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【書評1:『軍隊を誘致せよ: 陸海軍と都市形成』-”国民平等化の為の軍隊”-】

0.始めに


 
 こんにちは。本格的に寒くなってきましたね。
さて、今回は初めて定期的な書評を記述したいと思います。
開始の理由としては、以下が挙げられます。
 ①日頃の読書課題の記録・共有のため
 ②人間の本質と行動原理への理解を深めるため
 ③人間の営みの奥深さを発信するため

 拙い文章ではありますが、ご精読を宜しくお願い致します。
今回の対象書籍は以下の通りです。
 『軍隊を誘致せよ: 陸海軍と都市形成』(歴史文化ライブラリー 370) 単行本 – 2013/11/20松下 孝昭 (著)吉川弘文館

1.何故、この書籍を手に取ったのか?


 今回、『軍隊を誘致せよ: 陸海軍と都市形成』を読むに至った経緯は近代における”近代システムの普及装置としての軍隊”を理解する為です。具体的には明治期からの近代にてそれまで小さな共同体で完結していた社会的役割が近代化(西洋化)によって新たなシステムで補完されるようになりました。例えば教育や工業生産など多岐に渡ります。
 これを踏まえると”性産業”も何らかのシステムによって広範囲に及ぶ補完・普及がなされたのではないかとの仮説を立てました。
 つまり、性産業は明治以前には一部の富裕層に限られていましたが、それ以降は徴兵制の普及によって広く栄える産業となったとのことです。
 取り分け、瀬戸内ダークツーリズムの現地訪問と記述に関する下調べの段階で、遊廓の立地が旧軍の配置に近接箇所が多い点に着目したのです。
 よって、先ずは軍隊と地域の秩序を保つ(=性犯罪防止)”慰安所”としての役割との解釈で訪問を実施していました。(※一般的な通説でもありますね。)
 しかしながら、「かの理由のみでこれらが受け入れられたのか?」、「経済的要因の実態が知りたい」との思いが湧き、参考資料の一環としてこれを読むに至ったのです。

2.本書の概要


 主たる構成としては明治維新~WW2敗戦まで、陸海軍の配置を通じた都市の変化を経済的観点を中心に記述しています。
 ここでの経済的観点とはインフラ整備、地域経済の需要喚起です。
先ず、前者ですが人員や物資の輸送及び維持に鉄道が用いられたためです。
これはヨーロッパ大陸、主にドイツの戦略を参考にし構築されたものです。
また、後者ですが外部から多数の兵士が集まるため物品の購入や大規模な納品を通じた”御用商人”の台頭が挙げられますね。
(※広島県呉市では三宅酒造やセーラー万年筆が現在でも残っています。)
 そしてこれらの経済的繁栄の負の側面、衛生と風紀治安維持の観点から遊廓が需要を拡大させたのです。
 つまるところ、新体制による社会のスタビライザーとしてこれらが用いられました。
 

2-1.誰が軍隊誘致の主体であったか?


 本書を読む前は、戦前の国家体制を鑑み地方からの誘致という視点は小さなものだと見積もっていました。所謂強制的に接収する方向です。
 しかしながら、実態は異なっており維新後から日露戦争後まで地方行政が中央の地元出身者を通じて大規模な請願を実施していたのです。
 その最たる目的がインフラ整備(鉄道、上下水道、電信等)でありました。明治維新後の日本にてインフラは大都市圏を中心に整備されていましたが、地方の主要都市(県庁所在地)には手が回っていませんでした。特に鉄道は民営が中心となっていたため、地域間の不均衡は大きかったのです。
 これを公(政府)によって解消してほしい、その手段として軍の誘致が全国の地方から積極的に行われたのでした。まさに公共事業その物ですね。
 この流れは日露戦争後も地域を拡大して継続し、規模の小さな行政も主体となり誘致合戦に参加していました。読書の皆様がお住いの地域にもその記録があると思います。

2-2.誰が恩恵を受けたか?


