「白」への信仰が息づいている。
火山岩にうがたれた洞穴を生と死の転生する胎内と考え、そこから死を仲立ちとした再生をはかる信仰の背後には、半島からインドに及ぶ「白」崇拝の系譜があるのかもしれない。「白」を「浄」とみなす思想の根は「黒」を「穢」(え)とする感性と、どこでつながっているのだろうか。
この寺を訪れた芭蕉の有名な俳句「岩より白し秋の風」には、感性としての白だけでなく、白山とつらなる「白」信仰への目配りが込められているのだろう。~旅のヒントより~
今では、一応、万人に納得出来る法律が整備され(いくつかは納得いかないものもあるが)、法の下の平等を多くの国は言っているが、かつては、時の施政者の思う通りに動かない者が罪人となった時代があったのだ。
それは日本に限らず、ギリシャでもローマでもフランスでも、だ。
何もしていない女子供を皆殺しなど、そんな時代もあったわけで。
北陸は、京都や大阪方面から逃げるには良い場所だったのかもしれないなと私は考えた。
北陸と言ったら「真宗王国」。
加賀の一向一揆が有名であるが、天台宗、真言宗などと違い、身分の低い者でも入りやすかったのが浄土真宗だったのではないか。
神聖なる場所である那谷寺の白き岩を観ながら思っていた。
岩の間に掘られた像は見事であった。
丁度、紅葉の素晴らしい時期であった。
芭蕉の読んだ「白」よりも「赤」を感じさせる時期であったのだ。
那谷寺の中でも白山神社があった。やはり、石川県は白山信仰なのだろう。
そして、大東亜戦争の際に命を失った人の為の記念碑があった。
森喜朗・・・はてさて、どこかで聞いたような。
高野山真言宗自生山那谷寺
石川県小松市那谷町ユ122
粟津駅、または加賀温泉駅よるバスにて、那谷寺下車。
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