素人がステイホームで人生初めての純文学を書いてみた結果、自分と向き合い生きることを描いた「僕」からむしろ教わった話 ~あとがきにあらすじを添えて~
全16回に分け、ひとつの物語を書き終えることができました。人生最初の私のつたない小説を読んでいただいた方々、発表の場、プラットホームを与えてくれたnoteさんに感謝です。読みにくさもたくさんあったと思いますが、本当にありがとうございました。
10年くらい前から構想だけはしていました。母親を失ったことに何の感情も持てなかった主人公「僕」が、白杖ガールの「彩」と出会い、彼女との対話や交流を通して、視覚障害のある父親とそれを支えたであろう母親のことを想起し、受容し、成長していくような話でした。
私【筆者】の父親も中途の視覚障害があり、叔父は先天的に盲目で治療院をしていました。ですので、見えない・見えにくいことの生きづらさや生き方について私なりに考え、物語に反映させて作品作りを進めていきました。私自身も対話をしながら。障害とはなんなのか、作中でも「彩」が力を込めて「僕」に伝えようとする場面がありスキなところです。
さて、物語は「僕」の幼い記憶から始まります。保育園のなかよし「ミキ」は、いってみれば見える世界の無邪気な少女代表として「彩」とは対比して描きました。読みにくかったかもしれませんが、やたら僕と彩の会話が頻繁に挿入されてくるのもそんなねらいがありました。物語冒頭の心理描写も踏まえたら「僕」はファザコンで、中二病のような気もしますね。最初は書いててイライラしました。
そんな興味や意欲や生きることへ消極的な「僕」は、盲目の少女「彩」に出会い、いろいろな思いや感慨を深めたり、共有した時を反芻したりして少しずつ変わっていきます。
「僕」には父親が視覚に障害があることに根深いコンプレックスがありましたが、「彩」と交流を深めるなかで、自分らしく表現すること、ありのままでいることのよさを感じながら、「障害」と言うものの捉えを自分なりに再考していくのでした。
同時に「僕」と「彩」との関係と、「父親」と「母親」の関係性を重ねながら話は進んでいくことになります。
そのツールになったのが、「点字」でした。
父親も彩も点字ユーザーだったことが、「僕」にとっては双方へのシンパシーをもつきっかけになりました。今まで身近にあったのに意味を持たなかった凹凸の文字。それに意味が与えられていったとき、「僕」と父親との関係にも雪解けのような、そんなタイミングがおとずれます。また、最終的には母親がどんな風に父親を思い、連れ添ったのかを想像するに至る訳です。
「彩」をめぐる学校とのトラブルについて、父親は「そうか」としか言っていないあたりもスキなところです。志賀直哉の「和解」という作品から影響うけていますが、恐れ多いですね。志賀直哉さんすみません。
「純文学を書いてみた」というタイトルでしたが、自分の初めての作品ですので何かの折にちゃんとタイトルをつけたいと思います。ちょいちょい読んではちょこっと推敲したり実はしてますが。
「純文学」を広辞苑で引くと……①広義の文学に対して、美的情操に訴える文学。詩歌、戯曲、小説の類いをいう②大衆文学に対して、純粋な芸術を指向する文芸作品とあります。
クリエイティブなものに軽い重いとか、深い浅いなんてことは簡単には言えないのだけれど、感情と表現と実社会に真摯に向き合うことが、純文学を純文学たらしめるのかもしれませんね。その意味で私が真剣に向き合った1ヶ月を考えれば純文学でよしとしておきましょ。
最後です。
書いてみて、自分はたくさんのことを登場人物達から教わりました。前向きな力や、これからのライフワークについて考えるきっかけをもらった気がします。自分で書いてるのに不思議な心地です。
10年前くらいに、「本が売れない」と実家の本屋が廃業を余儀なくされました。
お恥ずかしいですが、夢が、目標ができました。
それは、もう一度小さな本屋さんを開くこと。
そのためには、自分が創造的に生きていきたい。
38のおっさんのあてもない旅路にちょこっと想いを馳せていただいたら幸いです。
次回作?
秋までには……もっと早いかも、もっと遅いかも
がんばります。しばらく充電します。
令和2年の夏のある日 mogelog3
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