児童文学の思い出
ここしばらく、かつて読んだ児童文学についての記憶をたどっていた。きっかけは先日、『名刺代わりの小説10選』を考えたときのこと。一般向けの小説に交じり、1冊だけ児童文学が入った。ドイツの作家であるミヒャエル・エンデの『モモ』。小学生のころに初めて読んで以来、大人になった現在でも数年おきに読み返す印象的な作品だ。10作品ではなく、さらに少ない5作品を選ぶとしても、おそらく『モモ』は入るだろう。
『モモ』について久しぶりに考えたり、パラパラとページをめくって部分的に読み返したりしているうちに、幼いころに読んだ児童文学の思い出がいくつかよみがえってきた。せっかくなので記録も兼ねて振り返ってみたい。
『冒険者たち――ガンバと15ひきの仲間』
児童文学の原体験は何だったか――と記憶を探っていくと、思い当たるのはエンデの『モモ』と斎藤 惇夫の『冒険者たち――ガンバと15ひきの仲間』のふたつ。初読の時期はいずれも小学校低学年の終わりごろだと思う。『冒険者たち』を少しだけ先に読んだような気もする。
私にとってこのふたつの作品の共通点は、いずれも小説の前にお芝居を観ていたこと。故郷の盛岡市中心部にある大きな会場で上演され、家族で観に行った。いずれも物語に関する前情報はほとんど何も知らされなかったはずだが、会場ではぐいぐいお芝居に引き込まれた記憶がある。観劇が終わった後、お芝居のもとになった本があると知らされ、原作小説を読んだ。それまで読んできた本よりはやや難しい文章に苦戦しながらも、夢中で読み終えたのをおぼえている。
『冒険者たち――ガンバと15ひきの仲間』はドブネズミのガンバが、凶悪なイタチ・ノロイ一族に追い詰められる島のネズミたちを救うため、仲間とともに島に乗り込んで戦いを挑む作品。ガンバの仲間のネズミたちは頭脳自慢やいかさま自慢、跳躍自慢など一芸に秀でたくせ者ぞろい。「ガクシャ(学者)」、「シジン(詩人)」、「イダテン(韋駄天)」など、それぞれの個性がそのまま名前になっていた。子供向けのわかりやすさに配慮したためだと思うが、いま思い返すと少し面白い。
作中ではイタチとの戦いが相当にシビアで、子どもには残酷に思えるような描写もあった。しかし仲間のため死力を尽くして戦うネズミたちの姿は非常に格好よかったし、仲間から犠牲が出たときは悲しくて泣いた。勇気あるネズミたちの物語にのめり込んだまま、長編を一気に読み通した。手に汗握る冒険小説の面白さに触れたのは、あるいはこの作品が初めてだったかもしれない。……こうして思い出しているうちに、久しぶりに読み返したくなってきた。続編『ガンバとカワウソの冒険』も傑作。
『ジム・ボタンの機関車大旅行』
『モモ』と同じくミヒャエル・エンデによる作品。『モモ』を読んでからしばらく後、同じ作者の作品として家族に手渡されたような記憶がある。島に送られてきた小包に入っていた赤ん坊がジム・ボタンと名付けられ、後に少年になったジム・ボタンは機関士のルーカスとともに機関車に乗って海を渡る冒険の旅に出る。
『モモ』とはまた方向性が異なるファンタジー作品で、こちらはとにかく冒険譚としての面白さに満ちている。現実の常識とは異なる価値観を持つ国や個性的なキャラクターが次々と登場し、旅を盛り上げる。旅の移動手段として、船ではなく機関車に乗って海を渡る(!)という設定が、とても意外で楽しかったのをおぼろげに覚えている。
ジム・ボタンの出征の秘密が明かされる続編の『ジム・ボタンと13人の海賊』とあわせて、刺激的な読書体験だった。こうして記憶をたどりながら書いているうちに、無性に再読したくなってきている。
エンデにはもうひとつ、『はてしない物語』という不朽の名作がある。それを読んだのは『ジム・ボタン』よりもさらに後だった。『ジム・ボタン』も『はてしない物語』も素晴らしい作品だが、改めて振り返ってみると、やはりエンデの作品で自分に最も深く刺さっているのは『モモ』らしい。近いうちにじっくり再読したい。
『そして五人がいなくなる 名探偵夢水清志郎事件ノート』
はやみねかおる『そして五人がいなくなる 名探偵夢水清志郎事件ノート』は、名(迷)探偵・夢水清志郎がご近所に暮らす三つ子とともに不思議な事件を解決するミステリーのシリーズ第1作。調べたところ小学校高学年向けらしいが、推理小説としての出来もよく、対象年齢以上で読んでみても楽しめるはず。何しろ私自身、確か中学3年生くらいで初めて読み、非常に面白く読むことができた。
小学校の中学年から中学校くらいにかけて、ミステリー小説にどっぷりはまっていた時期があった。きっかけは小学校低学年くらいで読んだ江戸川乱歩の少年探偵団シリーズやコナン・ドイルのシャーロック・ホームズシリーズ(どちらも小学校の図書室にぜんぶ揃っていた)だったはず。そこから図書室にあった児童向けの世界名作ミステリー10選や日本の傑作ミステリー10選といったシリーズを読み、次第に自分でもお小遣いから日本の作家の小説を買うようになる。
しかし小中学生のお小遣いでは買える本の金額にも限りがあり、当時は行動範囲も狭かった。自転車で通える距離にある書店・中古書店で入手できる(そして興味を持てる)ミステリーの文庫本は、数年でだいたい読んでしまった。地方の小さな書店は、売り場のラインナップの入れ替わりもあまり激しくなかったという事情もある。当時はインターネット通販がまだあまり盛んでなかったこともあり、完全に手詰まりになった。
手が届く範囲のミステリー小説を読んでしまい、その後に何が訪れたかというと、端的に言えばミステリー自体に飽きてしまった。たまに新しい本を読む機会があっても、「これは○○(昔の名作)の二番煎じじゃないのか?」と、悪いところを探す減点法の読書の仕方になっていた。そうなるともう、読書自体が面白くなくなる。勉強や部活動が忙しくなってきていたこともあり、それまでの乱読が嘘のように本を読まない時期がしばらく続いた。
そんなときにふと手に取ったのが『そして五人がいなくなる 名探偵夢水清志郎事件ノート』。小学生向けということで、読み始める前は侮っていた覚えがある。しかしそんな失礼な思いはあっという間に消え去った。この物語には、初めて少年探偵団やホームズの小説を読んだ時に感じたワクワクやドキドキが詰まっていた。「この謎はどうやって解くんだ?」という、ミステリー小説の根幹にある謎への純粋な興味。物語に没入して、登場人物とともに謎を追いかける面白さを思い出させてくれた。読み終わるころには、それまで感じていたミステリーへの飽きも読書のつまらなさも、きれいさっぱり消えていた。
ミステリーに限らず、減点法の読書を捨てることができたのもこの本を読んだことがきっかけ。どんな本を読むときでも、つまらないところではなく面白いところ、優れたところを自然と探すようになった。この姿勢はいまでも変わらずに大事にしている。前向きな読書の仕方の示唆をもらった点でも、自分にとって思い出に残る一冊だ。
ここで触れたほかにも、思い出深い児童文学はまだいくつかある。そのうちまた振り返ってみたい。