援助交際代行業
1.援助交際代行業いわゆる援デリと言われる仕事がある
そして18歳以下の女の子を扱う闇デリと最近呼ばれだした最もアンダーグランドなものもある
18歳以上の女の子が金銭を貰って身体を売っても犯罪ではない
しかしここに第三者が入り込み業務として事をしていたら風俗営業法違反、売春斡旋にあたり犯罪となる
個人売春は自由恋愛だが斡旋したら犯罪だぞと言う事いわゆる業務にしたらダメだよって事なのだろう
2,
俺が最後に捕まった罪名は児童福祉法違反、売春防止法違反、風営法違反
子供がいる親の大抵は自分のとことは関係ない話だと思うだろうがそんな事ない
中学に通っているなら誰でも運が悪けりゃ俺らの世界に簡単に入って来れてしまう
常に5人以上在籍は20人前後の未成年を扱う関東でもかなり目立つ援デリ業者だった俺達はその中でもかなりレアな業者だった。
こんな大人数の女の子がいる事、移動しないで事務所やホテルの待機まで借りて堂々と営業してるとこ、そして何より少女達がお前達を好きなところ、俺を担当していたこの事件の班長が言っていた。
しっかりと仕事として何より俺もこいつらが好きだった、周りからはただ利用してるだけと悪い大人に見えていたがそんなことない、真剣に、、、
俺たちは本気で家族ごっこをしていた
この事が約半年後の裁判で大きな奇跡を起こす事になる
3,
線路沿いのホテルのエントランスを抜け朝日が眩しい、そう思いながら少しでも長くこいつらと家族ごっこがしていられますようにと願った事を今でも覚えてる
初めは雑居ビルの1部屋を他人名義で借りて人数が増えてラブホテルの部屋を二つ毎日借りてそこを待機と寮がわりにしていた
ジャラジャラっと10数代の飛ばしの携帯電話を取り出し打ち子が客を出会い系で探しはじめる
外部の男3人は事務所に来ないで外で打ち子をさせていた。
リーダーの女の子がまずは周りに指示を出しテキパキと動く
みんな14歳〜18歳の女の子達
打ち子もプレイヤーもやる女の子も何人かいた
思春期の女の子達だから色んな悩み、しがらみがまとわりつく、当たり前だがこの子達にもちゃんとした親がいる
中には学校のPTAで問題となり直接その子の親と話をしたこともある
俺はみんなに家出をしないで家には帰るように指示していた。
未成年に対する法律はかなり厳しめに作られていることを知っていたから
少年法で守られてる側は逆に物凄く甘く作られている。
帰りたくない子達は仕事が終わると渋谷や新宿に遊びに行ったりする子もいた
余談だがこの頃からホストにハマり今は自殺してしまった子もいる
ホストビルから飛び降り自殺した悲しい事件だった
俺はいつの日かカウンセラーの先生みたいになっていった
自分たちの先輩と何か似てるけど全く違う俺にみんな色んな事を相談してくれた
俺はそんな悩みを聞く事が好きだったし楽しかった。
(最近付き合った彼氏が周りからも言われるくらいチャラくて心配、私にはエッチしてくれないくせに・・・)
俺は話を聞いてその彼氏が見栄を張ってるんだと思い
「そいつ童貞だからあまり追い込むもんじゃないし何もわからない感じで接してあげてれば自然とやってくるよ」
そんなわけないってその女の子は言ってた。
少なくとも周りの同年代の子達よりも色んな経験を積んでる子達だから同じ15歳、16歳の男子はガキに見えてしまうのだろう、そいつらも背伸びするのにも限界がある
不思議と負けたくないとメッキをかけるやつも当たり前にいるし悪い事じゃない、仕方ない事
(なんかじつは初めてで緊張して中々できなかったらしい〜めっちゃ可愛いし意外に上手いしでかい!!)
(しゃっちょ!どんまい小さくても大丈夫だよ!!)
「おめでとうっておいwww」
俺は周りから「しゃっちょ」と呼ばれていた
トラブルがたまに起きる事がある
金を払わないゴミ、監禁する奴、コジキヤ○ザ、、、
全くめんどくせーなー!!俺は必ずホテルの部屋まで行き対処していた
普通の業者はトラブルあっても女の子任せにしたがる
基本女の子は警察の内偵捜査を警戒して個人で小遣い稼ぎをしてる程にする、
だからって怖い思いや、身の危険があったときに俺はこいつらをほっとく事ができなかった
俺がそういう事をすると決まって俺の事を怒ってくる奴が今も一緒に仕事してる家族の1人だ
4,
その日俺は朝から一緒にいる奴に色々買い物を頼まれたついでにパチンコに来ていた、餓狼の1番端っこの台、確か1000円で4万くらい勝ったような気がするが買い物を頼まれていたのに2時間くらい帰って来ないもんだからブチギレられLINEで喧嘩したりと勝ったがイライラしていた
ホテルの部屋に戻ってもイライラが収まらない俺はシャワーだけ浴びてすぐにまた外に出かけるつもりでいた
部屋の鍵が勝手に開いた
「ん!?なんだ??」
動くな!!!警察!!動くな!!!!
