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【つれづれ日記】noteを読むことは「多様性に触れる」こと

自分の「常識」なぞ、ちっぽけなもんさね。


最近、池田町の記事がネットで話題になっている。

ボクも「炎上しそうな内容だなぁ」と思う。
しかし、これと同じようなことをボク達も普段から感じているんじゃないかと思うのだ。


話は変わるが、このnoteを読んでいる方は比較的積極的に外部から情報を得ようとしている方が多いと思う。
そうしていろんな方のnoteを読んでいると思うのではないだろうか。
「自分と全く考え方が違う人がいるな」と。


ボク達は小さい頃からいろんなコミュニティに所属してきた。
家族しかり、学校しかり、会社しかり、地域社会しかり。
そしてまた、そのコミュニティごとのルールを教えられて育ってきた。
それがボク達の「常識」だ。

しかし、なればこそ別のコミュニティに所属してきた人の「常識」は全く別のものである可能性がある。
最もわかりやすいのが「日本人と外国人」の違いだろう。


最近YouTubeで「日本に来た外国人」や「海外暮らしの日本人」のチャンネルをよく観ている。
なんでこんなに観ているのか自分でもよくわからないのだが、これらのチャンネルを観ていると、とにもかくにも日本と海外の「常識」が全然違うことがよくわかる。

欧米では知らない人にも気さくに話しかけるとか。
学校を自分たちで掃除しないので共有物を大事にする意識がないとか。
これはどちらが良い、悪いといった話でなく、単純に文化の違いだろう。

そして、日本人が日本移住する外国人に求めるのは「日本の文化、ルールを尊重してほしい」だ。
電車の中では静かにしてほしいとか。
ゴミはちゃんと決まった日に出して欲しいとか。
日本でうまく暮らせている外国人もみんな「こういう心がけが大事」と言っていた。

ボクもそう思う。
日本のルールに馴染んでくれる、馴染もうと努力してくれるなら受け入れるこちら側としても受け入れやすいなと素直に思う。


さて、ここで冒頭の話に戻ろう。
池田町が移住者に求めている七か条は、要するに「池田町の文化を尊重してほしい」ということだ。
「池田町に住むのであれば、池田町の文化、ルールに馴染もうとしてほしい」と言っているのだ。

これは先ほどの話と全く同じなのではないだろうか。
要するに池田町に昔から住んでいる方からしてみたら、移住してくる人は「日本にくる外国人」と同じなのだ。
この池田町の考えを否定するのであれば、「衰退している日本に移住してくれる外国の方に日本式のルールを押し付けるのは良くない」と言わなければおかしいだろう。


ここに田舎の再開発の難しさがあると思う。
「自分たちの地域にもっと人が来て活性化してほしい」と思うと同時に、「自分たちの文化を壊さないでほしい」という思いもまた存在するのだ。
ここをちゃんとクリアできないと、廃村になるか文化侵略になるかのどちらかになってしまうのだ。

こう考えると、池袋のそごうにヨドバシカメラが入るのが「文化を破壊する」と言われるのも、日本が海外移住者の受け入れをなかなか進められないのも同じことなんじゃないかと思う。


じゃあどうすれば良いのか。
そのカギがこのnoteを始めとしたSNSにあるんだろうなと、個人的に思っている。

SNSを通して人はいろんなコミュニティのいろんな「常識」を知ることができるようになった。
そうすると、同時に自分の「常識」が普遍的な常識では無いということに気づくようになる。
そうして「自分のコミュニティの常識」に固執しない考え方をできる人が増えると、自然と「もっと広いコミュニティの常識」が自分の常識になっていくのではないだろうか。
例えるならば赤い水と青い水が混ざって紫色になるように、異なる文化の常識が合わさって別の常識が生まれてくるのだ。


そのためには個人個人がチャンネルを開いて、自ら外に情報を取りに行かなくてはいけない。
それができないと、「大きなコミュニティの常識」から外れて、小さい世界で「井の中の蛙」になってしまうだろう。
個人が文化的な鎖国をしている状態だ。
会社とかにいる「偏見が強い人」は、えてして自分以外のコミュニティと関わりが少ないんじゃないかと思う。

ボクの父も、けっこう偏見が強い人だ。
ボクの実家は町工場をしており、父は基本的に家族か決まった取引先との付き合いしかない。
テレビは見るがインターネットは疎いので、狭い世界で閉じてしまっている。
そういった環境が長く続くと、常識もガラパゴス化してしまうのだろう。


とはいえ、自分と異なる文化を取り入れるのは楽じゃない。
そして今のコミュニティに染まっている人ほど受け入れたがらない。
それもわかる。年を重ねるほど、今までの常識に縛られてしまうのだ。
わかるからこそ、受け入れられない人は今の小さなコミュニティで幸せになってほしいと思う。
ブータンの例しかり、知らないからこそ感じられる幸せというものもある。

チャンネルを開いて、世界中と繋がるのはボクらの世代の仕事なのだろう。
ましてやもっと下のインターネット世代にもなると、世界基準で比較されるのは強制的かもしれない。
そうして世界中がつながって「みんなの常識」が一緒になったとき、ようやく国境は無くなるのかもしれない。
何百年かかるかわからないが。


SDGsなども言われ出した昨今、性別や文化に限らず様々な違いを受け入れる流れは間違いなく来ている。
その中で生きていくボクらも、今のコミュニティの常識に縛られない広い視野で物事を考えていきたい。


まぁ、noteまで読んでいる方々には今さらな話かな?


今日はこんなところで。
では!

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