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2024年10月の読書メモ

 その月に読んだ本の中から何冊か選んで、ざっくりとした感想を書いてみます。読んだときに思ったことを忘れないようにすることが目的なので、ほんとうにざっくりです。たくさん選ぶ月もあれば、一冊だけの月もあるかもしれません。毎月一冊は感想を書けるようにしたいとは思っています。

 今月は、読みはじめたものの読み終えられていない本が多かったので、それらは来月に。


高瀬隼子『新しい恋愛』

 今まで恋愛をしてきてよかったと思える本だった。恋愛をしてきたからこそ理解できる、想像ができる、おもしろいと感じられる話。そのおもしろさが凄まじく、現実の生活に響いてしまうほどなので、私は過去の恋愛に感謝したくなった。とにかくおもしろい!

『新しい恋愛』には五話からなる短編集で、五話それぞれで違う角度の恋愛が描かれている。恋愛それ自体と、恋愛に付随してくる思考・感情・行動。その付随してくるものにはどこか見覚えがあったり、反対に意表をつかれたりすることもあって、どこか見透かされているという感覚になる。バレていると思う。一話目の『花束の夜』。社会人の恋愛というテーマの中で、誰もが見て見ぬ振りをしてきたところに触れているような気がして、ゾワゾワする。映画『花束みたいな恋をした』よりももっと一般の現実の話で、それでいて情景はあまりにドラマティック。三話目の『新しい恋愛』(表題でもあるタイトル)は、まさに共感できる話だった。「プロポーズされたくない」という心境。結婚と恋愛に違いを感じる人と、同一視する人。私は、恋愛恋愛することへの苦手意識はあるが、一方でそれなくして結婚する気にもなれないので、少し違うかもしれないのだけれど。

 普段から本を読みながら、お気に入りのページは端っこを折ってしるしをつけている。あとで読み返したいシーンだったり、お気に入りのフレーズを覚えておくため。『新しい恋愛』はおそらく、このしるしを最も多く獲得した本だった。短編集なのもあり、話の密度が濃いし、パンチラインも多い。ずっと顔面を殴り続けられているかのように心を揺さぶられる読書体験だった。周囲にも、めんどくさがられるくらいに激推ししている。

社会で働き始めてしまった自分は、もう二度とあんなふうに自分の心だけで恋愛をすることができないんじゃないか、と水本は気付く。自分が自分だけであるよりも、水本は社会や会社の中の一員であることを優先したかった。社会の歯車って悪い言葉のように聞こえるけれど、水本は歯車になりたいって思っていた。かっちりはまって、なにかの役に立って物事を動かしていく歯車。それに憧れる気持ちは、なんだか決定的であるような気がした。

高瀬隼子『新しい恋愛』

松永K三蔵『バリ山行』

 人生山あり谷ありと言うように、人生はよく山に喩えられる。『バリ山行』は、まさにそんな喩えの先頭をいくような、山を通して人生を描き切った作品だった。余談だが、同時に芥川賞を受賞した朝比奈秋さんの『サンショウウオの四十九日』よりは映像化に向いている作品だと思った。

 主人公である波多は、元々ひとづきあいが苦手なタイプ(めっちゃ共感)だったが、リストラへの危機感もあって社内の登山部の活動に参加しはじめる。そこから登山にはまるものの、仕事や生活への雑念が振り切れなかったりする中で、同僚の妻鹿さんがやっているという「バリ」に興味を持つ。「バリ」というのはバリエーションルートの略称で、登山道ではない山中を切り開いて進むような、自由度も危険性も高い登山のことらしい。会社の状況や同僚からの視線など意に介さず、黙々と一人でバリをやり続ける妻鹿さん。リストラされた経験からか、苦手ながら人間関係や社内での立ち位置に気を配る波多。そんな二人が、生々しい会社での出来事と、まるで映画のように鮮明な山の風景の中で対照的に描写されていくのがおもしろい。

『バリ山行』は、残酷なまでに現実の話だと思う。妻鹿さんの言う「本物の危機」に波多が反発してしまうのは、ものすごく共感できる部分だろう。私が仕事で落ち込んだ時、友人は「仕事なんてミスってところで死なないし大丈夫!」と言ってくれたりするが、全然大丈夫じゃない!みたいなことはよくある。転職とか留学とか企業とかなんであれ、「死にはしないからなんだって挑戦できる!」というのも一般的な感覚からすると、理屈では理解ができるがやっぱり怖いと思ってしまう。それが、不安感の感だと分かっていても、感じてしまっている当事者にとっては本物でしかないのだから。

「会社がどうなるとかさ、そういう恐怖とか不安感ってさ、自分で作り出してるもんだよ。それが増殖して伝染するんだよ。今、会社でもみんなちょっとおかしくなってるでしょ。でもそれは予測だし、イメージって言うか、不安感の、感でさ、それは本物じゃないんだよ。まぼろしだよ。だからね、だからやるしかないんだよ、実際に」