14人の男の刑事と1人の女刑事が狭いホテルの部屋になだれ込んできた
とうとう来たか。。。
「ごめんな、大丈夫だから1年くらい我慢したら終わるから」
さっきまで喧嘩してた、何が起きたのかわからず放心状態のその子に言うのが精一杯ですぐに部屋の中と外に分けさせられた
お前中々帰らないから小遣い無くなっちまったよ!!
笑いながら話しかけてきた刑事がいた
!!
俺がパチンコしてたとなりで全くでないのに粘ってる奴がいた
そのまま神奈川県平塚警察署に連れて行かれた。
簡単なやりとりの後留置所に移動する
寝る時も薄暗くするだけ
必ず電気は付いている
年間刑務所など施設に800億円ほど国民の税金がかかっているらしい、高い安いは俺にはわからない
部屋には先客が2人、もう寝てる、と思う
布団を引いて横になって天井を見たとき「今の現実」を理解してきた
あいつ大丈夫だろうか
自分のことなんかはどうでもいい
単独で捕まることってほんとに楽、自分勝手に捕まってるだけで時間が経てばいずれ外に帰るだけ
逮捕されたときの血の気の引いたあいつの顔が頭に浮かぶ
がんばれ!!
翌日昔から顔見知りの弁護士到着。そうそう俺ら捕まるとこの流れからだったなw
懐かしさを感じながら
「お久しぶりです、先生」
(今回は7.8年は覚悟してください)
俺がパクられたとすぐに察知した先輩が派遣してくれた元いた組織の顧問弁護士
7.8年は長いけどおそらく悪くても4.5年だろうな
そんな事よりこれで3万か、、、
弁護士接見1回3万円
「先生今回は俺個人の事なので国選でいこうと思います、御足労かけてしまい申し訳ありません」断った。
5,
接見禁止はつかなかったので検察庁の勾留手続きが終わった後に他の共犯の留置所宛に手紙を書いた
事件のことなどではなく、これからの流れを説明してあげたかった
先のことが不安になりやることもない暇な時間ばかりの留置所は精神的にかなりきつい
少しでも先に何があるのかをわかっていれば気持ちも楽になるのかと考えてのことですんなりと手紙を送ることができた
俺の読み通り落ち込んでる共犯も居たが1番心配していたあいつはなんとも頼もしい奴だった
(小田原にすごい少女がいるらしい)
朝の運動の時に他の部屋の人から聞いた噂話
(担当の薬銃がぼやいてたんだけど捕まってるくせに尿検を蹴った女の子がいるらしいんだよwwww)
事件性的に薬物の検査もされる
俺は普通に提出してて忘れてた。
後から聞いたら困らせてやりたかっただけらしいほんとはものすごく臆病もののくせに頑張ったな。
この時もう一つ俺は1番心配してた話を聞かされた10日勾留が切れる日に当たり前だが俺たちは再逮捕された、そしてまた勾留延長今度は20日、容疑者を調べるのに最大20日勾留だから毎回警察は勾留延長の為に再逮捕してくる、そんなことは知らないあいつは10日勾留で帰れると思っていた中で先の見えない再逮捕勾留延長今度は倍の20日・・・泣き叫び暴れてたらしい・・・・
俺はこのとき嘘をついた。
俺が全部支持してやらせていた、金は全て俺が使ったあいつらを利用してただけだ。
あいつは何もわからず俺の言葉に騙されて使われただけ、そこんとこちゃんと調書まけよ
今の今まで俺は極悪人で未成年の子供達を騙して金儲けをしていた悪い大人、ヤクザだと調べ官達は見立てていた
この手の事件は大抵がそうだから仕方ないがそのことを全面拒否してたのは一緒に捕まったこの女の子うめちゃんである
うめはうめが1番上で逆に俺を使ってたと警察の調べて話した、実は俺たちは始める前に俺ともう1人の共犯の成人男性は特に何も知らない、特に関わりはないと口裏合わせを考えていた
捕まった当初その口裏合わせの通り俺たちは事件を否認していた
ただこれ以上辛い思いはさせたくないとそんなことして早く外に出てもなんも嬉しくない
俺は初めて罪を認めて俺が1番上だと証言を変えた
お互いの留置所で手紙のやりとりをしながら大体春先にはお前は外に出れるからもう少しがんばれ!
