ストレスは成長している証
筋トレは人生に通ずる。
筋トレを習慣化することが出来れば人生をたくましく生き抜く事が出来る。
僕は真面目にそう考えています。
日々筋トレに励んでいる僕は、常に身体のどこかが筋肉痛で、
脚を鍛えた日から3日間は階段どころか通常歩行が辛くなります。
しかし、たまーに新たな筋トレ法を試して上手く出来なかったり、
仕事の疲れや精神力が足りずに中途半端なトレーニングをしてしまった時は、
後日筋肉痛が訪れずに物足りなくなるのです。
新たな挑戦をして上手くいかなかった事自体は無駄では無いし、
失敗することで学びがあるので、次回改善出来るように努めれば良いのですが、
筋肉へ負荷(ストレス)をかける事で筋肉を強く大きくする事が本来の目的なので、
筋肉痛が来ない=筋肉への負荷が足りなかった。
という事実はやはり残念なのです。
児童養護施設で育った僕は、小学生の頃から今では考えられないようなトレーニングを強いられ、
心身共に厳しく育てられました。
施設では小学1年生になると中学3年生までの子達と一緒に相撲をしなければならず、
秋の大会の為に毎日2時間ほど練習するのですがそれが一年で一番辛い行事でした。
手押し車や近い体重の子を肩車して急な100mの坂道を往復したり、
腰割りを長時間、手だけで鉄棒を登る、腕立て50×3セット、
筋力が足りずに途中で潰れたり、辛くて泣き出す子もいるのですが、
そうなると施設の先生から竹箒の柄の部分で背中にフルスイングが飛んできて、
背中には無数のミミズ腫れが走るのです。
それを乗り越えてやっと相撲の実戦練習。
中学生になる頃には自分より体格の大きいお兄ちゃんも限られてきますが、
小学生は15歳のお兄ちゃんまで総当たりしないといけないので、
まさに地獄でした。
毎日足腰がパンパンになって終わった頃にはまともに歩けませんでした。
なので僕たちの施設は他の施設より相撲が強かったし、通っていた地元の小中学校では「あの施設の子達とは喧嘩をするな」という風潮がありました。
そんな経験から、過酷な経験が自分を強くしてくれる事を知っているので、今でも自分を整えてくれる辛いトレーニングが大好きです。
日々筋肉痛があると充実しているなと感じる事が出来るのですが、
僕の周りの方達の多くは、一度きちんとトレーニングしてみると、筋肉痛がきて仕事が辛くなった。
と筋肉痛を嫌うのです。
初めは理解が出来なかったのですが、考えてみると、それに耐えて継続する事で、
目的である理想の身体や筋力を獲得するといった経験がないので、すぐに躓いてしまうのかな?と思いました。
そこで当時仕事嫌いだった僕自身に照らし合わせてみると、
仕事で理不尽なクレームや、上司に叱責されてやる気を無くしたり、
新たな業務は大変だから断ったり、
辛いと予想できることから逃げている自分と同じではないかと気付きました。
筋肉に負荷というストレスを与える事で筋肉が大きくなる。
後日筋肉痛というストレスを感じて上手くいっている事を実感できる。
これは出来るのに、
クレームを受けたり失敗して叱責されるストレスを乗り越える事で、
以前より上手く立ち回れるようになり精神的にも強くなる。
仕事で新たな業務をこなしてクタクタになって、
疲労というストレスを感じて成長している事を実感できる。
こうは思えていなかったのです。
アホみたいな話ですが、僕は筋トレは人生に通ずると考えているので、
仕事のストレスも筋トレ同様自分を成長させてくれる為に発生するものだと考えることにしました。
そして以前より挑戦的でタフに立ち回れるようになりました。
しかし、ストレス耐性は個人の育ち方次第なので、
かかえきれない程のストレスからはさっさと逃げた方が良いと思います。
僕が子供の頃は、自分のキャパを超えて逃げ出したかったけど逃げる場所など無かったのですが、
周りにも同じストレスをかかえる子供達がいて、
毎日お互いを励まし合うことで乗り越えられただけです。
人は環境や考え方次第で、自分が思っているより強く生きていけます。
辛いから逃げるのではなく、ストレスを受ける状況にする事で筋トレ同様いつの間にか以前の負担くらいではストレスを感じなくなるようになって、
逞しく生きていける様になると思います。
ストレスから逃げるのではなく、ストレスを感じなくなるくらい強くなる。
状況を変えることが出来なくても、自分を変える事なら出来る。
そう考える方が良い人生を送れるのかなと思います。