松永K三蔵『バリ山行』

藤岡みなみ『超個人的時間紀行』

 藤岡みなみさんが編集・発行した、「現実世界でのタイムトラベル」がテーマのエッセイ・アンソロジー。その第二弾。藤岡みなみさんを含む11名(安達茉莉子、岡田悠、小原晩、小山田浩子、久保勇貴、JUNERAY、瀬尾夏美、pha、パリッコ、吉川浩満、藤岡みなみ)が参加しているZINEで、私の敬愛する小原晩さんが参加していると聞いて即購入を決意。取り扱っている書店が少なくて探していたところ、たまたま訪れた京都のミニシアター「出町座」に併設されている書店「CAVA BOOKS」で、運命的な出会いをすることができた。

「現実世界でのタイムトラベル」と言われても、はじめは、どういう意味なのよくわからなかった。それもそのはずで、『超個人的時間紀行』の執筆者の中でも、このタイムトラベルの解釈については一人ひとり違っている。その違いがとてもおもしろい。自らのルーツを辿りながら現在と重ね合わせる時に体感するタイムトラベル。お酒を飲みすぎた夜に一瞬で電車を乗り過ごしたり、記憶のないままに家に帰っているタイムトラベル。たまたま停止し忘れていたICレコーダーの音声を聞きながら過去の自分に意識を重ねて感じるタイムトラベル。時間はなにかを変質させることもできるし、動かすこともできる。繋げることもできれば、奪い去ることもできる。どの話も魅力的だったのだけれど、私の中ではJUNERAYさんの『Three Thresds』が最も印象的だった。切り花やワインといった美しいモチーフに、生々しい身体感覚と死の予感に、時間の持つ力が作用する文章に惚れ惚れする。

人魚の肉を食べて不死になるみたいに、宝石になったワインを飲んで私の一部が変容するとしたら。今でも枯れかけのバラの香りをかぐと、銀座のレストランのテーブルに連れ戻される。プルースト効果はてきめん。

JUNERAY『Three Threads』

 私は、過去の自分が書いたテキストを読み返す時、タイムトラベルを体験する。その際、作文なんかの整った文章ではなく、TwitterのツイートやLINEで送ったメッセージの方がよりタイムトラベル度が高い。素の自分が出ているからだろうか。試しに十年前の高校生時代のLINEを見返してみると、今は使わない一人称、語尾、絵文字、スタンプのオンパレードで、まるで他人が送ったテキストのように思えてきてそわそわする。当時の流行語なんかを聞いても「懐かしいなぁ」くらいにしか思わないのだけれど、自分自身の意図しない変化、それも身体的なものではなく能動的な行為だからこそ、そこに時間の跳躍を感じ取ることができるのかもしれない。

タイムトラベラーでありたい。生まれる前の時間を生きた人の肩を抱きたいし、未来人ともおしゃべりしたい。時空を超える共感力を、タイムトラベルと定義してみたい。

藤岡みなみ『超個人的時間紀行』

酒井順子『消費される階級』

 珍しく、読んでいて違和感というか、不快感というか、拒否感のようなものを抱いた作品だった。だからこそ、この本について多種多様な人々からの感想を聞いてみたい。私は、心地よい読書だけがいい読書ではないと思っている。しかし、その心地よくない読書はなかなか実践できず、なんだかんだで親しみやすい本ばかり読んでしまっていた。そういう意味では刺激的な読書体験ができたと思う。

『消費される階級』は、世の中に存在する様々な差異・階級・分断を21の章に分け、それぞれに"主観的な"意見を展開している。客観的事実を用いた論述ではなく、あくまで主観。おそらく筆者とは異なる属性の人からは「学術的な考察が一切ない」とか「独り言を延々と聞かされている」といった批判的なレビューも寄せられていて、たしかに『FACTFULNESS』のような感覚で読むなら不十分な個人的見解と感じるのかもしれない。しかし、これは「現実に存在する分断について、他人の意見を用いて自分の考えを確かめられる作品」なのだと考えると、なかなかにおもしろい内容だったと思う。例えば、『五十代からの「楢山」探し』という章では「今の若者は偉そうではないが、どうしても肩身の狭さを感じる」というようなことが語られている。しかし、一部のイケイケZ世代を除くなら、一般的な若者からすると年長者は普通に怖いものだ。私も会社の十歳離れた先輩に「若者は怖い!」と言われたが、こっちからすると知識も経験も地位もある年上の方が怖いに決まっている。このような「考え方の違い21本ノック」を連続で受けるのは、確かにしんどいし不快さもあるけれど、同時にある種の爽快感ももたらされると思う。

 少し話はそれるが、映画『オッペンハイマー』や、最近だと村上春樹作品について「不快だから見たくない」という意見をSNS上で見かけることがあった。もちろんその気持ちは理解できる。が、同時に「もったいないなぁ」とも思ってしまう。不快感を抱くような思考・人物・行動について適度に距離を取りながら触れることができ、それによって自分自身についての理解が進むことも文学のおもしろさだと私は感じていて、個人的にはそういう機会があれば逃さないようにしておきたいと改めて思ったりした。

表面的な格差や差別は、今後も減少し続けるであろう日本。そうしてできたつるつるした世の中は歩きやすいのだろうけれど、滑って転んでしまう人もいるに違いありません。つるっとした世では、段差の多い世よりもずっと、立つ時も歩く時も力が必要となるに違いなく、そんな世に向けて、今はせっせと筋力を鍛えるしかないのでしょう。

酒井順子『消費される階級』


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