カウンセリングれぽ(EMDR編)-② カウンセリングの副作用
寒波などのため、12月はずいぶん希死念慮が強まった。
そのためにしばらくお休みをいただいていて、二回目のEMDRは1月も後半のXX日。ずいぶんと間が空いてしまった。
初回のEMDRに関しては割と楽しく雑談できた(内容はちゃんと自分の過去についてなのだけど)といった感想で、体調こそ悪くなったものの、それは主に天候の影響といった感じだった。
なので今回も雑談様方式でスタートし、カウンセラーさんが気になった箇所を掘り下げていく。その手法は派手でないけれど、思いだしたことをつらつらとしゃべることができた。
過去のこと。まだ全然鮮明に覚えている範囲のことで、ほんとうは嫌だったこと。つよい怒りを持っていること。
カウンセリングのせいなのか、普段の生活で感情が掘り起こされてカッとなる……というのか、怒りではあるけど説明するのが難しい、複雑な感情が湧き上がることがままあるので、それをやり過ごすのか、書き留めるのか、調子悪いせいだと納得するのかの選択にも悩まされる日々が続いている。
―—という記事を書いていた。
もう少し文字の量を増やしたらアップする予定だったし、それは二月の終わりギリギリなんかになる予定ではなかった。
遅れてしまったのは、感情が掘り起こされてカッとなるという記憶を思いだしたことの副作用とも言うべき現象のせいで、それは入院中(2023年に入院していたのですが)看護師さんとお話しした経験から、記憶のふたが空くのは危ないということを知ったつもりだった。
だけど、本当にどうしようもなく、抗いようもなく、怒りとか不快とか、分類不能の感情に飲まれる日がずっと続いた。顔も洗えずごはんも食べれず、ただ黙々とゲームするだけの日も少なくなかった。
普段わたしは面談の日というのを設けてもらっていて、そこで色々と話すことでストレス軽減とか治療の助けとか、いろいろな効果を得られるようにしてもらっている。そこでは最近こんな症状がある、とか希死念慮がどれくらいあるとか、そういったことを伝えているのだけど、
カウンセリングのあと数日経っての面談では、まったく治療のことを考えられなくて、ただ辛い、苦しい、もう行きたくないと繰り返すのみだった。
それでもこれからの行動は一択、つまりカウンセリングを受け続けるしかないのだけど(そうでなければ漫然と回復を待つだけになるので)、なんというか……どう言葉にしてどう感じればいいのかわからないけれど、自分が苦しまないようにしたいと思う。
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