 恩恵を受けたのは短長期の視点によって異なりますね。
短期的、つまり当時の環境下に限定すると軍関係者と経済的恩恵を受けた企業(※御用商人)がメインとなる事は容易に想像できます。
 それに加えて一般市民も一定の利益を得ていたのです。
その最たる例が水道インフラでした。軍用水道に付随した市中の水道事業整備によって衛生面での大幅な改善が見られたためです。
 (※軍が先か、市中が先かの差は場所ごとにありますが・・・・。)
 逆に長期的に見た場合、これらのインフラが戦後の高度成長から今日までの市民生活を支える基盤となりました。土地取得や基本設備の流用が可能であったためですね。
 以上の二点から俯瞰すると、地方への軍の誘致は一部の偏った勢力が主張した特定の集団だけが得られた既得権益であったとの概念は全くの誤りであると言えます。
 
 

3.遊里の誘致


 この章は自身の目下の関心である遊廓に関する項目です。これまでの散策で立地の関連性は十分に把握していますが、需給の主体については深い考察が出来ずにいました。(※建築物を被写体にすることがメインでしたね。)
 さて、ここで指す”遊廓”の定義ですが明治期の『内務省通知』(1900)における貸座敷業の登録を得た業者のことです。彼らを楼主といい”娼妓とお客に座敷を貸す”名目で商売で生計を立てていました。
 またこれらの設置に関しても規則が存在し、(※お役人は管理が大好きです・・・。)①人口1万以上②2000戸以上の住居ありが条件なのですね。
 しかし例外の基準があり、”兵営地、船着き場ありの場合はこれに限らず”とあります。双方とも当時の男社会の縮図であり公的にも遊廓の役割を肯定していたことが分かります。

3-1.誰が遊里を欲したか?


 上記から推察するに軍部がそれを欲したと考えるのは難しくありません。
では軍部主導で設置されたのか?答えは”否”です。
 軍以上にそれらの施設を必要としたのが当時の地方行政と有力者であったと言われています。
 その最大の理由は”私娼と性病の蔓延”です。私娼とは行政=警察への届出なしに勝手に売春を行う女性のことです。(※立ちんぼですね)公認遊廓の娼妓と異なり性病検診もなく性病を軍隊だけでなくその土地に拡大させる存在でした。今も昔も変わりませんね..…。
 つまり管理売春=治安<衛生維持の観点であったわけです。
例えば大正期のとある都市では性病罹患率は公娼に対して私娼が4倍以上とされていました。避妊具が普及していてもこれほどの差があったのですから
公娼の需要があったのも頷けますね。

3-2.設置、運営者は?


 その結果、地方の有力者(※実業家や政治家)がメインとなってこれらの運営に当たったのです。各都市でそれが誰だったのか調査することで土地の風土等が透けて見えそうです。この点は地元をメインに実施したいと考えています。該当資料としては『』

3-3.反対者は?またその根拠は?


 一方でこれらに反対する土地や人々も存在しました。前者は”廃娼県”と言われた群馬、埼玉、長野、和歌山各県です。また後者は各地に存在しました。彼らの主張の根拠は”風紀の乱れ”です。なんとも道徳的に高潔なのですね。個人的には人間の多面性を理解しているつもりであるため、このような白黒思考は中々理解に苦しみます。勿論街の至る所で目についてはなりませんし、未成年からは遠ざけるべきと思いますが。
 しかし、彼らの主張も人間の本能を止めることはできません。廃娼県の兵営付近には”特飲街(事実上の私娼街)”が形成されて栄えています。今日もその名残がある場所が散見されますね。人間の本能を理性でコントロールするのは限界があるようです・・・・。

4.総括-戦後何も変わっていない-


 以上を踏まえて、感じたことは近代における日本の地方の連続性です。
一般的にはWW2敗戦と同時に体制が大幅に変化し国民の行動原理もそれに伴うと言われてきました。しかし実情はそうではないのですね。地方の国民からしたら軍事=国防は飽くまでも経済的に甘い汁を吸う為の手段に過ぎないのです。お上品な言葉を使えば「国土均衡化の手段」であるのですね。
(中央政府=giver,地方行政=taker)
 因みに軍隊が全国に普及させたインフラと遊廓は明治以前の時代には一部の人間だけしか享受しえなかったシステムです。 徴兵制に付随して性産業が全国に溢れ、かつて在った夜這いの風習に取って代わりました。
 これらを踏まえると近代日本を通じて見える”人間の欲求”の攻防が手に取るように理解できます。そこでは時代が変わり新制度が受け入れられる為には
多数派の欲求と利益を汲み取る中央集権化も合理的であると納得出来るように思えます。しかし、その反面で弊害も考察せざるを得ません。
 これを見ていると私自身が考える現代社会が「なぜ空虚な場所となったか?」を考えるヒントになりそうです。なんせわたしたちが享受している
あらゆるコンテンツも巨大な中央集権化の一部なのかもしれませんから。

今回の書評は以上です。ご精読をありがとうございました。

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