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『枯れ葉』|映画鑑賞日記

 日の差す日中はまだ汗ばむくらいだが、空に浮かぶ雲の形や透き通った青空が、秋だと告げてくる。日が暮れると風が冷たく、孤独感からか人肌が恋しくなる時期がやってきた。
 そんな独り身の三連休にぴったりの映画、『枯れ葉』を観てきた。


あらすじ

 舞台は現代、フィンランドの首都・ヘルシンキ。
 スーパーで働くアンナと工事現場で働くホラッパは、友人と共に訪れていたカラオケバーで出会う。
 互いの名前も知らない2人は、静かに惹かれていく。
 2人の距離は少しずつ近づくも、不運な出来事や互いの置かれた環境によって、何度も引き裂かれる。それでも、ずっと、待ち続ける――。

孤独を抱えた2人の人生が交差していく、寂しさと暖かさを感じる物語だった。

 主人公の2人は、どちらも生活が苦しい労働者だ。
 アンナはスーパーで働いていたが、融通の利かない連中のせいで突然解雇を言い渡される。次に働き始めた店もすぐに潰れ、次に見つけた工場で勤務しながら、なんとか生計を立てている。
 ホラッパはかなりのアル中で、働いていた工事現場で勤務中に飲酒していたことがバレてクビになってしまう。次の工事現場でも、同じように勤務中に飲酒していたため、クビになった。

 こうまとめると、アンナは本当に理不尽な目にあっていると思うが、ホラッパは自業自得なようにも思う……。

 そんな、その日暮らしの2人が、カラオケバーで目線を交わし合ったところから、恋が始まる。
 生活圏が近いのか、街中で偶然出会ったり、探して出会ったり、出会えるのではないかと祈るような気持ちで映画館の前で待ってみたり。
 名前も連絡先も住所も知らない2人は、そうして少しずつ近づいていく。

 不運が何度も2人の間に現れ、すれ違いそうになる。
 それでも、相手への思いを捨てず、「相手とは縁が切れていないはず」と、心のどこかで思っているような。そんな表情で、それぞれの日常生活を送っているシーンが、とても美しかった。

音楽が紡ぐ心情

 主人公の2人は、決して無口なキャラクターではないが、物静かで口数が少ない。冗談を言うような面白い一面もありながら、決しておしゃべりな性格ではない。
 そのため、2人でいるシーンも、特に会話が弾んでいるような印象は受けない。見ているこっちが、「この2人、大丈夫か?」と気を揉みたくなるくらいだ。

 その代わり、音楽が2人の心情を雄弁に語ってくれる。
 それは、カラオケで誰かが歌った曲だったり、お店で流れているBGMだったり、お店で歌っている2人組のミュージシャンだったり、ラジオミュージックだったり。
 そんな心情描写の工夫も、面白かった。

画面上の配色が好き

 また、映画全体を通して、画面上の色味がとても好きだった。
 服や飲み物、家具等の色のコントラストが可愛らしいのに、なんだか哀しげで、映画そのものを表すような配色だった。

フィルムに残るウクライナ情勢

 そして、ラジオから頻繁に流れてくるウクライナ情勢のニュース。
 それを映画の序盤で耳にしたことで、私は「現代が舞台の作品なのだ」と気付いた。
 ウクライナ情勢が、物語の進行に直接的な影響を及ぼすわけではない。ただ、このラジオニュースがあることで、映画製作時の情勢がこの作品を通して残り続ける。

「映画は、当時の社会情勢を映し出すから面白い」
 そう思っていた。
 まさに、その“当時の社会情勢を映し出す”作品が、今、作られている。その瞬間に、出会ってしまった。

おわりに

 好みの映画に出会うと、席を立った瞬間から、自然と背筋が伸びる。
 余韻を味わうというより、その世界観が背中にくっついているようなイメージで、なんとなくその映画の雰囲気に合わせた歩調になってしまう。
 きっと、周囲の人はそんなふうに私を見ていないし、なんなら私のことなど目に入っていないだろう。
 それでも、自分の中では、そういうイメージで歩いてしまう。

 『枯れ葉』も、そうやって映画の空気が背中にくっついてきた作品だった。
 劇場を出る人の波に同乗していながら、独りぼっちだと感じる。

 愛していた人に裏切られた結果、愛も人も信じられなくなった。
 だから、これからはずっと独りぼっちなのだと思い、それを受け入れるしかないと思っていた。
 でも、たとえ今がそうであっても、私が主人公たちの年齢になる頃には、また違った状況になっているのかもしれない、と。
 帰り際、ふと、そんなことを思った。

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