悪かったな
どんなやつでもあんな中に入るとセンチメンタルな気持ちになり悲劇のヒロインみたいになるのはお決まりである
俺が1番初めに自由を奪われたのは16歳の少年鑑別所で約1ヶ月だけだがその時の彼女に待ってなくていいから他の男見つけて幸せになれよとか、今思うと小っ恥ずかしく文章を書いていた事もある
出てきた時に早かったねって笑われたりもしたw
結局俺が主犯だと言い張りながらうめはうめで私が回してたから俺はバイトみたいなもんだくらい言い切っているこれこそ漫画みたいな調書がお互いつくられていった
検事も何がなんだかわからないと言った面持ちである
お互いが自分が悪いと言ってる犯罪者なんかなかなかいない。
裁判は求刑を先に言われてその後結審するがその求刑の後日にちが何日か空くこのタイミングで保釈請求が通る
6
平塚警察の留置所がざわざわしているのがわかった殺人の2人の次に長く留置されてる俺はいつしかその中で頼りにされていた
問題児が入ってきた時は俺ととりあえず入れとけばなんとかなると、一度捕まってるのにギャーギャーうるさいおじさんがいた時にどんなに騒いでもなんも変わらねーから黙ってろ、飯だけ貰ったらさっさと食って文句いってんじゃねーよ
文句があるなら飯も拒否しろ、全て拒否して何も与えてもらえないで訴えろ!
弁護士に言え!
このうるさいおじさんはこの瞬間から20歳は歳下の俺を社長と呼び始めた。
検事調べで地検に護送される時たまたま俺たちの部屋3人が同じ日に重なった事があり、1日かかる遠足は昼パンとコーヒー牛乳が出るんだけど俺が昼のタイミングに調べが重なり、少し遅れて昼になった
(社長どうぞっ!)パンを渡してきた、コーヒー牛乳は兄貴に渡しました。。。
「やめろそういうのはw
あと俺コーヒー牛乳俺嫌いだからお前飲んでいいぞ」
楽しみにしていたコーヒー牛乳をくれてやった
余談が長くなったがこいつは精神鑑定に送られる事になり約2週間でいなくなった。
出たら社長のところで働かせてもらうんだなんて言ってたが元気に右翼活動頑張ってもらいたいものだ
当時の平塚留置は相当楽園だった居心地のいい留置はおそらくないだろう
親父達が本当にいい人で語弊があるが俺たちは仲が良かった
定年で有給使って休んでる部長が俺の最後の日にわざわざ顔見にきてくれたり、俺の調書をみんなで回しみしてたらしく俺のことを社長って呼んだりされていたw
クリスマスにはケーキを出してくれたり、正月にはセブンのそばを買ってきてくれたり、半端ない留置所だった。
本当に余談は終わりにするw
7
なんかいい事でもあんのか??
ざわざわしてる看守に声かけた
なんか俺の顔を見てニヤニヤしやがる
気持ちわりーな
社長、面会です!
「はいはい」
先にでた留置仲間がよく面会にきてくれたりしてたのもあり特にいつも通り面会室に向かおうとした
社長この子って共犯の・・・
「えっ!?」
名前をみたときに恥ずかしながら涙が出そうになった
人前で涙を見せることは恥ずかしいと思ってる俺は必死に堪えた頑張った
アクリル板のすぐ先に半年前まで毎日一緒にいた1番心配していた共犯の女の子が今にも泣きそうな顔を必死に堪えながら座ってる
「泣いていいぞ、久しぶりだな」
精一杯カッコつけながら人生で1番早い20分間を過ごした。
そのすぐ後に結審の日を迎えた。
俺より先にうめが結審を終えていた
あいつは18歳だけど逆送(ぎゃくそう)されて成人と同じ裁判を受けていた
懲役2年6月執行猶予4年
俺はそれよりかは確実に重い刑になると覚悟していたから執行猶予はないなと思っていた。
主文◯◯◯◯を懲役2年6月に処す!!
なを
(!!!!!!!!!
この瞬間奇跡が実現した)
5年間系を猶予するものとする
懲役2年6月執行猶予5年
わずかその差猶予1ヶ月
カッコ悪い言い方したらシャバの空気はうめーなー!!
そのまま腰縄を取られて手錠も外され留置所からは荷物を持ってきていたので逮捕当時の服装に着替えた
「あちーな」
11月の終わりに逮捕された服は今の季節に合わなくなっていた
「小田原の駅全然つかねーじゃねーかよ!!」
はぁぁ!!ふざけんな目の前にあんだろ
俺は駅と反対方向に歩きながら見つけた公衆電話で止まった時間が動き出すのを感じながらタバコを吸った
おしまい8888www